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コラムSalonから 初の政権交代と世界最高齢首相を生んだマレーシア

2018年5月14日

 「新聞は下から読め」と新聞界ではよく言われる。大きな見出しの記事には誰でも目が向くが、小さな記事に実は貴重な情報が潜んでいるとの戒めだ。だからベタ記事も心して書くようにとの含意もあるかもしれない。

産経新聞客員論説委員 千野 境子 氏

産経新聞客員論説委員
千野 境子 氏


 有能な諜報員は公開情報さえあれば十分と言うのも同じ類だろう。要は記事の大小より大事なのは読み方なのである。
 5月9日に行われたマレーシア総選挙も、同じ日の北朝鮮を巡るニュースと比べて扱いはグッと小さかったけれど、内外に与えるインパクトやその意味するところは相当に大きいはずだ。
 北朝鮮の非核化の進展が具体的にはまだ何もないのに対して、マレーシアの方は予想を覆し、1957年8月の独立以来初の政権交代を実現させ、新首相には92歳のマハティール・モハマド元首相が15年ぶりにカムバックした。
 まずは外へのインパクトから。東南アジア諸国はこのところ人権、民主主義など普遍的価値の観点から評判を落としていた。ミャンマーは少数民族ロヒンギャ弾圧でミソをつけ、フィリピンでは人権無視で強権政治のドテゥルテ大統領が圧倒的人気を博し、カンボジアのフン・セン首相は有力野党を解体するなど、独裁化やポピュリズムの台頭が懸念されていた。
 マレーシアも今回敗れたナジブ首相が政府系投資ファンドを巡る巨額資金流用疑惑、汚職体質、強権的政治運営などから国民の強い批判を浴びていた。対して同首相は汚職報道を封じ込める反フェイクニュース法や低所得者への現金給付などバラマキ、選挙の区割り変更など成り振りかまわぬ態勢で選挙に臨んだ。しかし有権者も負けてはいなかった。政権交代という民主主義の範を示し、東南アジアに広がる嫌な流れに歯止めをかけたのである。
 政敵を潰したフン・セン首相は7月の総選挙で政権を失うことはまずない。とは言え今回の審判は頂門の一針だろうし、国民は25年前の5月に国連の下で初めて行われた民主選挙を思い出したに違いない。また軍事政権のタイも民政移管の要が改めて浮上するのは必至だ。マレーシアの選択はじわじわと浸透していくのではないだろうか。
 内へのインパクトには未知数の部分も多い。国政運営の経験がない野党連合は4党が足並みを揃えられるか。結局、長年首相だったマハティール新首相の強権運営になりはしないか。また有権者が批判した与党の汚職体質ももとはと言えば同氏が蒔いた種だし、若きナジブを登用したのも同氏だ。
 「ナジブはひど過ぎたが、権力に就けばみな同じことをする」と達観するマレーシア人もいる。人々の寛容さを良いことに、東南アジアでは汚職の土壌が肥やされて来た。来年大統領選挙のインドネシアで選挙の争点は常にKKN(腐敗・癒着・縁故主義の頭文字)だった。32年の独裁を敷いたスハルト時代はそれがピークに達した観があった。
 野党連合の実質的なリーダーで、現在は獄中にあるアンワル・イブラヒム元副首相の処遇も不透明な要素だ。マハティール氏は彼を政権ナンバー2の後継にしながら、97年のアジア通貨危機への対応策で対立し解任、徹底的に追い落した。それが今回はナジブ打倒で手を結び、首相もバトンタッチするという。恩赦、釈放、補欠選挙のハードルがある上に、その政治的手腕には不安の声も聞かれる。
 もう一つの注目点は今後の対中政策だ。今回、有権者に政権交代を促したのは、汚職・強権政治とともに過ぎた中国依存への危機感と言われる。マハティール首相は「前政権が進めてきた全ての契約について検証する必要がある」と述べている(産経新聞5月11日付)。
 中国のアジア・アフリカ大陸を巻き込む巨大インフラ投資事業はマレーシアも無縁ではなく、その一つマレー半島横断鉄道計画は中国が受注、費用550億リンギット(約1兆5300億円)も中国からの借金だ。マレー半島は確かに横断がネック。しかし果たして見合うだけの需要があるか、壮大な無駄になりはしないかと昨年、私は鄙びた東海岸の町々を訪れて危惧した。
 国民は借金で国が中国に圧し潰されては大変だと不安だ。世界には借りまくって返済を怠る国も珍しくない中で健全な国民意識だと思うし、マレーシアがその段階まで発展してきた証でもあるだろう。
 日本との関連では、中国有利と見られて来た首都クアラルンプールとシンガポールを結ぶ高速鉄道計画の受注合戦で、日本の新幹線方式の見直される可能性が挙げられる。と言ってもルック・イースト政策の生みの親マハティール氏は日中に絶妙なバランス感覚を発揮する。ASEAN+3(日中韓)首脳会議も先に日本が提案したASEAN+1(日)首脳会議を同氏が発展的に構想したものだ。練達の政治家をも唸らせる外交力が日本にも求められる。
 最後に南シナ海の領有権問題で、ベトナムやフィリピンと比べて融和が目立った対中姿勢が軌道修正されるのか、これもまた大変に興味深い。