[JAIF] 躍進するアジアの原子力

インド共和国

2010年1月27日現在

目次

W.核実験による国際原子力社会での孤立と、復帰への歩み

インドとの原子力発電協力を考える上で、重要なので、経緯を詳述する。

1.核実験による国際原子力社会での孤立

1)アジアで最初に原子力研究開発に着手

インドは、アジアで最も早くから原子力研究開発に着手した国で、5千年の文化の歴史や、米ソ冷戦時期の非同盟等により、国際原子力社会からも一目置かれる存在であった。

2)核不拡散条約(NPT)に対するスタンス

しかし、隣国中国の核保有(1964年10月16日)でインドは国家安全保障の危機を感じ、自らも核開発に乗り出すことになった。1970年3月に発効したNPTそれ自体が、中国の核保有を認めることを意味したため、インドは以下の論点を掲げ、これに一貫して強い反対を表明し続けている。

  • NPTでは、核兵器国の核軍縮義務がなく不完全である。
  • NPT加盟の非核兵器国は、原子力平和利用にも、IAEAの査察による制約を受け、不公平である。
  • 科学技術は自由に利用するべきだが、「平和目的核爆発」に対する差別がある。

3)1974年の第1回核実験の実施

1974年5月18日、インドはラジャスタン州の砂漠の中のポカラン実験場で、「平和目的」と称する地下核爆発実験(コードネーム「微笑む仏陀」)を実施、国際社会に大きな衝撃を与えた。開発責任者はRaja Ramanna博士で、カナダから提供された研究用重水減速炉CIRUS(Canadian-Indian-U.S.)と、米国から供給された重水を用いて、天然ウラン燃料を燃やし、それを再処理してプルトニウムを取り出し、BARCで原爆を組み立てたといわれる。
*インドでは、1950年代からネール首相が核兵器の実験や製造を厳しく非難し、1963年の「部分的核実験禁止条約」成立時には、米、英、ソ連に続いて署名していた。また1971年1月には、インディラ・ガンジー首相が議会で「インドは絶対に核兵器を保有しない」と発言していた。こうしたインドの原子力平和利用の姿勢から、カナダはCIRUSや発電炉(CANDUと呼ばれる加圧重水炉PHWR)を供与し、インドの原子力開発を積極的に支援をしていた。

4)カナダ・米国による制裁措置

これに強い衝撃を受けたカナダは、インドの核実験直後から、インドへの原子力関係の資機材や技術の提供を停止し、核不拡散を世界に広く呼びかけた。
米国もこの動きに同調し、インドへの原子力協力を停止するとともに、国内的には厳しい核不拡散法(NNPA)*を制定し、国際的には輸出規制のための「原子力供給国グループ(NSG)」を設置した。
*NNPAは、米国の国内法でありながら、米国との原子力協力を行う相手国は、これに書かれた規定の遵守を求められている。

ウラン濃縮と再処理の規制を中心に国際的な核不拡散体制の再構築を呼びかけ、フランスが韓国、台湾、パキスタン等と、また西ドイツがブラジルと既に締結していた、これら機微施設の建設契約の破棄に成功した。
*その後、インドは1998年まで24年間核実験を行わなかった。

5)国際原子力社会からの孤立

これにより、インドは原子力関係の資機材や技術の輸入ができなくなり、ウラン燃料、重水、原子炉の部材やコンポーネント、建設・運転・保守の技術等のすべてを国産で賄う道を選択することになった。
とくに、大容量化に適した「軽水炉」に関係する技術開発では、国際的時流から大きく遅れることになった。
*技術の選択としては、軽水炉ではウランの濃縮が必要になるが、外国から調達ができないことから、軽水炉はタラプールの2基のみで後継機は建設していない。

こうしてインドは、既定路線でもあったが、軽水炉を主流とする世界の潮流とは異なる、独自の「重水炉(PHWR)→高速増殖炉」路線をひとり歩むことになった。
*Pu-239、Th-232、U-233等の化学組成や富化度、また形状の異なる燃料の製造や再処理等、多様な核燃料サイクル関係の要素技術の研究開発を、他に協力提携国もないまま、一カ国での投資を余儀なくされてきた。
*これに関しては、「インドは、国産資源で原子力開発利用のすべてを賄える国となった」と肯定的な見方をする人もいる。

6)1998年の第2回目の核実験の実施

さらに、1998年5月11日〜13日にかけて、2回目の地下核爆発実験(計5回)を実施した。場所は1回目と同じラジャスタン州の砂漠の中のポカラン実験場であった。高速増殖実験炉(FBTR)で生産されたU-233が使われたといわれる。
このときはカシミールの帰属をめぐって激しい対立があり、インドでは対パキスタン強硬路線をとるバジパイ政権の誕生、パキスタンでは弾道ミサイルの発射実験を実施等、印パ双方が対立をエスカレートさせた結果、インド側が先にパキスタンへの示威行動として、核実験を行ったもの。
1974年の実験は、平和目的を称していたが、この1998年の実験は水爆実験を含む軍事目的として実施した。インドは、「核兵器は他国への侵略・威嚇用ではなく、中国・パキスタンの脅威に対する安全保障維持に最低限必要な自衛兵器」と主張し、地下核実験の自発的モラトリアムを宣言した(W-1)

7)パキスタンの核実験を誘発

パキスタンもこれに対抗し、5月28日、30日に核実験を行った(30日の原爆実験はプルトニウム型)。

8)国際社会の反応と制裁効果・・同時多発テロの影響

実験後、国際連合(UN)やIAEAが非難声明を出したが、もともとインドもパキスタンも、核不拡散条約(NPT)にも包括的核実験禁止条約(CTBT)にも署名しておらず、両国が核実験を実施しても、国際的義務条項違反として制裁できない状況にあった。
このため、米国やそれに同調しての日本(無償資金協力の新規協力の停止、新規円借款の停止等)等が個別に両国へ経済制裁を課したが、2001年9月11日に米国で同時多発テロが発生すると、対タリバン戦の遂行が核不拡散よりも重要となったブッシュ政権は、パキスタンの協力をとりつけるため、パキスタンへの経済制裁を解除し、これに併せてインドへの制裁も解除することとなった。
*しかし後述のように、これ以降も米国の国務省(DOS)は、「フルスコープ保障措置未受諾国への原子力品目の輸出には反対」との立場を堅持していた。
*米印両国は、2003年からは、原子力安全・規制での情報交換は行っていた。

2.国際原子力社会への復帰の動き:米国との折衝を中心として

1)米国からのアプローチ

2004年1月12日、米国が「戦略的パートナーシップにおける次のステップ(Next Steps in Strategic Partnership with India:NSSP)」構想により、対話を拡大するアプローチでインドと合意。この中に、宇宙開発、ハイテク貿易やミサイル防衛に関する対話とともに、原子力の民生利用での協力が提案された(W-1)

2)2005年の米国の対印原子力政策の転換

2005年3月16日、米国のライス国務長官が訪印したおり、インドのシン外相との間で、原子力発電および原子力安全での協力が話し合われた。ライス長官は、「今後数十年間、急増するエネルギー需要に応えるため、両国が協力できる新たな方法を探りたい」と述べた。 4月19日には、ブッシュ大統領は「国際的な原油需給逼迫の緩和のため、エネルギー消費が急増している中国やインドは原子力発電所の建設を推進すべき」との考えを米国のCNBCテレビのインタビューで語った。
さらに5月には、米印両国がエネルギー分野での協力を進めるため、「米印エネルギー対話」という枠組みの下で、「運営委員会」とその下の「ワーキング・グループ」の設立で合意した。ワーキング・グループは、次の5つを置く。

  • 石油・天然ガス
  • 石炭・クリーンコール技術
  • エネルギー効率向上
  • 再生可能エネルギー
  • 水素や民生用原子炉等の新技術

運営委員会では、ワーキング・グループの目標等を設定、エネルギー安全保障、エネルギーシナリオ、貿易と投資などの横断的問題を扱う。
*インドでも、国内での急速な原発開発拡大ニーズに対し、2005〜2006年にようやく54万kW級を達成した国産重水炉技術だけでは対応できず、原子力発電利用のシステムあるいは技術体系の抜本的近代化が急務となってきた。このため、米国に代表される国際社会と和解する必要があった。

3)米国とインドが本格的な原子力協力で合意

  • 2005年7月18日、米国を訪問中のインドのシン首相とブッシュ大統領が会談、両国が原子力技術で全面的に協力することで合意した。
  • 会談後に発表された共同声明では、以下の言及があった。
-増加するエネルギー需要をクリーンで効率的に満たす上での「原子力の重要性を考慮」すると、インドは「高度な原子力技術」をもつ、責任のある国である。
-この観点から、米国がインドとの「全面的な原子力協力」をめざすため、米議会に対し、法律と政策を調整するよう求める。
-米国はまた、インドとの全面的な原子力協力や原子力通商が可能になるよう、友好国に対して、タラプール1・2号機への燃料供給等の「国際的枠組み」の調整を求める。同時に、インドが国際熱核融合実験炉(ITER)や第四世代原子力システム計画(GEN-W)に加盟できるよう、米国が他の加盟国に働きかける。
-インド側はこれに対し、国際的な核不拡散体制の遵守を約束する。これには、民生用と軍事用の原子力施設・計画の分離、民生用施設のIAEAへの申告と保障措置の適用、追加議定書への加盟、核実験モラトリアムの実施、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)成立への協力、再処理・濃縮技術の移転自粛、核物質のセキュリティ強化、ミサイル技術管理レジーム((MTCR)等が含まれる。またインドは、原子力供給国グループ(NSG)ガイドラインの遵守も公約している。

共同記者会見でブッシュ大統領は、インドを「世界最大の民主主義国の1つ」と評価。米印両国が自由、民主主義等で共通の価値観をもっていることを強調し、両国の関係を強化する決意を述べた。
*この共同声明によるインドの民生用施設への保障措置の適用は、「保障措置対象施設の拡大」という側面とともに、「軍事用施設の存在を認定」したことにより、インドを(NPT上の核兵器国ではないが)、「事実上の核兵器国」として認知したと解釈される。

4)米国の対印原子力輸出規制を緩和

2005年8月30日、米国はインドに対する輸出管理規則を改定。原子力供給国グループ(NSG)の承認を必要としない品目のインドへの輸出条件を緩和した。

5)米国、対印科学技術協力でも進展を約束

2005年10月17日、「米印科学技術協力協定」を締結、エネルギーを含む科学技術に関する包括的な協力の促進を約束した。

6)2006年3月、原子力協力に向けての米印共同声明

2006年3月3日、ニューデリーで、ブッシュ大統領とシン首相が共同声明を発表。2005年7月18日の共同声明を踏まえて、その後の民生用原子力協力に向けての努力の進展と、双方の遵守事項を確認したもの。
*米国国務省(DOS)は、この共同声明について以下の指摘を行っている(W-2)

図表26:2006年3月の米印共同声明に対する米国国務省のコメント
インドは、運転中ならびに建設中の原子力発電プラントの大半と、それらに関連する上流・下流の施設をIAEAの保障措置下に置くことに同意している。また将来の民生用の熱中性子発電炉と同じく民生用の増殖炉も保障措置下に置き、他に9つの研究施設を民生用として指定することに同意している。
インドは、民生用の全施設を永久にIAEAの保障措置下に置く保障措置協定をIAEAと交渉することに同意している。
CIRUS炉を2010年に永遠に停止することと、フランスから購入したAPSARA炉用燃料炉心をBARCサイト外に移転し2010年に保障措置下に置くことに同意している。
インドは、IAEAと追加議定書の交渉を行い署名する。
インドは、2005年5月の大量破壊兵器法案の採択により、国家としての輸出管理システムを構築する。
インドは、濃縮および再処理技術の拡散防止に取り組む。
インドは、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)の締結で米国と協働する。
インドは、核実験の自発的停止を維持する。
インドは、ミサイル技術管理レジーム(MTCR)と原子力供給国(NSG)ガイドラインを遵守する。

7)インド議会でのシン首相の米印共同声明に関するコメント

シン首相は、2006年3月7日インド議会で行った演説で、保障措置に関連する以下の言及を行った。

図表27:2006年3月の米印共同声明に対するインド議会でのシン首相のコメント
a 現在運転中あるいは建設中の原子力発電プラント22基のうち14基を選び、2014年までにIAEAの保障措置下に置くことをIAEAに提案する。
カルパッカムにある高速増殖原型炉(PFBR)と高速増殖実験炉(FBTR)には、円滑な技術開発を促進するために、保障措置を適用しない。
将来は民生用の熱中性子発電炉および増殖炉はすべて保障措置下に置くが、どれが民生用かを決定するのはインド政府である。
国家の安全保障上重要な施設への査察を避けるために、BARCにあるCIRUS炉を2010年に閉鎖。またフランスから購入したAPSARA炉の炉心燃料を他所に移し、2010年に保障措置下に置く。
再処理、濃縮等、戦略上重要な核燃料サイクル関連施設は保障措置の適用対象とはしない。
以上の点で米国と合意したので、インドは今後IAEAとの間で「インド向けの特別な」保障措置協定の交渉を進める。

8) 米国議会での対印原子力協力法案の承認

2006年7月26日、米国下院は民生用原子力分野での対印協力促進法案を、賛成359、反対68の圧倒的多数で可決。また同年11月16日、米国上院も同じ趣旨の法案を賛成85、反対12の大差で可決。2007年1月5日、両院協議会で一本化した「米印原子力平和利用協力法案(ヘンリー・ハイド法案)*」にブッシュ大統領が署名した。
*米国原子力法の第123条に基づき、米印原子力平和利用協力協定の内容が規定される(このため、この米印原子力平和利用協力協定を「123協定」とも呼称)。今回のハイド法案によって、米国原子力法では、原子力輸出先国に要求する、「包括的な保障措置受入れと遵守を原子力輸出の条件とする」との規定の適用を除外した。

ハイド法では、インドの核実験と燃料供給保証の問題について、次の考え方をとっている(I-3)
  • ハイド法第106条では、インドが核爆発装置を爆発させたと大統領が判断した場合、「原子力法の適用除外」は効力を失い、核物質、設備または機微な核技術は輸出できなくなる。
  • また、原子力法(123条a.(4))では、核爆発装置を爆発させるか、IAEAの保障措置を終了させた場合には、移転された核物質、設備、およびその使用によって生産された特殊核物質の返還を要求する権利を米国がもつとの規定を協定に定めるよう要求している。
  • また、ハイド法第103条(政策声明)(a)(6)には、米国がインドへの核移転を中止した場合には、NSGの他の国などにも核移転の中止を働きかけることを定めている。

これにより、米印間で具体的な原子力協力協定の案文の提出を受け、米国議会が再度審議すれば、米印原子力協力協定が締結できる段階になった。

9) 米印原子力平和利用協力協定締結に向けての最終合意

  • 米印両政府は、民生用原子力協力促進のための「原子力協力協定交渉」で2007年7月27日に最終合意したことを受け、同8月3日、同協定文書を発表した。
  • NPTの枠外での新たな協力スキームが動き出すまでには、両国内での手続きだけでなく、NSGでの承認など、越えなければならないハードルがいくつか残っている。
  • 同協定は、米国からインドへの技術移転、核燃料や原子力機器の輸出を可能とするもの。IAEAの保障措置下に置くことを条件に、インドが使用済燃料の再処理を実施することも容認している。
  • 米国国務省(W-2)は、同協定のポイントを次のように4項目で指摘し、「これまでの米印関係において、最も重要なイニシアティブだ」と位置付けている。
  • インドの民生分野の原子力施設をIAEAの保障措置下に置くことで、国際的な核不拡散体制を強化する。
  • インドの原子力発電利用を促進し、CO2排出量を削減する。
  • インドのエネルギー安全保障を強化する。
  • 過去30年におよぶインドに対する制裁措置を解除し、米国企業によるインドの原子力産業への投資を容認する。

*この協定の発効には、インドはIAEAと保障措置協定を締結しなければならないが、インドは独自に開発してきた研究炉等はその対象にしない方針を表明した。
また45カ国からなるNSGのガイドラインを改正し、インドを「輸出禁止対象の例外」として承認してもらう必要があった。
その後米印両国で同協定に正式に署名し、両国議会がそれを承認する必要があった。

  • この協定案自体には、今後インドが核実験を行った場合の扱いについて直接の言及はないが、米国では、前述8)のように米国の国内法で対応すると思われる。協定の停止については、「1年前の文書による通告」としている。有効期間は40年間で、10年毎の延長が可能となっていた。

10) IAEAとインドが新しい保障措置協定の交渉を開始

2007年11月、米印原子力平和利用協力協定の前提になる、インドの民生用原子力活動を対象とする新しい保障措置の枠組みを作る交渉を開始した。

11)インドの要請により、新保障措置協定案をIAEA理事国に配布

  • 2008年7月9日、IAEAは、米印原子力平和利用協力協定の発効に必要なステップであるIAEAとの保障措置協定締結のため、同協定案を理事国(35カ国)に配布した。8月1日の臨時理事会で審議するため。
  • その概要は、以下のとおりであった。
(保障措置の実施条件)
  • インドはエネルギー供給保証と環境保全のために3段階の国家原子力計画を推進
  • 民生用と軍用の原子力施設を区別し、民生用施設をIAEAに申告
  • インドへの燃料供給が途絶しないよう国際的な燃料市場へのアクセスの保証 *インドは、外国からの燃料供給が途絶した場合、インドの原子炉が継続して運転できるよう是正措置を取る

*米国は、保障措置下に置かれたインドの原子炉への燃料供給に関して、次の提案を行った(W-1)
-米国によるインドへの燃料供給保守枠組みの構築
-米印協定への供給保証の明記
-インド向け燃料供給に関するインド・IAEA間交渉への米国の協力
-燃料戦略備蓄体制構築への米国の支援
-供給支障時には米印協力により友好供給国グループを形成し、燃料供給を再開

  • 付属文書(申告対象となる原子力施設や核燃料物質のリスト)は公表されていない。

12) インド下院でシン内閣を信任

2008年7月22日、インドの下院で、シン内閣の信任決議案が採決。賛成275票、反対256票、棄権10票で可決。これにより、それまで閣外協力してきた左派勢力の、米印原子力協定締結やIAEAとの査察協定締結への反対を排することができた。

13)IAEA理事会で対印保障措置協定案を承認

  • 2008年8月1日、IAEAの理事会は、インドの民生用原子力施設に対する保障措置協定案を承認した。米印原子力平和利用協力協定締結への条件の1つがクリアされた。

*この協定は「アンブレラ協定」の役割を担うもので、今後インドが平和利用目的使用と申告する核物質および原子力施設についてのみ、IAEAが保障措置を適用できる。
協定のタイプとしては、インドが国内原子炉のうち6基について1971〜1994年までの間受け入れてきた「INFCIRC/66タイプ」と同じもので、すべての原子力施設を対象とした包括的(フル・スコープ)保障措置協定ではない。
ちなみに、保障措置協定には次のものがある(INFCIRC はInformation Circulars の略)。

  1. INFCIRC/153型保障措置協定
    当該国の平和的な原子力活動に係るすべての核物質を対象とした保障措置協定。フルスコープ(包括的)保障措置協定とも呼ばれている。2009年7月現在、この型の保障措置協定の締結国は159カ国である。日本のこの型の保障措置協定は1977年12月に発効している。
  2. INFCIRC/66型保障措置協定
    NPT非締約国が、二国間原子力協定等に基づき核物質又は原子力資機材を受領するために、IAEAとの間で締結する。「三者間保障措置協定(または保障措置移管協定)」等と呼ばれるものがこれに該当する。かつては各国が締結していたが、NPTが153型協定の締結を締約国に義務付けているため、現在66型協定はNPT未加入国が締結するのみ。
  3. 自発的協定
    核兵器国が、自発的にIAEA保障措置の適用を受けるために、IAEAとの間で締結する 協定(5核兵器国はすべてこの型の保障措置協定を締結済)。
  • IAEAのエルバラダイ事務局長は、「従来の6基を含めたインドの原子炉のうち14基について、2014年までに保障措置を適用できるよう、2009年から新たな保障措置協定を実施する」とコメントした。また、両者がすでに協定の追加議定書の協議に入ったことも明らかにした。
  • 事後、インド国内で関連法規および憲法上の必要手続きを経て、この保障措置協定は発効することとなった。
    *2008年12月末現在、IAEAの保障措置が施設自体にかけられているか、あるいは施設内に存在する物質に保障措置がかけられているインド国内の施設は、クダンクラム原子力発電所(KKNPP)、ラジャスタン原子力発電所(RAPS)、タラプール原子力発電所(TAPS)の3つである(W-4)(W-1)

14)原子力供給国グループ(NSG)で、インドへの原発輸出を承認

  • 2008年9月4〜6日、(日本を含む45カ国からなる)NSGの臨時総会で、インドを対象とする「例外規定扱い」を承認した。
    *NSGの既定指針では、「5核兵器国以外へは、IAEAのフルスコープ保障措置受入れ」を原子力輸出の条件としており、全会一致を原則とするNSGでの会合(8月21〜22日)でもオーストラリア等の反対があり、米国の「インドの例外規定扱い」提案は認められなかった。
  • これにより、1974年のインドの第1回目の核実験を契機に、米国のイニシアティブで1978年に設立されたNSGは、30数年を経て再び米国のイニシアティブの下、インドへの禁輸解除に踏み切る判断を下した。
  • NSGの声明文では、次の点でインドのこれまでの行動を高く評価して、原子力輸出の解禁で合意したとしている。
  • 核実験の自主的モラトリアムを継続してきた。
  • 核兵器用核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約締結に向けて他国と協力していく姿勢が見られる。
  • 民生用原子力施設を段階的にIAEAの保障措置対象に追加申告することに合意している。
  • 濃縮および再処理技術をもたない国々に対し、これら技術の移転を控えるとともにこれらの拡散を制限する国際的な努力のを支持している
  • また同声明文では、インドが今後、核実験等を行った場合の制裁措置を明示してはいないが、「参加国政府は会合を開き、NSGガイドラインのパラグラフ16(協議および行動:このガイドラインのいかなる変更も全加盟国の同意を必要とする)に従って行動する」との文言が盛り込まれた。

15)米国議会が米印原子力協力協定を承認。大統領の署名を経て、発効へ

  • ブッシュ大統領は2008年10月8日、米国とインドの原子力平和利用協力協定を承認するための法案(HR7081号)に署名した。上院は10月1日の本会議で同法案を86対13の大差で可決、下院も9月27日に3分の2以上の賛成で承認していた。
    *協定内容全文と、交渉経緯については、(I-3)「(社)日本原子力産業協会刊「インドの原子力事情:INSAC-2008参加原産協会訪印団報告書」に詳しい。
  • 同協定の発効日は、ライス国務長官とムカジー外相がワシントンで協定に署名した2008年10月10日。

16) 仏AREVAとインドDAEが核燃料供給契約調印:国際社会への復帰の第一歩

  • 2008年12月17日、仏AREVAは国際社会がインドとの原子力ビジネスの再開を決定して以降初めて、インドの民生用原子力発電所向けのウラン燃料供給契約に調印した。両国は2008年9月30日の両国首脳会合で2国間協定を締結、これにより原子力平和利用分野における協力が可能になっている。
  • 契約内容は、IAEAの保障措置下にあるインド原子力発電公社(NPCIL)所有の原子力発電所に300トンのウランを供給するというもの。インドの原子炉の多くは、これまでウラン燃料の調達不足から、定格出力以下での操業を余儀なくされていた。今回のAREVAからの燃料供給により、備蓄燃料の不足が解消される見通しとなった。

17)IAEAとインド政府、新保障措置協定に調印

2009年2月5日に調印したもので、インドの14基の民生用原子力施設とそこで使われている核物質を、2014年までに逐次IAEAの保障措置下に置く。

18) 米国クリントン国務長官訪印で、米企業の原子炉輸出実現へ

  • 2009年7月20日、インドを訪問中の米国のクリントン国務長官は、インドのクリシュナ外相と共同記者会見を行い、「インドの2地点での米国の複数企業による原子力発電所建設がインド政府によって承認された」と発表した。
    *候補地点では南部のアンドラ・プラデシュ州および西部のグジャラート州が有力(U.1.参照)。
  • 同長官はまた、米国企業がこれらのビジネス・チャンスを生かすには、今後インド側で賠償責任に関する立法が必要と示唆した。
  • 両国が今後、原子力協力協定の規定に則り、米国製原子炉から出る使用済燃料の再処理について協議を開始する必要がある。
  • 地元紙の「オバマ政権は、インドに濃縮と再処理の技術移転禁止政策を取るつもりか?」との質問に対し、同長官は、適切な範囲内で注意深い保障措置の下で行われるのであれば承認できる、との見解を示した。

19) 残された課題

  • 米印原子力協力協定の批准は済んだが、米国が「インドの米国産燃料に対する優先再処理権」を認めるかが大きな課題となっている。
  • また、米国もフランスも、インドがしっかりした原子力賠償責任体制を整備することを原子力発電プラントの輸出の重要条件としているが、これを現在インドの議会に上程準備中の法案で満足できるかも課題である。

3. 国際条約等への加盟状況

図表28:インドの原子力分野での国際枠組みへの加入状況(W-5)

条約名

条約批准時期

原子力安全条約 2005.03.31
使用済燃料安全管理・放射性廃棄物安全管理合同条約 未加盟
原子力事故早期通報条約 1988.01.28
原子力事故または放射線緊急事態における援助条約 1988.01.28
原子力損害賠償諸条約 ウィーン条約 未加盟
ウィーン条約改正議定書 未加盟
ウィーン条約とパリ条約の適用に関する共同議定書 未加盟
原子力損害の補完的補償条約 未加盟
核不拡散条約(NPT)(W-6) 未加盟
IAEA加盟 加盟1957.07.16
IAEA保障措置協定  (下記番号は登録番号) 発効1971.09.30 


840 保障措置(SG)適用 発効1971.09.30
1278ソ連からの重水供給に関するSG 適用 発効1977.11.17
1543 IAEAとインド政府の間の、ソ連からの重水供給に関するSG 適用の協定 発効1988.09.27
1576 IAEAとインド政府の間の、フランスからの核物質供給に関するSG適用の協定 発効1989.10.11
1646 すべての核物質へのSG適用に関する協定(INFCIRC/154パート1の下のSGと、1993.10.01と1993.12.012の書簡交換に含まれる合意、また1994.02.16の書簡交換とその附属文書に基づく) 発効1994.03.01.

IAEA追加議定書(W-7)

署名2009.05.15
包括的核実験禁止条約(CTBT)(W-5)(W-7)(W-8) 未加盟
核物質防護条約 発効 2002.04.11
核物質防護条約改定条約 2007.09.19

4.米国以外の2国間原子力協力の現状

2009年12月現在、インドは英国、フランス、ロシア、モンゴル、カザフスタン、アルゼンチン、ナミビアと政府間原子力協力協定を締結している。

1)オーストラリア

  1. 2007年8月、ハワード豪首相は外交方針を転換、条件付きながらインドへのウラン輸出を容認する方針を発表した。
    それまで豪州は、NPT未加盟国へのウラン輸出を禁止していたが、米国とインドの7月の民生用原子力分野での米印原子力協力協定(「123協定」)交渉の合意を受け、方針を転換したもの。インドでは、2032年までに年間1万2千トンのウラン需要が期待された。
    ただしオーストラリア側は、ウラン輸出解禁のために以下の条件を挙げた。
    • インドがIAEAと保障措置協定を締結すること
    • NSGがインドを「輸出禁止対象の例外」として承認すること
    • 米印の「123協定」が発効すること
    • 輸出されたウランの軍事転用防止のためにインドと保障措置協定を結ぶこと
  2. 2008年1月、ラッド首相率いる労働党新政権は、前政権が意欲を示していたインドへのウラン供給を、「NPT未加盟国への輸出は考えられない」との立場で、実施しない方針を明らかにした。

2)カナダ

  1. 2009年1月、カナダ原子力公社(AECL)とラーセン&トゥブロ(L&T)が先進CANDU炉であるACR1000の共同建設について覚書を交わした。政府間の原子力協力協定締結を前提とするもの。
  2. 2009年11月29日、トリニダード・トバゴで開催された2009年英国連邦首脳会議の折、カナダのS.ハーパー首相とインドのシン首相は、原子力平和利用協力協定の締結で合意した。1974年のインドの核実験以来断絶状態にあった両国の原子力協力を再開するもので、世界最大手のウラン鉱山会社のひとつであるカナダのCAMECO社によるウランの販売や合弁企業による探鉱も可能になる。
  3. これを受けCAMECO社は、2009年12月、ハイデラバードに事務所を開設した。

3)中国

2006年11月、両国は民生用原子力プログラムの発展が、両国のエネルギー安全保障に不可欠との立場から、原子力分野の協力促進で合意した(W-1)

4)フランス

  1. 仏原子力庁(CEA)とBARCは、1969年にFBR協力覚書に調印した。
  2. 2005年9月、シラク仏大統領とシン印首相は、原子力協力協定について協議した。また共同声明で、原子力のすべての側面で両国間の全面的な協力を約し、インドが原子力平和利用分野でフランス企業の協力を要請する枠組みを設定した(W-1)
  3. 2006年2月20日、インドを訪問中のシラク大統領は、シン首相と共同声明を発表、仏印両国が原子力関連の以下の分野で協力を強化することを明らかにした。
    -基礎・応用研究
    -農業、バイオ、医学、産業での利用
    -原子力発電と使用済燃料管理
    -緊急時計画
    -原子力に対する公衆の認識と受容
    両国は、科学者・技術者の訓練、共同研究開発の実施、共同会議の開催、核物質・資機材・技術・サービス等の供給を行う。
  4. 仏印両国は、2008年9月30日パリで、政府間原子力平和利用協力協定を締結した。
    *これを受けて、2008年12月17日、AREVAはDAEと、原発用ウラン燃料300トンの供給契約に調印。NPCILのウラン燃料不足が緩和された。さらに、2009年2月4日ニューデリーで、AREVAはNPCILと、インドに少なくとも2基(最大6基)の160万kW級EPR(欧州加圧水型炉)の建設とそれらすべてに対する炉寿命期間60年間にわたる燃料供給に関する覚書に調印した。サイト候補地は西海岸のムンバイから250kmのマハーラーシュトラ州のジャイタプールで、ここに各2基×3期で合計6基が完成すれば、柏崎刈羽の689万8千kWを抜き960万kWの世界最大の原子力発電所となる。6基の契約がとれれば、AREVAの歴史最大規模の受注となる(先のU.5.1)(3)b.と一部重複)。

5)カザフスタン

2009年1月24日、カザフスタンのナザルバエフ大統領の訪印時に、NPCILとカザフスタンの国営原子力企業カザトムプロムが、ウランの調達に関する覚書に調印した。天然ウラン採鉱とインドへの供給を内容とする。
またカザフスタン側から、インドのPHWRの設計に基づくカザフスタンでの原子力発電所導入に関するフィージビリティスタディ(FS)へのインドの協力への関心が明記された。

6)韓国

  1. 2009年8月27日、韓国電力公社(KEPCO)とNPCILは原子力発電分野での協力覚書に調印した。これにより、政府間原子力協力協定の締結を待ち、韓国のAPR1400(140万kW級次世代型軽水炉)を中心とする原子力発電技術での協力が進められる(NPCILのU.5.1)d.の項参照)。
  2. 2010年1月、韓印の民生用原子力協力協定の締結に向けた動きが報じられた。同月末の李明博大統領の訪印に合わせて詰めが進められている。韓国としては、2009年12月末の、アラブ首長国連邦(UAE)へのAPR1400の輸出成約の余勢を駆って、インドへの売込みを具体化するためにも、政府間原子力協力協定の締結を急ぐものと見られる。

7)モンゴル

2009年8月、モンゴルのエルベグドルジ大統領をインドに招き、原子力協力覚書に調印した。

8)ナミビア

2009年8月、ウラン生産量で世界第3位のナミビアのポハンバ大統領が訪印したおりに、政府間原子力協力協定を締結。ウラン調達で積極的に動いている。

9)ロシア

  1. 1988年、ソ連がインドと覚書に署名。1998年には同覚書の追加文書としてクダンクラム原子力発電所の建設計画(各100万kW、VVER 2基)についての合意文書を交換、2002年2月12日には2基(総額25億ドル)の契約に調印した*。
    *インドへの原子力輸出が禁止されたのは1998年だが、それ以前に建設が合意されていた分は、輸出禁止の対象にはなっていなかった。
    • この時点では、米国は、ロシアのインドへの原子力協力(タラプール炉へ燃料供給決定とクダンクラム原子力発電所の輸出)は、「原子力施設すべてにフルスコープ保障措置を受け入れていない国への原子力品目の輸出は原子力供給国グループ(NSG)としての約束に違反することになる。またNPT 体制の崩壊につながる」とロシアを非難していた。
      ロシアはIAEA の保障措置下でインドに天然ウランを供給することで適切な輸出管理ができると主張した。
      *クダンクラム原子力発電所の1・2号機の建設では、2002年9月に資機材ならびに最高300人までのロシア人専門家の提供で、約10億ドルの追加契約が結ばれた。
    • 2006年3月、ロシアがタラプール原子力発電プラント2基に、約60トンのウラン燃料を供給することを両国政府が合意した。同年4月には、訪印中のキリエンコ原子力庁長官が、インドとの軽水炉と高速炉での原子力協力の継続を表明した(W-1)
    • 2007年1月25日、インドを訪問中のプーチン大統領は、シン首相とともに、インドのクダンクラム原子力発電所サイトに、現在建設中の2基に加え、さらに少なくとも4基を増設するとの合意文書に署名した。
  2. 2009年2月11日:インド原子力省(DAE)とロシア核燃料企業TVELが、インドの原子炉燃料の長期供給で契約に調印した。
    • これは2008年12月5日、ロシアのメドベージェフ大統領がインドを公式訪問した際、インドのクダンクラム原子力発電所にロシア製原子炉を2基増設する協定の調印とともに両国間で合意されていたもの。2008年9月の原子力供給国グループ(NSG)によるインドへの原子力禁輸解除決定を受けて可能となった。
    • 契約総額は約7億ドルで、TVEL社が製造・供給する原子燃料は、インドで稼働中のタラプール原子力発電所のほか、2002年から建設中のクダンクラム原子力発電所1・2号機、またラジャスタン原子力発電所の5・6号機にも装荷される。これら2基の建設作業は、ロシアのアトムストロイエクスポルト社(ASE)が主契約者となって進めている。クダンクラムは8号機まで建設する可能性がある。
    • これを受けて、2009年4月にロシアからインドへの天然ウランの燃料ペレットが初出荷されたと報道された。ロシアとフランスからの核燃料の供給で、核燃料不足のため原子力発電所の出力を落として運転していた事態からの脱却が期待されている。
  3. 2009年12月7日:露印原子力協力協定を締結
    • インドのM.シン首相のモスクワ訪問時に政府間原子力協力協定を締結。ロシアの新規4基の原子力発電プラント建設の受注と、そのための核燃料分野(含ウランの安定供給や濃縮技術)での協力に合意した。
    • ロシア国営原子力企業「ロスアトム」のキリエンコ総裁は、建設中の2基を含め、インドから最大で20基の原子力発電プラントの受注が期待できるとの見通しを示した。

10)英国

  1. 2005年8月、英国はインドに対し、原子力発電技術の提供や、原子力関係科学者の訪問で規制を緩和する方針を表明した。同年9月、ブレア首相の訪印で、原子力発電技術を中心とした民生用原子力分野での協力で合意した(W-1)
  2. 2009年12月には、英国のP.マンデルソン民間企業・技術革新・技能相の訪印に関連し、英印民生用原子力協力協定の締結に向けた交渉の進展が報じられた。マンデルソン大臣は、デリーでの記者会見で、「まずは共同宣言を策定し、その後のできるだけ早い時期(数週間以内)に協定の調印にこぎつけたい」と語った。

11)ベトナム

  1. 1986年、インドはベトナムと原子力平和利用協力覚書に調印した。
  2. 1988年には、BARCでベトナムの科学者の訓練プログラムを実施してから、さらに緊密な関係が生まれている。
  3. さらに、2002年4月には、両国の2002年から2003年にかけての「原子力平和利用および商業利用」に関する詳細な協力作業計画での覚書を交わした。
  4. 近年インドは、ベトナム北部ダラトの「ベトナム・インド原子力科学センター」(2001年1月開所)に機器や専門家サービスを提供している。

12) 日本

  1. 2007年4月23日、経済産業省とインドの計画委員会は、日印間の定期的閣僚級エネルギー政策対話として位置づけられる「日印エネルギー対話」の初会合を経済産業省で開催した。原子力に関しインド側は、「協力に制約があることは承知しており、制約がなくなればこの対話の場でも議論したい」と述べた。
    *この対話は、2006年12月のシン首相訪日の際、安倍首相との「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」に向けた共同声明で、設置に合意していたもの。
    原子力に関するインド側の発言は、「インドのNPT未加盟等の日本側の懸念に言及したもの。経産省は「外交的な議論が先決」とした。 この対話の枠組みで、運営委員会ならびに「電力・発電」、「省エネ」、「石油・天然ガス」、「石炭」、「再生可能エネルギー」の5つのワーキング・グループを設置することになった。
  2. 2008年9月4〜6日、(日本を含む45カ国からなる)NSGの臨時総会で、インドを対象とする「例外規定扱い」を承認した。これに関して、日本の外務省は、次の観点で米国提案に賛成したことを明らかにした(W-9)
  • NPT未加盟のインドへの原子力協力が国際的な核不拡散体制に与え得る影響
  • アジア最大の民主主義国家であり、新興市場国家でもあるインドの重要性や、同国の原子力平和利用が、地球温暖化対策に貢献し得る意義
  • とくに唯一の被爆国として、インドによる核実験モラトリアムの継続
  • これらにより、インドに対する核不拡散措置が強化され、インドの原子力活動の透明性が高まり、国際核不拡散体制の外にいるインドに不拡散への取り組みを促す契機となるとの判断
    またインドによる核実験モラトリアムが維持されくなった場合には、「(1)NSGとしてインドの例外化措置を失効ないしは停止すべき、(2)NSG参加各国は各国のインドへの原子力協力を停止すべき」と主張した。
<注記>

(I-3) 出典:2009年2月(社)日本原子力産業協会刊「インドの原子力事情:INSAC-2008(第19回インド原子力学会年会)参加原産協会訪印団報告書」
(W-1) 出典:原子力委員会国際問題懇談会資料「インドをめぐる国際的な原子力協力の動きにかかわる現状」(2007年11月13日)
(W-2) 出典:http://www.state.gov/documents/organization/63007.pdf
(W-3) N.バーンズ国務次官の発言(原子力産業新聞2007年8月9日号)
(W-4) 出典:IAEAのFNCISデータベース
(W-5) 出典: IAEAのFactsheets: Country List、Safeguards Current Status、 Safeguards and Verification また米国国務省のNPT加盟国一覧表
(W-6) 出典:米国国務省「NPT署名・加盟国リスト」
(W-7) 出典:IAEAのAdditional Protocols to Nuclear Safeguards Agreements
(W-8) 出典:日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター資料
(W-9) 出典:原子力産業新聞(2008年9月18日号)

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