[Newsletter] JCO臨界事故の概要 1999年12月27日 top
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JCO臨界事故の概要

東海村のJCO社再転換工場での臨界事故から2カ月が経ちました。そこで、事故発生から2カ月間の経緯をまとめました。

臨界事故発生

茨城県東海村にある核燃料加工施設で9月30日午前10時35分頃、国内初の臨界事故が発生した。事故が起こったのは、ジェー・シー・オー社(JCO)東海事業所の「転換試験棟」で、8酸化3ウラン(U3O8)を硝酸で溶かした硝酸ウラニル液を沈殿槽に入れている途中で起きた。

JCO東海事業所での普段の業務は、原子力発電所用の燃料を製造するために、濃縮された六フッ化ウラン(UF6)を二酸化ウラン(UO2)の粉末に転換し、それを燃料成形加工会社に納める仕事であった。

今回事故を起こしたJCO社の転換試験棟は、通常の発電所向け燃料用の転換施設とは別の施設で、発電所用の燃料(3〜5%程度)と比べて、濃縮度が高いウラン(20%まで許可されていた)を扱っていた。この濃縮度の高いウラン燃料は、核燃料サイクル開発機構の高速増殖実験炉「常陽」用のもので、濃縮度は18.8%だった。(図1)

図1 加工施設の敷地境界及び周辺監視区域
所有面積 約156,000m2
加工施設敷地面積 約42,000m2
敷地境界線
周辺監視区域境界
加工施設建屋

この事故を起こした転換試験棟においても、別棟の発電用燃料用の第1加工施設棟、第2加工施設棟と同様に、ウランによる臨界事故を防ぐため、各装置が細長く、しかも装置が密集しないように、形状制限を加えた設計のもとに配置されていた。また、処理されるウランの量についても制限が課せられていた。このため、試験棟での今回の作業も通常では、酸化ウラン(U3O8)を溶解塔で硝酸に溶かし、臨界制御のために形状が制限された細長い貯塔を使って、1バッチ毎に濃度を均一にすべきであった。

しかし、9月30日、作業員3人が、酸化ウラン粉末2.4kgを10リットルのステンレス製の容器(バケツ)の中で、硝酸と純水により順次溶解し、できた硝酸ウラニル溶液の濃度の均質化を図るため、溶液を5リットルのビーカーに移し替え、太くて大きく、しかも攪拌機を備えた沈殿槽(直径(内径)45cm、高さ(内径)61cm)に、サンプリングをする穴から漏斗を使って直接流し込んだ。(図2)この注入は、2人で行い、1人がビーカーを持って注入し、1人が漏斗を支えていた。もう1人の作業長は隣室にいた。

図2

通常の工程では、沈殿槽に入れるウラン量は、1バッチ当たり約2.4キログラム以下に抑えられることになっていたが、このとき16.6kg程度のウラン量、バッチ数にして6〜7バッチ分が注入され、その結果、臨界に達してしまった。今回の「常陽」向けの燃料の転換作業は、ほぼ3年ぶりで、9月22日に始まったばかりであった。

事故につながった今回の作業手順は、国の許可を得た作業手順と全く異なるもので、バケツから沈殿槽に移す作業はこれら3人が発案し、今回初めて行ったということだ。また、沈殿槽を使うことについては、上司である職場長の承認を得ていなかったとのことである。

臨界は、時間幅にして0.1秒ほどのパルス状態の核分裂が発生し、強い中性子線とガンマー線が周囲に放射された。しかし爆発的な反応ではなく、溶液の温度を数十度上昇させたと推定されている。溶液の温度上昇により、反応はやがて緩やかとなり、温度が下がると再び反応が増加したが、液体の蒸発により徐々に反応出力を下げていったものと考えられる。反応は、沈殿槽外周の冷却水を抜き取るまで、約20時間にわたって継続した。この反応による総核分裂数は、2.5×1018個であったと評価されている。(図3)

図3 線量率のパターン

この間に核分裂により発生した放射性物質は、その大部分が溶液中に留まり、揮発性のキセノンやヨウ素が、溶液を流し込んだサンプリング用の穴から大気中に出た。それら物質による環境汚染が微量あったが、そのレベルは低く、健康上問題となるようなレベルではなかった。

臨界反応の終息

科学技術庁は30日深夜、JCOの転換試験棟で臨界状態を抑えるため、沈殿槽の外周を取り巻く冷却ジャケットから水を抜くための作業を開始することになった。沈殿槽はほぼ円筒形で、下半分を冷却ジャケットが囲む二重底の構造となっている。本来は冷却目的の水が、今回の事故では中性子の反射材の役目をし、このために臨界が継続している可能性が高かった。

実際の作業は、10月1日午前2時30分頃から開始され、冷却ジャケットにつながっている配管のバルブを開けることによって水を抜く作業で、JCOの社員がその作業を率先して実施し、午前6時30分頃、臨界が止まった。その作業に対する危険性の認識もさることながら、装置をよく知っているのはそこの従業員であり、事故の収束作業はやはり従業員によらなくてはならないとの判断によるものである。

その後、臨界終息を確実なものにするために、中性子を吸収する硼酸水を注入し、午前8時50分に臨界終息を確認した。

住民の避難

JCOのある東海村は、事故のあった9月30日の12時15分に、国より早く「災害対策本部」を設置した。その15分後の12時30分には、住民は外に出ないようにとの村内の広報を開始し、施設の横を通過する県道の通行止めを行った。さらに、13時35分には、村内の上水道用の久慈川からの取水を一時停止した。

また、東海村の村上村長は、同日15時にJCOから半径350mの住民に対して、事故現場から2km離れた村の公共施設である「石神コミュニティセンター」への避難勧告を行い、150名全員を避難させた。

住民150名の避難は、10月1日の午前8時50分の臨界の終息が確認された後も続いた。周辺の詳細な放射線モニタリングによる放射線、放射能の量の確認を行うためであった。確認の後、10月2日19時15分の野中官房長官による「350m圏内の住民の避難の解除に問題ない」との政府見解の発表を受けて、村上村長が避難している住民に対して避難解除を発表した。2日と4時間あまり後のことである。村では、住民を自宅に帰すにあたり、全ての家の放射能のチェックを住民立ち会いのもとに行い、安全を確認している。

住民に対する措置は、350m圏内の住民ばかりでなく、9月30日の22時20分になって、科学技術事務次官が茨城県知事に対して、半径10km圏内の住民(約31万人)に対して屋内に留まるよう助言し、県知事はそれを受けて10km圏内の市町村に住民への通報を依頼した。これにより半径10km圏内の31万人に対して、「屋内退避」(すなわち屋内待機)が実施された。この屋内に留まる措置は、翌日の10月1日15時に、野中官房長官が「10km圏内の屋内退避の解除は問題ない」旨の政府見解を発表し、これを受けて16時30分頃に茨城県知事がその解除を発表した。ほぼ1日間であった。

JCO臨界事故の評価

JCOの燃料転換施設で起きた臨界事故について科学技術庁は、国際評価尺度(INES)で暫定値としながらもわが国の事故・故障ではもっとも高い「レベル4」と発表した。東海再処理工場・アスファルト固化処理施設の火災爆発事故(1997年3月)はレベル3であり、高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故(1995年12月)はレベル1であった。

この臨界事故の大きな特徴は、核分裂の連鎖反応によって放出された中性子とガンマー線によって3人の従業員が大量被曝したことである。ウランの臨界反応により放出された中性子とガンマー線は、沈殿槽を中心にして四方八方に放射された。その放射線が人にとどく量は、中心からの距離の2乗に反比例するため、中心から離れれば離れるほど少なくなる。

このような特徴から、溶解槽の周りで作業していた3人の従業員は、放射線による大量被曝となったが、そのほかの従業員、周辺住民にはこの放射線による健康への影響を心配する必要はない。

また、この臨界事故は、旧ソ連のチェルノブイリ事故のように、核分裂により生じた放射性物質(放射能)を大量に、しかも広範囲に放出した事故と異なり、周辺地域への放射能による汚染はほとんど無かった。このため、住民はもとより、農作物、水産物などへの放射能による汚染の影響は全くない。(図4)これは、溶解槽の中で爆発的な反応が起きたわけでなく、ウラン溶液の中に臨界反応によって生じた核分裂生成物(放射能)が、ほとんど残留しているためである。放出した核分裂生成物の一部である揮発性キセノンやヨウ素ガスについても、施設敷地近傍の地点で0.1ミリシーベルト(mSv)程度であり、事故後の国や県などの土壌や河川水などの調査では、ほとんど放射性物質が検出されなかった。

図4
fig.4

JCOとは

JCOは住友金属鉱山の100%出資子会社で、1979年10月に「日本核燃料コンバージョン」として設立され、1998年に現在の「JCO」に社名変更された。資本金は10億円である。

JCOの東海事業所の生産能力は、濃縮度5%以下のBWR用燃料が年間715トン(ウラン換算)、濃縮度20%未満の研究炉用燃料が年間3トン(ウラン換算)の設備を有している。その経営状態は、1991年度の売上高は32億5,000万円であったが、98年度には17億2,000万円、年間のウランの転換総量も552トンから365トンへと減少し、従業員も162名から110名に減少している。

被曝した3人の従業員−2人は重傷

臨界事故を起こしてしまった作業員3人は、救急車で水戸国立病院に運ばれ、救急処置を受け、そのあと、茨城県の防災用ヘリコプターで千葉県の放射線医学総合研究所(放医研)に搬送された。放医研では、すでに設置されていた緊急被曝医療体制のもと、ネットワークの医師団の参加により治療が行われた。

3人の内、35才の従業員の大内さんがもっとも「危険な状態」で、末梢血の幹細胞移植が必要となったため、東京大学医学部付属病院に移された。大内さんは沈澱槽のそばに立ち、5リットルのビーカーから硝酸ウラニルを沈澱槽に流し入れる作業をしていた。大内さんが受けた放射線量は、17シーベルト(Sv)と推測されており、当初は重症の下痢、意識障害があり、白血球数が高く(25,000)、発熱していた。

その後、急性放射線障害の典型的な症状である全身の7割に及ぶ熱傷、呼吸器の障害、免疫力の低下などが生じた。その間、病院では造血機能回復治療や輸血、大規模な皮膚移植を繰り返すなど治療を行っているが、11月27日には「危険な状態」に陥っている。(大内さんは、12月21日23時21分、入院先の東京大学付属病院において放射線被ばくによる多臓器不全で死亡した。)

大内さんと共に沈澱槽のそばで作業していた篠原さん(40)は、10Svの放射線を受け、当初は発熱、意識障害はあるものの、声をかけると応答があった。放医研での治療後、臍帯血移植を受けるため、東京大学医科学研究所付属病院に移され、治療を受けた結果、症状は安定している。

作業長の横川さんは、事故当時、隣室にいたため、放射線被曝も3Svと他の2人より少なかった。横川さんの意識ははじめから清明で、容態は安定している。

その他の人々の健康上の影響はない

3人の従業員の他に、臨界事故による放射線を浴びた従業員は、56名で、そのうち最大の被曝量は3.9〜24.0ミリグレイ(mGy)、事故時に3人の従業員を救助のため運び出した消防署員3人が0.5〜4.1mGy、JCOの敷地のごく近傍にいた一般住民、作業員など7名は0.5〜9.4mGyであった。また、臨界を止めるために沈殿槽の冷却水を抜く作業(18名)、ホウ酸水を注入する作業(6名)を行った従業員の被曝量は、0.03〜120mSvであった。放射線量は、多くてもCTスキャン1回分強の放射線量程度であり、いずれの方々も健康に何らかの影響を与える量ではなかった。

科学技術庁も、3人の従業員を除く人々の放射線の健康への今後の影響について、「ガンの増加に代表される確率的影響も、一般的には実行線量で約200mSv以上の線量でのみ現れるとされている。従って今回の事故に関しては、直ちにガンの増加などの健康影響を懸念する必要はないと考えられる。」と発表している。

国の対応

核燃料サイクル施設を監督する科学技術庁は、30日午後になっても施設周辺の放射線量が低減しないため、有馬大臣を本部長とする事故対策本部を15時頃に設置した。また政府は同日21時に小渕恵三首相を本部長とする「政府対策本部」の第1回会合を開催した。首相は、首相官邸別館の危機管理センターで開いたこの初会合で、「放射線の影響が懸念される厳しい事態になったことを認識し、住民の安全を第一に対応にあたってほしい」と述べ、防衛庁、警察庁、消防庁をはじめ、政府機関が総力をあげて住民の安全確保と、放射線障害の拡大阻止に取り組むよう指示した。

10月1日、有馬朗人・科学技術庁長官は、「極めて基本的なことが守られていない。使命感やモラルが弱まっている心配がある。」と述べた。同日、与謝野馨通商産業大臣も、「通産省の所管で起きたのと同様に深刻、真剣な態度で望む。」と発言し、2001年1月からの省庁再編により、通産省から「産業経済省」となり、核燃料サイクル施設の安全規制官庁になることから事態の解決に最大限努力する意向を表明した。

また、小渕首相は、10月1日に新たに内閣を組閣する予定を一時延期する旨表明し、事故対応に当たることとなった。結局、新内閣は、当面の事故対応が一段落した10月5日に発足した。

10月5日の小渕内閣・第2次改造内閣発足後の記者会見において、小渕首相は冒頭、「今回の事故は安全を著しく軽視した予想外の人為的な事故であり、このような事故を二度と起こさないためには、まず原因の徹底究明を行い、この結果を踏まえ、速やかに再発防止対策を確立し、実施したい。また、直ちにその他の核燃料製造施設の緊急総点検を着手している。今回、政府の危機管理対策についても、謙虚に反省すべきことは反省をし、更なる万全を期したい。最後に、現場において、身の危険をも顧みず、事態の沈静化のために御苦労されました方々の献身と勇気に対し、心から敬意を表する。」と発言した。

検察がJCOを調査へ

科学技術庁は地元の状況が安定してきた10月3日(日)からJCOに対して原子炉等規制法に基づく立ち入り検査を実施した。また、小渕首相の発言にもあった通り、10月4日より他の加工事業者、再処理事業者など20事業者に対しても立ち入り検査を行い、それら施設の安全性の確認を行った。

JCOの事故原因の究明については、原子力安全委員会のもとに「ウラン加工工場臨界事故調査委員会」を10月4日にもうけ、調査を開始したほか、刑事責任の糾明についても、茨城県警察本部に捜査本部が置かれ、10月3日から捜査を開始した。また、労働省においては、9月30日より労働安全衛生法上で問題点があったかどうかについて調査を実施している。

原子力安全委員会のこの事故調査委員会は、11月5日に「緊急提言・中間報告」を公表した。この報告書は、事故の状況とその影響、事故への対応、事故の原因、緊急提言、今後の調査検討課題からなる。この報告書は原子力安全委員会のホームページにその全文が掲載されている。和文(http://www.sta.go.jp/shimon/NSC/teigen/91105.htm)

周辺住民に対する健康相談は、東海村役場内に科学技術庁の現地相談窓口が置かれ、10月18日には放射線の健康に与える影響についての説明会が放医研の医師や専門家などによって行われた。また、東海村に派遣された医師や国立水戸病院において、住民一人ひとりの健康診断や健康相談が実施されている。

東海村について

東海村は、南北に7.5km、東西に6.6km、面積3,567haの太平洋に面した村で、平成7年での人口は32,727人、世帯数10,864である。

昭和30年に村松村と石神村が合併し東海村となった。昭和31年には日本原子力研究所、昭和34年には現在の核燃料サイクル開発機構の前身である原子燃料公社が設置され、翌35年には日本で初めての商業原子力発電所である日本原子力発電(株)東海発電所の建設が始まっている。現在では15の原子力事業所(JCOもその一つ)が点在し、日本の原子力技術を誕生させ、育ててきた村である。

合併当時の村の人口は1万人、その後、原子力関係者とその家族が1万人、さらに北隣の日立市と南隣のひたちなか市の工場に働く人たちの約1万人が東海村に住居を定め、暮らしている。

東海村の住民は、原子力平和利用当初からその開発に理解を示し、原子力施設と共に暮らし、日本の原子力研究・開発、利用に大きな期待をかけてきた。海外の原子力関係者の訪問も多く、やはり原子力施設のあるアメリカのアイダホフォールズ市と姉妹都市ともなっている。3万にもの人口を抱える東海村が、東海「町」と名前を変更しないのは、海外に「Tokai-mura」で通っており、今更名前を変える必要もないということのようである。

そのように東海村は、原子力関係者を信頼し、村をあげて原子力と共に暮らしていただけに、今回の、しかもわが国で初めての臨界事故が東海村で起きたことに、村民のショックは大きく、その安全に対する不信感も大きく膨れ上がっている。

事故での原子力関係者の支援

JCOの事故では、15の原子力関係事業者がひしめく東海村で起こったこともあり、日本原子力研究所、核燃料サイクル開発機構、日本原子力発電(株)などの専門家がいち早くその対応のために現場周辺に駆けつけ、周辺放射線のチェックや事故の収束、その他の対応に当たった。また9つ全ての電力会社からも700人にも及ぶ応援があった。

JCOの事故が東海村で起こったことが、そこで一緒に生活している原子力研究者、技術者の迅速な支援につながったと見る向きもある。しかしどこで事故が起こっても、いち早く専門家が現場に派遣されるような防災システム作りが今後の課題となろう。

風評被害が広まる

この事故により、地元中小企業や農林水産業への経済的な影響が出ている。

政府は、事故により仕事ができない、遅れているなど、工場の操業が直接的、間接的に影響している中小企業について、10月1日付で通商産業省が茨城県内の中小企業を対象にして政府系中小企業金融機関による「災害復旧貸付」を適用し、その業務が開始された。

また、東海村や周辺市町村、茨城県全体の農作物、水産物、畜産物などが、事故の影響によりスーパーなどの店頭から姿を消すなど、東京など大消費地の一部で見受けられるようになり、いわゆる風評被害が目立つようになった。これについては、日本原子力産業会議が、いち早く会員会社に対して、茨城県産の農林水産物を積極的に購入するよう働きかけを行ったのをはじめ、電力会社、メーカーなどがその購入行い、風評被害に対してその対応に当たっている。

原子力損害賠償

この様な作物の風評被害や、操業の一時停止など、直接的、間接的な被害について、JCO自身が10月4日より被害の申し出についての窓口を設置し、対応をはかっているほか、科学技術庁に損害賠償に関する紛争の和解仲介を行うための「原子力損害賠償紛争審査会」を10月22日に設置した。

ちなみに、原子力の損害賠償については、「原子力損害の賠償に関する法律」において、過失があろうと無かろうと原子力事業者に無制限に賠償の責任を集中させるとともに、保険等により一定の賠償のための備えをするように定めている。保険額は(JCOのような核燃料加工事業の場合10億円)手当されていたが、損害を賠償すべき額が保険額を超え、さらに事業者の賠償責任能力(資金力)を超えることも考えられる。このように、保険ばかりでなく、会社としての資金力を超える損害賠償が必要と国が認めたときには、国会の決議により、原子力事業者が損害を賠償する上での必要な援助を行うことができるとされている。

JCO事故に対しては、被害者に対する計画的、かつ速やかに賠償支払を行うとともに、親会社(住友金属鉱山)、国との連携のもとに、十分な賠償資力を確保することで、社会的責任を全うする体制を整え、十全な被害者救済を行うことが必要である。そのためJCOではその対応を進めている。

原子力界の対応

当(社)日本原子力産業会議では、事故の翌週の10月5日(火)に臨時の役員会を召集し、「民間原子力関係者の自己改革に向けて」という声明をまとめ、会員に配布し、その趣旨の徹底を申し合わせた。核物質を取り扱う関係者は、自己改革を進め、住民や国民の信頼回復を一歩ずつ積み重ねて行かなくてはならないとし、「原子力の安全確保は、経営トップの最大の課題であり、安全を最大の価値とする経営方針を設定させる」などの5項目の行動事項をまとめている。

この自己改革声明を機に、ウラン加工事業者の自発的な安全チェックシステム「世界核燃料加工安全ネットワーク」(INSAF)が発足することとなった。このINSAFは、フランス、イギリス、アメリカなど各国の核燃料の加工を行う事業者に呼びかけ結成するもので、世界中の加工業者が安全性向上のために連携して、相互にレビューを行い、世界共通レベルの安全文化の構築をはかることを目的としている。このINSAFの設立準備会が12月6日に、とりあえずわが国の7組織を集めて開催された。

また、原子力産業全体の安全文化の共有化、レベルのアップを図るため、電気事業者、燃料加工会社、プラントメーカー、研究機関など、当面35組織を対象とした、「ニュークリアセフティネットワーク」(NSネット)が結成されることとなった。この組織は、やはり安全文化の普及、会員相互の評価・チェック(ピアレビュー)、安全情報の交換、過去の事例に基づく教育支援などの活動を行うもので、世界の電気事業者の組織であるWANOの日本版を作ろうとしたものである。このNSネットは、12月9日に35組織全部を集め、設立総会を開催した。

国、地方自治体の今後の対応

11月5日に発表された原子力安全委員のウラン加工工場臨界事故調査委員会の「緊急提言・中間報告」にも記載されているが、災害対策基本法に基づく防災基本計画や、原子力安全委員が作成した「原子力発電所等周辺の防災対策について」は、原子力発電所の事故などを念頭に置いて作成されたもので、核燃料加工施設での臨界事故は想定されていなかった。

このため、原子力発電所と異なり、年1回程度の定期点検が要求されておらず、臨界事故などの設計上の施設設計審査をして、一度設置許可を与えると、運転状況や設備の状態の検査は行われていなかった。

また、現在の日本での原子力の防災システムは、自然災害と同様に都道府県に責務がある。しかしながら、原子力施設の設置許可のための審査が国でなされているように、実際の原子力に関する専門的な知見は国にあり、地方自治体が今後とも事故対応を即座に行うことは、かなり困難であることと考えられる。また、今回の事故では、事故時の情報の伝達の遅れや国の対応の遅さ、住民に対する対応が遅れてしまったことも指摘されている。

当然、住民への情報の提供も遅れ、住民はマスコミにその多くを頼るほかなかった。医療関係者への情報伝達についても反省点として、迅速な連絡の要請がなされている。

これらの課題に対して、国は、「原子炉等規制法」を一部改正して、加工施設の立ち入り検査の運用や事業者の定期検査の義務づけ、施設の運転管理や従業員の教育についての検査制度を導入することとなった。また、原子力防災特別措置法を新たに制定し、情報の適切な把握、情報のスムースな流通、国と地方自治体との対策の分担と有機的連携、国の緊急時対応体制の強化、事業者の役割、モニタリングシステムの整備などを盛り込むこととなった。この規制法改正と防災特別措置法は、11月25日に衆議院で可決、参議院に送付された。

事故経緯

9月30日(木)
10時35分頃:(株)ジェー・シー・オー(JCO)の東海事業所・転換試験棟で臨界事故が発生した。核燃料サイクル開発機構(旧動燃事業団)から依頼された濃縮度18.8%のウラン溶液(硝酸ウラニル)を沈殿槽に入れる作業をしていたところ、エリアモニター(臨界警報装置)が鳴った。
11時15分:JCOからの事故第1報が科技庁に入る。
12時頃:首相官邸に報告
14時頃:原子力安全委員会に報告
14時30分頃:科学技術庁災害対策本部設置
15時:政府の事故対策本部(本部長:有馬大臣)設置、16時50分第1回会合
15時30分頃:臨界事故を起こした装置で作業し、中性子被曝した従業員3名を防災ヘリで水戸国立病院から千葉の放射線医学総合研究所に移送、到着
17時頃:施設境界における線量率が上昇(〜4mSv/時)し、再臨界の可能性
18時:原子力安全委員会・緊急技術援助組織会合、委員2名の現地派遣を決定
21時:小渕総理を本部長とし関係閣僚を構成員とする政府対策本部第1回会合開催
22時20分:科学技術事務次官が茨城県知事に対して10km圏内の住民の屋内待機を助言
10月1日(金)
3時頃:継続している臨界状態を停止させるため、沈殿槽を冷却水の抜き取り作業に着手
4時頃:施設境界の中性子線量率が低下、6時30分頃には検出限界以下に低下
8時頃:沈殿槽への硼酸水の注入作業
9時20分:原子力安全委員会が「臨界については一応終息」を確認
8時20分:従業員、消防士、地元住民49名が放射線を浴びていることを確認
16時40分:茨城県が10km圏内の住民屋内待機を解除(350m圏内の住民の避難勧告は継続)
10月2日(土)
15時45分:被曝した従業員のうち、重体の1名を放医研から東大病院に移送
18時30分:茨城県、東海村は、350m圏内の住民の避難措置を解除

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