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広野町:幸せな帰町・復興に向けた国際フォーラムを開催

2015年9月24日

 福島県双葉郡広野町は2011年3月の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故により、全町が緊急時避難準備区域に指定され、避難。その後、同年9月30日に指定は解除され、町役場機能を2012年3月1日に広野町に戻したものの、町民の帰還はまだ半数以下にとどまっている。
  そうしたことから、広野町では、2014年6月15日に住民の帰還に結びつくよう住民の課題や行政の取り組みなどについて、海外からの有識者を交え、意見交換する場として国際シンポジウム「広野町から考える~避難先からの幸せな帰町に向けて~」を開催した。
  今回は、その第二弾として、さらに幸せな帰町・復興について考えるため、国際フォーラム「あつぱれ(集まれ)!ふたば~未来へ」をスローガンとして、9月14日(月)から20日(日)までの7日間にわたって、ワークショップや演劇パフォーマンス、お茶会カフェなど住民が参加しやすいテーマや形式で展開された。最終日の20日には、国際シンポジウム「言いたいことを言うべー会」が締めくくりとして開かれ、海外からの有識者10数名も参加した。国際シンポジウムでは冒頭、6日間にわたるワークショップ等の検討結果が、それぞれのまとめ役であるコンビーナー(WGのまとめ役)から発表があった。
  なかでも、4月に開校されたふたば未来学園高校生による演劇パフォーマンスは海外からの参加者にも好評で、高校生の視点から広野町の課題を捉えた内容を広めていってはどうだろうという提案がなされた。そのほか多彩な取り組みの中には、双葉郡8町村の若手職員による「被災地・避難者受入地の連携を考える」や、町民と大学生でふたば地域の未来を考えようなど、若い人たちが双葉郡の未来や現状にどう取り組んでいくべきかを検討するワークショップも行われた。
  シンポジウム後半には、各グループの発表を踏まえ、米国陸軍で住民との対話活動の経験深いJ.プリスコリ氏をファシリテーターに参加者全員が4人以上のグループに分かれ、(1)地震、津波、原子力事故から感じた不満、教訓は何か、(2)これらの教訓に対してあなた(組織)は何ができるか――というテーマについてブレーンストーミングが行われた。ここで得られた提案は、多くが情報伝達の不十分さ、住民と行政の話し合いの必要性や両者をつなぐ独立機関の設立、広域的な取り組みの必要性、被災地の現状を海外へ伝えることで理解を深める、若者の教育、3・11記念日の創設など多岐にわたった。CHOCHO
  その後、遠藤智・広野町長(=写真上)が、「被災地において、人々は様々に苦悩の生活を送っています。人と人、人と町、市・町・村のつながりを大切に地域における文化・風土・風習を守り、未来へ伝えて行かなければなりません。第一に双葉地域において、長きにわたる廃炉事業収束へ向かうところ、避難指示解除からの復興拠点の形成をなすことを通し、自治体間の垣根を下ろし、住民の相互理解の下に連携・協力を図り力の結集を成し、新しい時代を全身全霊を投じて切り開いて行かねばなりません。私たちは、未曾有の東日本大震災、原子力災害から自立自助の精神をもって、愛するふるさとを守り、必ず復興再生することを誓います」と終了にあたって宣言し、来年もこの国際シンポジウムでの再会を参加者に呼びかけた。
  また、今回の国際フォーラムを通じて得られたことが7項目の「被災地・広野町からのメッセージ」として発表された。メッセージは、広野町ホームページ(http://www.town.hirono.fukushima.jp/data/open/cnt/3/1566/1/hironokaranomessage_2015.pdf)に掲載されている。
  最後に、広野町の伝統芸能である「広野昇龍太鼓」が披露され(=写真下)、素晴らしい演奏に会場は熱気と感動に包まれ、参加者の気持ちが一つになったところで終了となった。TAIKO
  国際フォーラムにあたって、原産新聞の取材に応じた遠藤町長は、「このような取り組みが双葉郡の他の地域でも行われ、連携が進むことを期待している。これらを双葉郡の新しい歴史に繋げていきたい。広野町は、生活基盤を整えるという役割を担っていると考えている。さらに地域力、職員力、組織力がそれぞれの力を発揮できるよう貢献していきたい」と今後の抱負を述べた。