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【追悼】澤昭裕氏 エネルギー政策の建て直しに向け力走の中、急逝に惜しまれる声

2016年1月20日

SAWA

第48回原産年次大会にて(2015年4月)

 エネルギー政策への提言者として幅広く活動していた澤昭裕氏(21世紀政策研究所研究主幹、NPO法人国際環境経済研究所所長)が1月16日に逝去した。58歳。通夜は21日午後6時から、葬儀・告別式は22日午前10時30分から、東京・渋谷区の代々幡斎場で執り行われる。喪主は妻の伊津美氏。
 澤氏は、1957年大阪府生まれ。81年に一橋大学経済学部卒業後、通商産業省に入省。87年に米国プリンストン大学行政学修士取得。その後、産業技術環境局環境政策課長、資源エネルギー庁資源燃料部政策課長などを歴任。2004~08年には東京大学先端科学技術研究センター教授を務めた。2007年5月からは、日本経済団体連合会のシンクタンクである21世紀政策研究所研究主幹となり、2011年3月の東日本大震災・福島第一原子力発電所事故発生後は、同所主催のシンポジウムなどを通じ、日本のエネルギー政策の建て直しに向け、冷静かつ建設的な意見を述べてきた。
 目下注目される再稼働の関連で、澤氏は2014年、国会の原子力問題特別委員会で参考人質疑に立ち、原子力発電所を「経済的資産」ととらえ、「止める」のではなく「安全に稼働させる」よう、合理性ある規制法整備が図られるべきと主張していた。また、原産協会関連では、2014、2015年の原産年次大会に登壇したほか、会員フォーラムで原子力安全規制のあり方をテーマに講演を行うなどした。記憶に新しいのは、2015年原産年次大会2日目の4月14日、折しもこの日福井地方裁判所が関西電力高浜3、4号機の運転差止め仮処分を決定したのだが、澤氏は、発言の中で、原子力を巡る「訴訟のリスクは大きい」として、日本の司法制度における問題点を訴えかけるなどした。
 今後もさらなる活躍が期待されていただけに、あまりにも早い旅立ちに惜しむ声も多い。澤氏の業績で、原子力の規制行政や損害賠償問題に関する提言活動・著書についてはよく知られているところだが、同氏はこてこての官僚主義や技術論に徹することなく、女性を中心とするエネルギー関連のフォーラムにも参画し、市民の声を幅広く聴き入れ自身の活動に活かしていた。
 そのような観点で寄せられた2人のメッセージから、故人のエネルギー政策建て直しにかけた気概、気さくなお人柄を汲み取っていただきたい。

作家 神津カンナ氏 「茶飲み話がしたかった」
 澤さんと一緒に、不思議な中華料理のお店に行ったことがある。そこで出てきた一皿に、鳥の舌なるものがあった。澤さんが食べ方を教えてくれる。両脇の軟骨のようなものを指で持ち、歯で削ぐようにして食べるのだという。それで同席した皆は一斉に食べ始めたのだが、思わず私は叫んだ。「こんなに鳥とディープキッスをしたことなんて初めての体験だ!」
 その時、澤さんは破顔一笑。「へえ~、神津さんもそんなこと言うんだ」「言いますよ。エネルギーやら原子力を語るだけじゃないんですから」
 そうしたら澤さんは、シャンプーの成分のことで奥様と言い争いになったこと、愛犬が亡くなって傷心旅行でご夫妻で海外に出かけたが、旅の間中、捨て犬の里親を探すサイトを2人で見てばかりで、景色はほとんど見なかったという思い出、つまりエネルギーや原子力ではない話をたくさんしてくれた。
 たまにはそんな会話で楽しむのもいいだろうと、きっと瞬時に思ったのだろう。
サッカー観戦でご夫妻でスペインにいらしたときは、「弟さんはマドリッドにいるんだよね。弟さんを知ってるという人に会ったよ」とメールがあり、ジャズピアニストのミッシェル・カミロが好きだと文章に書いたら、「僕も好きで、公演があると友だちと行く。今度誘います」とのメールが届く。
 経営するアパレル会社「三澤」のサンプル商品を買いに来ない?とお誘いを受け、木元教子さん、秋庭悦子さん、東嶋和子さん、浅田浄江さん、碧海酉癸さんなど、強烈女子会メンバーで押しかけたことも数知れない。その後は澤さんの他、三澤の若い男性社員方も一緒に飲んだり食べたりした。
 難しい時代に、エネルギーの世界で共に仕事をしてきた同世代。(私と澤さんは一つ違い)過ごした時間のほとんどは、もちろん真面目な仕事の話ばかりだった。分からないと尋ねれば「原賠法」のことも、シンポジウムに向かう列車の中で懇切丁寧に教えてくれたし、福島や柏崎のサイトを共に訪れた時は、澤さんが現場の人たちの士気を鼓舞することを絶えず意識して話していたことを思い出す。
 ミッシェル・カミロの公演にも行きたかった。シャンプーの話も犬の話も洋服の話も、もっとしたかった。あの頃は大変だったといつか茶飲み話もしたかった。仲間を失う哀しみに、いま私はただ呆然とするばかりだ。

学習院大学法学部教授 櫻井敬子氏 「澤昭裕氏を偲ぶ」
 最近、澤さんから音沙汰がないなあと思っておりましたら、突然の訃報に接し、ただただ驚いております。エネルギー政策に通暁する、かくも有為な人材が失われたことは、痛恨の極みです。私の知る澤さんは、エネルギッシュにあちこちを飛び回りながら、様々な関係者の話を聞き、使命感に燃えて前向きの政策提言を発信し続ける、大変存在感のある方でした。
 私が、澤さんとお仕事をご一緒させていただくようになったのは、もっぱら福島第一原発事故以降になります。2011年の未曾有の事故を受けて原子力政策が大きな挫折を経験し、事業者、関連学界、政治・行政がそれぞれに、これまでのあり方をゼロベースで見直し、新しい姿を模索する中で、お話をするようになりました。原子力規制委員会をめぐる組織論、原子炉等規制法のあるべき改正案、事業者にとっての行政手続のあり方、地域住民や関係地方公共団体の法的位置づけ如何、脆弱すぎる原子力防災体制、原子力損害賠償制度の問題点、さらに個別案件に関わる司法判断に対する受け止め方など、どちらかというと、私の問題提起に対して澤さんが関心を持って下さり、良いと思ったところを受け入れて、ご自分の政策提言に生かそうとされていたという構図だったと思います。ご自身の講演で多忙を極めておられるはずなのに、原発訴訟に関する私の話をわざわざ聞きに来られて、「一度聞いた話題のところは寝ています」と言いながら、パソコンに打ち込んでおられた姿が思い出されます。
 何度か、澤さんがコーディネーターを務めるシンポジウムにも参加させていただきました。事前に、私が「そうはいっても、業界的にはあまりキツいことは言わないほうがいいんでしょ?」とふると、「いやいや、ムラの人たちに視野を広げてもらいたいから、どんどん言って」と、鼓舞されるのが常でした。原子力業界をしっかりとした形で再生させたいという熱意には、人を圧倒するものがありました。技術論中心の原子力の世界において、社会科学的な視点を取り入れるにあたり、澤さんはその「結節点」としての役割を、自覚的に担おうとしておられたのだと思います。原子力政策は大きく転換し、これからいよいよそれが本格的に展開されていくであろうことが期待される矢先に、その新しい姿を見届けることなく、突然旅立たなければならなかったことは、さぞや無念であったろうと思います。心からご冥福をお祈りいたします。