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飯舘村村長講演会 物事を総合的に考えながら判断してきた事故後を振り返る

2016年7月14日

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中川東大准教授(左)と菅野飯舘村村長

 菅野典雄福島県相馬郡飯舘村村長と中川恵一東京大学医学部付属病院放射線科准教授による「成長社会から成熟社会へ/飯舘村講演会-飯舘村で起こっている本当のこと」が7月12日、東京大学鉄門記念講堂で行われた。飯舘村は2011年4月に全村域が計画的避難区域に指定されたが、村での将来の生活基盤が失われてしまうことなどを危惧し、一部の事業所では事業を継続してきた。丸川珠代環境相は「環境省としても一日も早い復興を進めていきたい」として、関係者の復興への尽力をねぎらう書面を寄せた。
 中川准教授は、医師や物理士などから成る放射線治療担当グループ「チーム中川」が震災後に飯舘村を訪問した際に菅野村長と出会った経緯を紹介し、避難指示に従ってばらばらに離散してストレスを抱えるよりも屋内退避で家族のような絆を保ちつつケアを続けることを選んだ特別養護老人ホーム「いいたてホーム」などの事例を挙げた。
 菅野村長は、自身が1990年代に聞いた「21世紀はバランスの時代になる」という言葉が、事故から約5年間の判断に影響してきたと語った。日本は問題が起こった時に白か黒かの両極端に陥りがちだが、必ずしもそれだけで解決するものではなく、物事にはプラス面とマイナス面があることを踏まえて総合的に考えることが必要になっていることを強調。特に、原子力発電所事故は地震や津波などの災害とは全く異質であるとして、この先世代を超えて不安と闘っていかねばならないこと、線量の違いで地域が3つに分けられたことで住民の心の分断を招いてしまうこと、子どもたちや若い人が戻ってこなくなってしまうこと――を指摘した。また、飯館村では「真手」を語源とする飯舘村の方言で丁寧に心をこめて取り組むことを示す「までい」に暮らしていくことを目標に掲げていることを紹介した。これまでの大量生産・大量消費型社会から脱皮し、自分さえ良ければという考えでなくお互いに支え合っていくことや、自分でできることは自分でやってから次に他の人を助けていくことなどが大事だと語った。こうした方針は小さな村の生き残り策ではあるが、日本社会全体でも実践していく必要があるとの考えを示した。
 中川准教授と菅野村長の対談の後、飯舘村に避難指示が出た後も同村でロボット産業などのものづくり事業を続け、2011年10月に株式上場した菊池製作所の菊池功社長は、「社員には国の情報、県の情報、村の情報の3つを総合的に判断して、みんなが自ら考えて行動するよう伝えた」と事故後間もない当時の状況を説明した。
 飯舘村は2017年3月31日に帰還困難区域を除いて避難解除となる。