[JAIF] 原産創立50周年・原産協会発足を記念して
    −各界からのメッセージ− 1956-2006

一歩、歩高くして


原子力発電関係団体協議会会長
佐賀県知事

古 川   康

貴協会が設立された50年前は、まだ石炭産業が盛んな時代でした。そのさらに100年ほど前、日本の電気工学のパイオニアといわれる志田林三郎博士は、炭鉱のまち佐賀県多久市に生をうけ、明治21年、時期尚早という反対の声に屈することなく、32歳の若さで電気学会を設立しました。その第1回総会において、彼は将来のエレクトロニクス技術を予測して、後世に残る名演説を行っています。

博士は、「今仮に、予期すべきものを挙げれば」として、
  「一条の電線により、一分時間数百語の速度をもって、同時に数通の音信を送受し得るの時も到るべし。電線を用ひず、数里の河海を隔てて、自在に通信又は通話し得るの節も来るべし。…光を遠隔の地に輸送し、遠隔の地に在る人と自在に相見るを得る方法の発見を望むも、敢えて夢中の想像にあらざるべし。…」
と続けました。(「電気学会雑誌第一号」)

まだ電灯すら一般には知られていなかった時代です。高速多重通信、長距離無線通信、光通信…、今日の高度情報化社会を予測する言葉が次々に飛び出し、果たしてその場にいた何人が、志田博士が見ているものを思い描くことができたでしょうか。

その先見性には、ただただ驚くばかりです。

本年3月、佐賀県は、プルサーマル計画の実施について同意しました。

そこに至る過程で、電力会社・国・県がそれぞれ慎重・推進両方の専門家による討論会を開催し、最後には経済産業大臣から安全確保の確約をいただきました。県民に理解を深めていただくための佐賀県のこうした手順は、後に続く自治体にとって、新しい時代を画するものになったと思っています。また、これからの地球環境とエネルギーの将来を見据えた上での選択は、必ずや歴史の評価に耐えうるものと確信しています。

志田博士と同じ多久出身の儒学者、草場佩川は、「山行同志に示す」という漢詩で、
  登山恰似書生業(山に登るは あたかも書生の業に似たり)
  一歩歩高光景開(一歩、歩高くして光景開く)
と詠っています。

日本原子力産業協会が、これからも常に先見性を発揮され、一歩高い歩みで時代を切り開いて行かれますことを期待しております。


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