[JAIF] 原産創立50周年・原産協会発足を記念して −各界からのメッセージ− 1956-2006 |
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伝統の先見性を引継いで
日本原子力産業会議が発足したのは昭和31年3月。当時、科学技術庁長官だった正力松太郎氏が、電力経済研究所常務理事の橋本清之助氏に、原子力の総合団体を結成してほしいと要請したのがきっかけで発足したと聞く。 なお、米国のアイゼンハワー大統領が国連総会で「アトムズ・フォア・ピース」の演説をしたのが昭和28年。翌29年には、日本で初めて原子力予算が成立する。原産会議はまさに、日本の原子力の黎明期を迎えたその時に、誕生を迎えた。 その原産会議は発足後ただちに、原子力に関する国内外の動向をつぶさに調べて、広く紹介しはじめた。特に海外の情報は、今と違って簡単に手に入らない時代であり、原産会議が紹介する原子力の最先端の情報は、極めて価値の高いものだった。 また、政府に対しては原子力を推進していく上で、必要となる法律や体制整備に関する提案を行うとともに、原子力産業の育成と発展にもさまざまな支援を行った。 なお、原産会議が誕生した同じ年の1月に、原子力委員会が発足。同委員会は翌32年に、第1回の原子力白書を発行する。その白書には、こう書かれている。 「日本原子力産業会議は…多種の海外情報を集め、国内の動きを把握するとともに資料を各会員に提供するほか、海外からの原子力専門家の来日を機会に講演会やゼミナールを開き、また、自ら各種の専門部会を持って調査研究を行い、あるいはアイソトープの利用促進のための展覧会を開催する等の事業を行った」 政府による原子力への取り組みがまだ不十分で、また民間の原子力産業が立ち上がり時を迎えたその時代に、原産会議は自らがもつ知恵と意欲とを十分に生かし、原子力のよりよい推進へ向けてめざましい役割を果たした。その役割の重要性はもちろん、今も変わりない。 それから半世紀の時が流れた。原産会議はもとより、原子力そのものを取りまく状況が大きく変わった。原子力は今や、わが国のエネルギー源として定着し、私たちの暮らしを支える重要な役目を果たしている。また世界のエネルギー需要の伸びや地球環境対応を考えるならば、原子力の重要性はますます高まるものと思われる。実際に欧米では、原子力の重要性が改めて認識されつつある。 そのような中で原産会議は、より戦略的な組織へと改組されたと聞く。今後も原子力の平和利用の促進へ向けて、より一層の活躍を期待する。 |