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 日本原子力産業協会の総会終了後、夕刻に開催された原産創立50年・原産協会発足記念パーティに中曽根康弘・元内閣総理大臣が来賓として出席され、講話と乾杯の音頭を取られました。以下は、同元総理の講話全文です。

原産創立50年・原産協会発足記念パーティにおける

中曽根康弘・元内閣総理大臣の講話


2006年6月26日

日本工業倶楽部にて


原子力産業会議50周年、原産協会の出発、誠におめでとうございます。

実は、私はこの日を待っておりました。というのは、日本の原子力開発がいよいよ重大な時期に入ってきて再出発を始めた、そういう気持ちがして、喜んでいるわけであります。

考えてみれば原子力というものは、放射線利用にせよ動力利用にせよ、日本の産業や科学技術を支える中心軸の一つであるということは疑う余地のないことです。しかし、不幸なことにこれまで、一定の期間、停滞をせざるを得なかったのですが、皆さんの勇気あるご努力によりこれを乗り切り、いよいよ逞しく前進を開始する時を迎えるということで、本日お祝いに参上した次第です。

私は原子力を始めた一人です。科学技術に非常に強い関心を持っており、大東亜戦争では戦場に赴き、この戦争に負けたのは科学技術の差で負けたんだと痛感し、日本を再建する道は科学技術だと確信したわけです。その後、政治家になって科学技術の振興を一途に努力してきたつもりです。その一つが原子力問題でした。連合国軍最高司令官マッカーサー元帥に占領されている時、私は彼に建白書を出しました。その中に原子力の平和利用と民間航空機の開発利用を平和条約で禁止しないように要望を書きました。また、昭和26年1月、ダレス特使が平和条約交渉のため日本に来られた時も、ダレスさんと会って同じような要望を強く出しました。私は日米安保条約に類するような一連の安全保障上の問題も書いてダレスさんと対面したとき、彼はそれを読み終わると、指で差し示して私の顔を見ました。示した場所は原子力平和利用にふれた箇所でした。彼らにとって、日本がこういうことに関心を持っているのかという強い好奇心を示した結果なのではなかったかと思います。

そんなことがありまして、昭和29年に2億3500万円の原子力平和利用研究調査費を突如計上して通過させたのが日本の原子力の始まりであったと思います。幸い 、超党派的な協力を得て、法案を成立することが出来ました。昭和30年にはジュネーブで第1回原子力平和利用国際会議が開かれましたが、そのとき日本は工業技術院の駒形博士を団長にして使節団を送り、我々4人の国会議員もその顧問として一緒に参加しました。社会党右派の松前さんもいましたし、左派の方も一緒に行ったわけです。そのとき他の国の原子力の発展状況を目のあたりにして、これはもう大変だと、1日も早く日本も体系を整えて前進する必要がある 、ということを痛感したわけです。フランス、ドイツ、イギリス、アメリカと各国の原子力施設を見たり、意見交換を行った結果、我々は、超党派で原子力合同委員会というのを作って、原子力委員会設置法等の法体系を一議会で成立させたのであります。これは超党派で行ったから出来たことです。そして、原子力開発利用では、その基本法を作りましたが、特に松前さんからは平和という文字を入れるようにという強い要望があって、我々も同感して自主、民主、公開、平和という基本法の骨格ができたわけです。党派を超え、社会党の方々も協力してくれたといういきさつがありました。

以降は皆様のご努力によりましてここまで原子力の推進が展開されたわけです。初代の原子力委員会委員長は正力松太郎さんで、委員には湯川博士も含まれていました。その原子力委員会は日本の原子力体系を色々作りましたが、将来の構想としては軽水炉から高速増殖炉へ、そして今日いろいろと論議されているプルサーマルというものもすでに入っていました。むろん核融合といった体系も、目論見書としては当時から打ち出されていました。その道を日本は強く歩んできたわけです。電力会社の皆さんは発電に活用され、いまや全電力の3割を原子力発電で賄うまでになりました。原子力発電は、日本のエネルギー問題の解決にこれだけ大きな貢献をするようになったのです。しかしながら、事故やトラブルなどによって、国民の間に不安感が醸成されたのも現実です。この原子力体系というのは今後、相当な国力を費やしても展開し、研究していかなければならない分野であろうと思います。

発電以外の放射線利用の分野でも活発化しております。特に最近は量子ビームの研究がすすんでいます。最近こういう研究が前進したのはアメリカのブッシュ政権が全力をふるって原子力の再展開に力を入れ始めたためです。原子力開発でアメリカは日本と比べ相当遅れてしまっているという状況にあり、このことがアメリカに大きな影響を与えたと思います。日本においては高速増殖炉「もんじゅ」の再開、六ヶ所村の再処理施設もいよいよ試験操業を開始するという状況にもなってきました。その他、関係者の非常な努力によって原子力に対する誤解が解かれ、県民の間に安心感が広がり、発電がプルサーマル利用に向けての客観情勢が大きく好転しています。

「もんじゅ」は改良工事を進め、運転再開に向け、逞しく前進しなければなりません。中間的な措置で満足すべきではありません。原子力体系をはじめた一番のポイントはどこにあるかといえば、燃料のリサイクルにあったわけです。化石燃料と違って何回も繰り返し使える燃料のリサイクルという点で、資源のない日本にとって絶対必要な処置であるということで進められているのです。よって次へ向かって高速増殖炉の全面的展開に進むべきであり、さらには、究極目標である核融合の問題もおろそかにするべきではないと考えます。この点では国際協力でITERという新しい仕事が始められていますが、これも世界が同じ希望をもって、手を握り合った結果でして、私は人類の行方に必ず輝いてくる時が来るだろうと確信しています。日本もその一端を受け持っているわけですから、全面的に努力すべきです。

放射線につきましては、農業から工業、そして医学までいたるところで活用されていますが、何といっても、がんの治療が一番国民に理解されているところです。このように、原子力体系は21世紀の新しい文明体系に向かって進む大きな推進力の一つとなっています。その中でも国民にエネルギーを供給している、電力系統と、医学に使われている放射線系統はもっとも国民が期待している分野であって、安全を確保しながら努力していかなければならないと考えます。

原子力を始めた一番の理念というものは平和と安全です。なぜ最近の日本で原子力発電利用がストップしたかといえば、研究機関や電力会社でトラブルが相次いだためです。原子力に対して国民が危険を感じ始めたわけです。アメリカは原子力利用ということからすると初めドアを閉めてしまった。日本はドアは閉めなかったが原子力推進がほとんどストップした。

これから前進するという時、我々は原子力基本法に書いた理念、国民に対する福祉と安全、それと環境、こういった理念をもう一度改めて確認していただき、関係者の皆さんには何回も再訓練を受け、再び過ちを犯さないよう努力していただきたいと念願する次第です。

今日、このように原産の50周年、原産協会のスタートに当たりまして、皆様方にお会いできることを大変幸せに存じます。どうぞこの原子力平和利用の推進のためにこの原産協会を盛り立てていただきまして、我々の目的が完成できるように是非ともご尽力をお願い申し上げる次第です。

以上
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