日越原子力協力―DNAは引き継がれた 石塚昶雄・原産協会常務理事


10月31日の日越首脳会談で、ニントゥアン省第2サイトの原子力発電所建設について、日本をパートナーとすることが合意された。わが国原子力界における久々の明るいニュースだ。このプロジェクトの日本側窓口となる国際原子力開発(株)はこの合意発表後初めての企画委員会ワーキング・グループを11月2日に開催した。企画委員会は同社社長の諮問機関であり、私もオブザーバーとして出席した。席上挨拶に立った武黒一郎社長は、このプロジェクトを進めるにあたっての第一の条件として、「この事業はベトナムのためにやるのだ」ということを挙げ、何度もこれを強調した。オールジャパンのビジネスを始める最初の日に、改めてこの旗を掲げたことに大きな意義を感じるとともに、過去10年余りにわたって日越原子力協力に情熱を燃やした多くの関係者のDNAは、ここに引き継がれたという感慨を覚えた。

日越の原子力発電所建設協力はいま本格的に開始されたところであり、過去を懐かしんでいるときではないことは承知している。しかしこのひとつの節目に、10年余りにわたって「ベトナムのために」のこころで熱心な活動を続けてきた関係者の断片だけでも記しておきたい。

発端は1999年1月に原産副会長(当時)の故 森 一久氏が、ベトナム原子力委員会(VAEC/現VAEI)委員長等より熱心な要請により訪越し、現地で視察・協議をした後、協力を決意したことであった。同年4月、森氏は、原子力発電を導入して発展させた日本の経験を是非とも日本から学びたいというベトナム関係者の要請を受けて、日本原子力発電の元技術部長岩越米助氏にハノイに赴任してもらうこととした。岩越氏はハノイのVAEC本部に一室を提供され、以降断続的に6年間にわたってVAECの若手研究者の育成にあたった。当時の岩越氏の部屋には熱心な若者が日参し、あたかも松下村塾のようであったと聞いている。2000年3月に原産はVAECとの間で原子力発電導入に関する協力覚書を締結、原産内に日越協力連絡委員会(委員長:金井務・日立会長=当時)を設置して、わが国民間の窓口とした。

原産の日越協力連絡委員会は大学、政府関連機関、メーカー、電力、研究機関、商社などからなる協力の受け皿で、ここを窓口として、専門家の派遣、ベトナム要人や研修員の受け入れ、ベトナムにおけるセミナーや展示会などを実施してきたが、多様な実務の実施にあたったのは、各社の部長クラスや担当者からなる日越ワーキング・グループ(WG)(座長:筆者)であった。2002年から同03年にかけてベトナム・エネルギー研究所(IE)と日本プラント協会がプレFSを実施したが、その核となったのはWGのメンバーであった。さまざまな案件を検討するたびに、立場の異なるメンバーからなるWGはしばしば紛糾したが、決定に至ればメンバー自らが果断に実施にあたった。とりわけ、本来は厳しい競争関係にあるメーカー3社が、このベトナムに関しては、時に対立しながらもこのWGの場で最後は協調し、この10年間、最後まで、ベトナムのため日本輸出のために譲り会い日本連合を堅持したことが、今回の受注につながった最大要因と言っても過言ではないと思う。2005年からベトナム電力公社(EVN)の研修生の受け入れを行った。これはベトナムで2か月、日本で4か月、計6か月の専門家対象の研修コースで、メーカー、電力、研究機関等が分担してこれにあたった。研修生は1回あたり5名から10名の規模であったが、WGのメンバーと原産の事務局員は原子力施設視察の手配にきめ細かく当ったばかりではなく、休日には彼らを観光に案内するなど、日本を知り、楽しんでもらう努力を進んで行った。このような活動ですっかり親しくなった研修生は、我々がベトナムを訪問した際、ボーリング大会を開いてくれるなど、絆を深めるお返しをしてくれた。

2004年からこれらの活動を強力に引っ張ってこられたのは、日越協力連絡委員会幹事長で当時の電事連専務理事の伊藤範久氏(現中部電力副社長)であった。伊藤氏は情熱を持って日越協力を進め、訪越代表団の団長を務めるなど頻繁にベトナムを訪問し、多様な人脈を築かれた。その責務は現電事連専務理事の久米雄二氏に引継がれた。高橋祐治氏は日越WGのメンバーであるとともに、電事連原子力部の副部長を務めていた時と原子力部長として再度着任後の2期にわたって、日越協力に熱心に取り組まれた。

また、利光聰氏の活躍なくして日越協力を語ることはできないだろう。利光氏は東芝の社員として1990年代後半からベトナムの原子力発電導入計画に協力してきたが、ベトナムのためにより自由に活動を行うことから独立を決意し、今日まで日越協力一筋に活動してきた。利光氏の広い人脈と情勢把握が日越協力を支えてきたといって過言ではないだろう。本年5月、その精力的な活動を感謝して、ベトナム政府から勲章を授与されたのは、ベトナムからの信頼の証である。幸いにして高橋祐治氏は国際原子力開発(株)のCOO、利光聰氏は原産ベトナム連絡事務所長を委嘱されるともに、同社のベトナム部長の重責を担われることになり、日越協力に携わった関係者のDNAが、武黒社長の下でしっかりと受け継がれていくことは、疑う余地もないであろう。

日越原子力協力が今日に至るにあたって、柳瀬唯夫氏、高橋泰三氏、三又裕生氏の三代にわたる資源エネルギー庁原子力政策課長の一貫した理解と支援、また政財界のトップの方々のリーダーシップがあったことはいうまでもなく、これらを改めて書き述べることもないであろう。新興国への原子力プラント輸出をめぐって供給国の競争は激しさを増し、諸外国による国家、軍事、文化施設がらみの過剰なオファーがうわさされているが、このたびのわが国官民のベトナムへのアプローチは極めてオーソドックスであったように思う。今後はいよいよビジネスの段階に入り、その厳正さが求められるが、日本らしい誠意で臨み、その結果、わが国の優秀な技術や制度がベトナムの地に活かされ、さすが日本の行ったプロジェクトだと評価されることを願いたい。そのためにはさらに官民挙げて、このプロジェクトの成功に努力しなければならないだろう。

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