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 雄大な自然に抱かれた北海道積丹半島の西側に位置する北海道電力の泊原子力発電所3号機(PWR、91万2千kW)が営業運転を開始した。環境負荷の少ない電源として、安定した電力供給に役割を果たす。安全性や信頼性を高め、工法などにも様々な工夫と改善を盛り込んだ泊3号機の運転開始にあたり、その役割と、技術的な特徴などをまとめた。
                                   (泊発電所関係の写真提供=北海道電力)  

 
 北海道内の電力需要は、着実な伸びをみせており、安定した電源を確保することは重要な課題であった。
 道内の電力需要の伸びは、生活の質の向上や産業活動の進展などを背景としたものだが、全国に比べて石油依存度が高い状況にあり、堅調な需要への対応をはかるとともに、地球温暖化問題への対応に配慮した電源として、原子力発電の役割が期待されていた。電源構成の最適化をはかって、安全かつ安定的な供給力を確保するうえで、泊3号機の増設は重要な位置づけを有し、北海道電力(北電)は重要電源として計画を進めてきた。

 佐藤 佳孝・北電社長は、運転開始にあたりコメントを発表。地元をはじめ道民の理解と協力に謝意を示すとともに、「安全に万全を期す」として一層信頼される発電所となるよう全力を尽くすとした。また同社のCO2排出量を「3号機導入前と比べ2割から3割程度抑制することが可能」とし、環境への負担軽減に果たす泊3号機の意義を示した。同機の運転開始で泊原子力発電所は、設備容量で207万kWとなり、道内で最大の電力供給基地になった。



 電源開発は、計画的に、長期的な視野で開発を進める必要がある。
 泊3号機の増設について、北電が地元に「環境影響評価」実施の申し入れを行ったのは平成8年10月のことであった。その後、約2年にわたって調査が行われ、10年7月に同計画の申し入れが地元町村になされて以降、ほぼ10年の年月を経て営業運転開始にこぎつけた。北電では、1、2号機の立地以来、地元の一員としての活動を日々重ねてきた。

 「地域の皆さんの支えがあってこそ、泊発電所は運転できるのですから」と、北電の地元広報担当者らは気持ちをこめる。地域のイベントに参加、協力することはもちろん、発電所の状況や時々のトピックス、従業員の仕事ぶりを紹介する広報紙を制作して配布するなど、活動の見える化を日常的に実施。こうした取組みを通じた地元住民との信頼関係を基に、泊3号機の増設への地元理解を醸成、平成12年9月に地元北海道知事が正式に受入れを表明した。15年までに、経産大臣の設置許可を取得、着工し20年7月に100%出力に到達。その後運転開始にむけ最終調整等を進めてきた。


  泊3号機は同1、2号機での経験を踏まえながら、最新技術を導入、安全性、信頼性などを向上させている。
  建屋の配置構成は、泊発電所1、2号機と同様にI 型配置と呼ばれる配置とした。タービン建屋が原子炉建屋及び原子炉補助建屋に対して直角になる配置で、建屋相互の干渉が少なくなり、主蒸気管を短くできるなど、コストや工期で有利な面を備えている。  雄大な自然に調和する景観デザインにも工夫を凝らした。学識経験者による指導や地元アンケートなどを実施し、敷地周辺の環境と調和する景観デザインとした。原子炉建屋にはグリーンを基調にしたデザイン、またタービン建屋なども違和感のないデザインにしている。

 泊3号機は、91万2千kWの電気出力で先行3ループプラントに比べ熱効率を向上させている。蒸気タービン設備を高性能化したことはその要因のひとつ。高圧と低圧からなるタービン設備のうち、低圧タービン最終翼に国内で最大となる54インチ翼を採用し効率向上をはかった。また冬場の海水温度が低いため復水器真空度が高まって同じ熱出力から、より大きな電気出力が得られるといった条件が効率向上に寄与した。

 
運転監視機能や操作性の向上として、最新の総合デジタル技術を盛り込んだ運転制御盤を採用。ほぼ全面にタッチパネルを用い、機器の操作スイッチとその操作に必要な運転情報を一画面内に集約して表示する。
 さらに万一プラントに異常が発生した際には、プラントの状態や機器の動作状況を自動的にチェックして、必要な情報を提供するなど、運転員を支援し運転員の負担を軽減するシステムを搭載した。
 また、従来に比べて、大きさを五割程度削減し、運転員の移動距離を短くするなど運転性を向上させた。
(写真上は、新型運転制御盤のイメージイラスト)

 原子炉建屋など主要な建屋は冬の来る前に先行して鉄骨を組み立てて、なかに作業場を養生して、作業を途切れなく行った。

 平成17年に実施された原子炉格納容器の建設は、一年間(春から秋の間)で終了させるために建設工事工程の短縮を検討し、直径40メートルもの原子炉格納容器の頂部半球部を地上で組立て、一体吊り込みという初めての工法を採用した。(写真右は、一体吊込み工法を採用して進められた格納容器の建設風景)

 この工法は、現場で組みあがる原子炉格納容器の円筒部と、その上に搭載される頂部半球部とが、別々に組み立てられて、両者を合わせて仕上げるというもので、高い技術を求められる作業だったが、計画通り完了させた。

 平成19年には原子炉容器などの一次系主要機器、二次系のタービン発電機等の据付など相次ぎ、建設工事は最盛期を迎えたが、滞りなく進捗した。主契約者の三菱重工はじめ三菱グループなど関係企業が最新技術と知見を随所に盛り込んで、プラントの性能向上や工程通りの作業進捗を支えた。

 「特別なことをするということではなく、建設に携わる関係者が、協力企業含めて一体となって安全を最優先に、また効率的に作業を進めてきた」と現場の安全を預かってきた北電の技術担当者は話す。運転を開始して以降もそれは変わらない姿勢だ。

 「1号機から3号機まで、安全で安定した運転を日々守っていく。そのために協力企業を含めてコミュニケーションをしっかりとっていく」。 

 これまで、泊発電所内で、建設、運転の安全を期して浸透させてきたスローガンがある。 「A当たり前のことを、Bボンヤリせずに、Cチャントやる」 いわゆる“ABC 運動”だ。
 同発電所内にいま掲示されているこのスローガン。今後も日々、現場の安全確実な作業に徹底される。


 
泊発電所が立地する泊村は、エネルギー供給地としてその歴史は長い。  北海道では最古の茅沼(かやぬま)炭鉱を擁し、明治から昭和にかけて、北海道の重要なエネルギー供給地の役割を果たした。時代は石炭から原子力へ移り、今や北海道の最大のエネルギー供給拠点となった。

 “積丹ブルー”といわれる青い海。奇勝織り成す海岸線が続く一帯は、国定公園に指定され、雄大な自然がひろがる。泊発電所の地元は、こうした景勝の地でもある。泊村、岩内町、共和町、神恵内町は岩宇(がんう)地域と呼ばれ、山海の幸に富み、温泉も。訪れる旅人の旅情を満喫させてくれるこの雄大な自然は、洋画家の木田金次郎(岩内町出身)、西村計雄(共和町出身)を育んだことでも知られる。

 俳人の中村草田男は「はまなすや 今も沖には 未来あり」と詠んだ。ハマナスは北海道の道花だが、過去から未来へ、同地域は北海道のエネルギーと産業の進展を支え続ける。 
 


 このページは、平成22年1月5日付け第5面に特集した企画ページを、Web版としてまとめたものです。