特集 「遺伝的影響を心配する必要はない-福島への誤解」

2018年3月8日

東京大学名誉教授 早野 龍五

MRIレポートの衝撃

昨年秋、三菱総合研究所(MRI)から「東京五輪を迎えるにあたり、福島県の復興状況や放射線の健康影響に対する認識をあらためて確かにすることが必要」と題した、レポートが公開されました 。東京都1000人、福島県500人へのアンケートに基づく貴重な調査です。
レポートを読んで、私も含め、多くの方が衝撃を受けたのは、
「東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射線被ばくで、次世代以降の人への健康影響が福島県の方々にどのくらい起こると思うか」
の質問に対し、東京都の約50%の方が「可能性が高い」と回答されたことです。
個人的には、以前から、このような調査の結果を知りたいと思っていました。福島県内で同じ調査をすると、「可能性が高い」と回答される方の割合が極めて高いことが知られていたのですが、
「もしかしたら、県外ではもっと高いのではないか」
という危惧があったからです。そして、その危惧は現実のものとなりました。

福島県が事故後毎年実施している、県民健康調査「こころの健康度・生活習慣に関する調査」で、避難区域等の成人を対象に同じ質問をした結果、「可能性が高い」と回答された方の割合は

  • 平成23年度 約60%
  • 平成24年度 約48%
  • 平成25年度 約48%
  • 平成26年度 約38%
  • 平成27年度 約38%

でした。ご覧のように、直近の数値は、東京都の方が高いのです。
東京電力福島第一原子力発電所の事故から満7年が経ち、多くのデータが蓄積されて、今回の事故で放出された放射性物質による健康影響は、多くの皆さんが思っていらっしゃるよりも、はるかに少ないということが明らかになりました。加えて、原爆放射線による遺伝的影響が見られないことが知られています。にもかかわらず、福島での遺伝的影響を心配なさる方が多いのです。放置すれば、偏見や差別が長く続いてしまうかもしれないと危惧されます。

私と福島との関わり

私は東京大学で物理を教え、スイス・ジュネーブにあるCERN(セルン)研究所で、原子物理学の実験をする研究者でしたが、2011年3月11日に起きた東日本大震災と、福島第一原子力発電所の事故に際し、たまたま私のツィッターの「つぶやき」@hayanoが多くの方々の目にとまったことがきっかけとなって、この7年間、福島県内のお医者さんなどと協力して、住民の被ばくに関する測定や、情報発信を続けてきました。
この7年間、私が特に重視してきたのは、目に見えない放射線を「正しく」測定することと、その結果を「適切に」お伝えすることです。これまでに行った数々の測定の結果は、論文として記録に残すとともに、ツイッターや、マスメディアを通じて住民の方々にお伝えする努力をしてまいりました。また、これに関連した糸井重里さんとの対談をまとめた本「知ろうとすること。」は、多くの方に読んでいただきました。

福島の内部被ばくと外部被ばく

みなさんご存知のように、地球上には、地球が誕生した時から天然放射性物質があり、また、宇宙からは常に宇宙線が降り注いでいます。これらにより、事故がなくても、私たちは外部被ばくをし、天然放射性物質を食べたり吸い込んだりして、内部被ばくをしています。日本人は、両者を合わせて平均で年に2.1ミリシーベルト被ばくしているとされています。事故の影響を見る際には、誰もが避けることのできない自然放射線による被ばくとの比較が、一つの客観的な目安になります。
私は、2012年に、福島県内の民間病院と協力し、ホールボディーカウンターという装置を使って、30,000人以上の内部被ばくを測定しました。
測定の結果、子供は100%、大人も99%は検出できるほどの放射性セシウムが体内に無く、事故がもたらした内部被ばくは、天然放射性物質による内部被ばくよりも、一桁以上低いことがわかりました。この測定値は、1960年代前半、大気圏内核実験によって日本中の農畜産物が汚染されていた時代よりも、低いレベルです。この結果は2013年に論文として発表し、国連の科学委員会UNSCEARの報告書にも採録されています。
私たちが2012年当時使っていた装置は、もともと大人用に開発されたもので、小さなお子さんを測定することができませんでした。しかし、お母さんたちからは、「私は結構ですから、この子を測ってください」、という声が多かったので、2013年に乳幼児専用のホールボディーカウンターである「ベビースキャン」を開発し、福島県内に3台設置しました。
それ以来、10,000人以上の乳幼児を測定してきましたが、放射性セシウムが検出されたお子さんは一人もおられません。

2013年頃から、私は、重点を徐々に外部被ばくの測定に移しました。ここで特にご紹介したいのは、福島の高校生たちと共同で行った、「世界の高校生の外部線量比較プロジェクト」です。
このプロジェクトでは、福島県内外の日本各地、フランス、ポーランド、ベラルーシ、合わせて200人以上の高校生が、個人線量計を2週間携帯し、その結果を比較しました。調査の結果、福島県内の自然放射線と事故由来の放射線を合算した外部被ばくは、その他の地域の、自然放射線による外部被ばくに比べて特に高いわけではないことが分かりました。それどころか、花崗岩からの自然放射線が多い、フランスのコルシカ島の方が、福島よりも外部被ばくが多かったのです。この結果は、高校生を含む233人の著者の共著論文として英国の専門誌に公表し、世界中からこれまでに10万件近くダウンロードされています。
2018年現在、福島で、内部被ばくのリスクは無視しても良いほど低く、外部被ばくも、人が居住している地域では、他の地域とあまり変わらないレベルまで低下しています。科学的には、安全に暮らせる状況だと思います。
しかし、そのことを納得し、安心して暮らせるかどうかは、人によって違います。例えば、ベビースキャンを受診されるお子さんの保護者からは、「水道水を飲んでも良いですか」とか、「外で遊ばせても大丈夫ですか」など、現在でも、事故直後と同じ質問が寄せられているのが現実です。また、これまで見つかった甲状腺がんは、原発事故が原因でないことが、国際的なコンセンサスになっていますが、そのように言われてすぐに不安が解消されるわけではないでしょうし、手術を受けられたお子さんのフォローなどにも課題が残ります。

誰に何をお伝えするか

「測って伝える」。これは、私たちがこの7年間重視してきたことです。住民の方に、ご本人の実測データをお伝えし、話を聞く。このような個別的対応の重要性は、多くの方が指摘しておられますし、現在でも必要としておられる方がおられることは確かです。
しかし、これだけでは、遺伝的影響があると思っておられる方々(東京都では50%でしたが、おそらく日本全国でも同程度に高いのではないでしょうか)には大事なことが伝わりません。
すなわち、広島・長崎の原爆投下以来70年以上に及ぶ調査によって、原爆放射線による遺伝的影響が、被爆二世に及んでいないことが、明らかになっています。広島・長崎よりもはるかに線量が低い福島で、子孫に何かの影響が出ることは、考えられません。遺伝を心配する必要は無いのです。
しかし、約半数の方が、影響があると考えておられます。福島で生まれ育った若い方々が、いわれのない偏見・差別を受けないようにするためにも、放射線とその影響に関し、科学的な理解を育む教育に、わが国はもっと力を入れねばなりません。

自然界に放射線が存在すること、自然放射線と同程度の放射線を受けても健康への影響を恐れる必要がないこと、放射線は医療や産業などで広く利用されていることなどに加え、放射線被ばくが「うつらない」こと、原爆放射線を受けた方々の子孫に放射線の影響が認められていないことなど、しっかりと教える必要があるでしょう。日本は、広島・長崎の不幸な歴史から学んだことを福島に生かすべきです。