[原子力産業新聞] 2000年9月21日 第2055号 <2面>

[原子力学会] 青森で2000年秋の大会

木村守男青森知事、学会活動に期待示す

日本原子力学会の2000年秋の大会が15日から17日までの3日間、青森市の青森大学で開かれた。開催初日には、木村守男青森県知事も歓迎のあいさつを行い、「原子力研究の促進が安全のさらなる向上につながり、県民の不安解消にもつながることを期待する」と、学会活動に対する期待を示した。


青森での開催にともない初日の15日に行われた招待講演では、三内丸山遺跡の発掘とその研究について青森県教育庁の岡田康博・文化財保護主幹が最新の状況を報告。現在までに同遺跡からの出土品の研究によって、当時の縄文人の衣食住について「徹底した資源のリサイクルに根差していた」など当時の生活の様子を解説した。また「主に栗を主食としていた状況と周囲に栗林が人工的に栽培されていたことが分かってきている」とし、狩猟・採集に加え栽培を生活の基礎とする、これまで考えられていた以上に高い生活文化を形成していたことが次第にわかってきていると説明した。

原子力学会では近年、技術的な専門研究の推進に加え、リスクなどをめぐる社会的な研究にも注力している。

2日目の16日には、原子力安全委員会の松原純子委員長を座長として、「リスク認識」をテーマに5つの関連報告が行われた。

科学技術の社会受容性や、受容されない要因の分析に関して研究している若狭湾エネルギー研究所と京都大学の研究グループは、原子力施設の立地する福井県民に対する調査をもとに報告した。結果、原子力発電はおおむね受容されているものの、高速増殖炉に関しては、技術の未知性や危険性などの面から受容レベルに達しておらず、原子力発電と高速増殖炉が認識としては異質のものと理解されている結果が明らかになったとした。

また、COP3 後のエネルギー選択に対する一般人の考え方について、関西地域の3,000人へのアンケート調査を行った原子力安全システム研究所の橋場隆氏は「現状のまま社会が進む場合、将来の、主要電源としては、ほとんどが原子力発電を選んでいる」などの調査、分析結果を明らかにした。反面、環境問題を理由に原子力を選ぶ傾向は必ずしも明確でなく、原子力の選択は、やはり原子力に対する信頼の問題に帰するとの見解を示した。

同日午後には「国民の理解を得るためには何をなすべきか」と題する市民公開フォーラムとして、「社会との交信のあり方、とくに女性の立場から」をめぐり、電力会社などで広報関係に携わる女性社員や報道機関の女性記者など6名によるパネル討論が行われた。

討論に先立って基調講演した日本原子力産業会議の宅間正夫専務理事は、特に冷戦時代後にみられる社会の変化が「生産者の論理から消費者の論理への転換」を基調としており、「説明」「合意」「選択」が求められる社会に変容しつつあるとの認識を示した。そのうえで、原子力についても、信頼を得るうえで「人の顔が見える形での情報公開が必要であり、わかってもらえなけれぱ情報とは言えない」などとして、付加価値の高い情報発信が重要との見解を示した。また社会との接点を持ちうる柔軟な技術開発アプローチ、倫理の問題を含めた教育の充実が不可欠であると述べた。

続いて、パネリストからは専門家からの情報発信をめぐって、特にその伝え方に注文が相次いだ。日本原子力発電の小川順子氏は、専門家としても説明する責任の一端があるとして、一般の人に対しては「小学校6年生に分かる程度」の内容にかみくだ<ことが必要であり、信頼感は情報の正確性よりむしろ「話す人の表情や姿勢にある」ことを強調した。中国電力の坂本和子氏も「OHP を見ながらの発表は学会のなかでだけのこと」と指摘し、「専門家にも、もう少し話し方を学んでほしい」と話した。坂本氏はまた教科書問題について「学会に強力なチームを作って取り組んで欲しい」と注文をつけた。一方、三菱重工の千歳敬子氏からは、原子力を勉強する際に簡単なパンフレットか、さもなくば専門的で難しい解説書しかな<「丁度よいレベルの本がなかった」などとして、教育素材の提供を含めて、学会に対する期待を述べた。パネル討論では、このあと国民合意、教育問題などをめぐり、会場参加者も交えて熱のこもった議論が展開した。


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