[原子力産業新聞] 2000年9月21日 第2055号 <4面>

[レポート] 21世紀の原子力「高レベル廃棄物処分がカギ」

神奈川大学名誉教授 川上幸一

[はじめに]

不況の中での構造改革。日本は戦後初めての大きな曲がり角に差しかかっており、原子力の開発・利用体制も様変わりしようとしている。しっかリ進路を見定めて舵を切らなければ、原子力政策が漂流しかねない懸念もある。回顧談が多くなると思うが、40年近く原子力にかかわってきた縁で、私なりの現状認識を述べてみたい。

[核燃サイクルは「産業団塊」]

当面の課題である高レベル放射性廃棄物の処分は、今秋にも事業主体 (「原子力発電環境整備機構」) が設立され、処分費用の積み立ても開始される運びとなった。その前進をとりあえず喜びたいが、事業主体が発足してからが、まさに処分への取り組み本番になる。21世紀の原子力を象徴する好スタートが切れるかどうか。

この40年を振り返ると、日本には核燃料サイクルの産業的確立について、自主的な政策がなかったとあえて言わざるを得ない。昭和40年代に再処理工場の建設が見送られ、"国内サイクル" 論が葬られて以来、重要な政策決定が先送りされる場面を何度見せつけられたことか。今日ようやく軌道に乗りかけた高レベル廃棄物の処分も、少なくとも十数年の遅延を重ね、処分をめぐる情勢を難しくしてしまった揚げ句の決定であった。

今更のことだが、核燃料サイクルは複雑な産業連関である。連関のどの部分かが未成熟なら、連関の全体が機能しない。(例)−燃料の国内加工を含め、サーマル・リサイクルがもたもたすれば、建設中の再処理工場 (青森県) が完成しても、フル運転できない。その影響はいずれ、高レベル廃棄物の処分計画にも及ぶだろう。

その意味では産業連関と言うより、大きな産業団塊と言う方がぴったりか。その意味は、既成の産業をつなげるのでなく、団塊を団塊として一体的に育成するしかないことを指す。当然長期間を要し、団塊の全部分に対する厳しい持続する目配りがなけれぱ、サイクルの完成は到底おぼつかない。

現在、長期計画策定会議が開かれており、サイクルの確立、プルトニウム・リサイクルの貫徹について、明確な意思決定がなされるようだ。そのことを評価したいが、その実行を保証する体制の方はどうなのか。サイクルの全体に常に目を光らせる中核の役割はどこが担うのか。

そのことを懸念するのは折柄、大掛かりな省庁再編が進行しているからだ。その荒波をまともに受けているのが原子力のように見える。原子力委員会、原子力安全委員会は内閣府に移されるというが、事務局の科学技術庁は事実上解体され、スタッフと研究開発機関は、経済産業省と文部科学省に分散配置される。両委員会とも手足をもがれるように見えるが、幸か不幸か安全性にかかわる事故が相次いだため、原子力安全委員会には100名程度のスタッフが置かれるとも聞く。(経済産業省に新設される原子力安全・保安院を含めると、原子力安全規制に関わるスタッフは数百名にのぼるであろう。)

それでは、原子力委員会の方はどうなのか。少し酷な言い方だが、長期計画の改訂を最後に普通の審議会に身を落とし、時流のままにやがて消滅の運命をたどることも、諸外国の例からはないとは言えない。日本の場合、それでよいわけはないが、これまで委員会が果たしてきた原子力平和利用の中核の役割は、今後とも委員会が担うのか。原子力委員諸公はこの問題でなぜ発言しないのか。

[透明性こそ処分事業の成否を左右]

体制問題はしばらく置いて、高レベル廃棄物の処分に話を移そう。

高レベル廃棄物の処分は一口に言って100年事業である。100年かけてやっと、1つの処分場が出来るか出来ないかだ。しかもその後になお、超長期にわたる処分場の閉鎖後管理の問題が残る。数世代でも終わらぬ事業をせいぜい3〜4年の出向者交替でつなごうとしても、目的の継承、完遂は難しい。腰を据えて処分に情熱を注ぐ人材が事業主体にどれだけ送り込まれ、その人達を政府や電力会社が真剣に支援するか。処分の成否はまずその点にかかっている。

一定の準備期間の後、事業主体は予備調査地点 (法律では「概要調査地区」) の選定に取りかかる。高レベル放射性廃棄物処分懇談会 (近藤次郎座長) は、選定過程 (手続き) の透明性を重視し、調査地点の公募も行うべきだとした (懇談会報告書・99年5月)。しかし、事に当たる通産省は、「公募してもどこも手を挙げないのでは・・・」と刃び腰で、地域振興助成など従来型施策に力を入れようとしている。それが不必要とは言わないが、透明性がいかに重要かの認識が不足してはいないか。

一案だが、選定の開始、地点の公募を、調査地点のおおよその適地条件も示しながら、政府と事業主体が共同発表してはどうか。そうすることで選定の実施が国民に周知される。その上で、適地と思われる地点にも接触すればよい。初めに「密談」あり、その情報が漏れ、住民には寝耳に水で、不信感を募らせる。そんな悪循環はもうこの辺りで断ち切りたい。

処分の手順は概要調査から「精密調査」(サイト特性調査) へ、処分場建設地の決定から処分坑道の掘削へと段階を追って進む。そのどの段階でも、必要な原則は情報の全面公開に尽きるだろう。作業の現場を住民に見てむらい、時間をかけて対話を重ねる。それ以外に処分の実際を理解し、受け入れてもらう「近道」はない。地層処分研究所 (2か所) の開設も大事だ。住民の意志の尊重を常に明確にし、処分場は地域 (住民) と事業主体とが共同でつくるものという、連帯感が育つことに期待をかけたい。

対話の中では、処分場の閉鎖後管理など超長期の問題の質問や要求も出るだろう。それらへの答えは当然用意すべきだが、安易な約束は避けた方がよい。例えば、低レベル廃棄物の管理期間に比べ、高レベルは5〜600年位が適当という説には、何の科学的根拠もない。この問題は閉鎖段階を迎えた時に、処分の実際を見てきた住民がどんな意思決定をするかにかかっている。いま重要なのは、住民の意思を尊重するという政府、事業者の姿勢が信頼を得ることであろう。

付け加えれば、成立した法律にも「知事と市町村長の意見を十分に尊重する」ことが書き込まれた。しかし、それは言わば行政上の手続きを示したもので、肝心なのは住民全体の意思である。住民から要求があれば、住民投票も避けて通れないだろう。すべての民主的手段を尽くして、高レベル廃棄物の処分が前進した時に、逆風を受けている原子力発電に将来への展望が開けるだろう。

最終処分施設建設選定までの流れ

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2000年 -実施主体 (原子力発電環境整備機構) の設立
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実施主体による概要調査地区選定
l 概要調査地区における調査
l (地質調査、ボーリング調査など)
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2010年 -実施主体による精密調査地区選定
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  • 精密調査地区における詳細な調査
  • 安全評価に必要なデータの整備
  • 処分技術の実証等
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2020年 - l
実施主体による最終処分施設建設地選定
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[内閣府原子力委員会の役割]

再び、原子力体制の問題に戻ろう。

だいぶ前になるが、防衛庁が「推進力ならよいのでは−」と、原子力潜水艦の導入を打診してきたことがある。しかし、原子力委員会は平和利用原則に反するとしてこれを拒否した。古い話しを持ち出したのは、平和目的を貫くことが被爆国日本の悲願であり、原子力委員会の設置以来、独立性を持つ (政権交代に影響されない) 委員会の第一の任務とされてきたからだ。

内閣府に移っても、委員会の独立性− 「総理大臣もその決定を尊重する」(委員会設置法第23条) −が保証されるのかどうかを懸念する。例えば、成立した高レベル処分法では、処分の基本方針および全体計画を通産大臣が「原子力委員会の意見を聴取」した上で決めるとしている。読みようでは、大臣が普通の審議会の意見を聴いて決める。つまり、通産省と原子力委員会の立場が主客転倒したようにも受け取れる。こういうなし崩しは困る。

原子力開発も産業化が進んだので、経済産業省の比重が高まるのは当然でもある。しかし、研究開発部門は文部科学省に移され、その間の連携、調整の問題が生じている。その他の省庁分も合わせ、しっかりした舵取り役は依然必要だろう。

より積極的に考えれば、日本の周辺情勢も変わっている。日本は平和利用の研究協力を進めているが、東アジア、東南アジアでは非核化の条体が熟しつつあるように思える。平和利用3原則は「国内原則」にとどまってきたが、これからは受け身の姿勢を徐て、3原則を国際的にも広げ、非核化の問題でも発言する時機がきているのではないか。そのような原子力委員会像は私の夢か。

新原子力委員会については言いたいことがなお多々あるが、話が細かくなるのでこの位にしておく。いずれにせよ、新委員会の仕事はこれまでより簡易で、集約的なものになるだろう。長期計画を5年ごとに、2年間もかけて改訂する「お祭り騒ぎ」は時間と人力の浪費に過ぎぬ。優秀なスタッフと少数の常設委員会で、本当の問題点をキャッチし、迅速に審議し、勧告を出すこと。各省が意見を求めて来ればもちろん、求めて来なくとも勧告は出せるだろう。それでこそ原子力委員会の独立性が保たれる。

原子力開発の初心を忘れず、今後の健全な発展を願うや切である。


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