[原子力産業新聞] 2001年7月12日 第2095号 <4面>

[寄稿] 世界の原子力従事者駅伝−バトンに熱い思いこめ

原子力発電技術機構 原子力安全解析所
主任解析員
菊池 宏
【概要】

「原子力産業で働く私たちが、国境を越えて力を合わせ、原子力に対するポジティブなメッセージを発信しよう!」という主旨のもと、世界各国の原子力発電所や再処理施設の第一線で働くランナーが1年に1度集まり、駅伝をしながら原子力PAを行うというユニークなイベント「原子力従事者駅伝大会」 (Nucworkers Maximarathon) がある。

今年は、5月16日から18日の3日間、ロシアの首都モスクワに世界14か国から約1000名の原子力ランナーが参加して開催された。この大会に日本から電源開発の深野琢也氏と筆者の2名が参加した。私たちのメッセージをバトンに込め、各国のランナーがお互いに力を合わせて、ゴールを目指して走り繋いだ。

スタート地点は、モスクワの西南西360kmにあるスモレンスク原子力発電所 (RBMK-1000型、1000MWe 3基) のあるスモレンスカヤ市 (人口約35万人)。ベラルーシとの国境にほど近く、ロシア陸上交通の要所でもある。

私たちは、世界の仲間と初夏の香り漂うロシアの大地を走り、道行く人たちに原子力をアピールしながら、楽しく走ることができた。ひと味違った原子力PAのイベントをご紹介する。

【大会の足どり】

初日 (5月16日)

参加者を乗せたバス30台以上の大編隊は、ロシア警察による警備のなか、高速道路を封鎖してモスクワからスモレンスカヤに向かった。大移動のスケールの大きさに思わず興奮する。

スモレンスカヤでの歓迎セレモニーで、プレスカンファレンスヘの出席要請を受けた。ロシアのプレスから六ヶ所村の再処理施設について訊ねられ、ロシアでの注目の高さに感慨を覚える。

歓迎パーティの席上、ロシア主催者代表に日本チームからのメッセージとお土産を手渡した。そして、バトンの全参加国による請願書とともに日本からのメッセージをプーチン大統領にお渡しするようお願いして、私たちがこの大会に参加するひとつの目的は達成できた。

パーティが終わると、夜空に花火が打ち上げられ、市民や参加者の大歓声のなかスタートヘの緊張が高まるのを感じた。

2日目 (5月17日)

早朝、大勢の市民に見守られるなかで、いよいよモスクワまでの総距離360kmのサバイバルが始まった。最初のハイライトは、沿道を埋め尽くした市民や子供たちの声援を受けての参加者全員での序走である。それぞれが思いおもいのポーズで声援に応えながら5km程離れた第1中継点まで駆け抜けた。

第1中継点からは、本格的な駅伝走行となる。各国チームが7つのグループを作り、ほぼ10km毎に順番に駅伝リレーが行われる。第1区間は、ロシアチームがバトンをリレーした。日本チームは、フランスの COGEMA チーム及びスロバキアチームと共に第7区間受け持った。これから、7時間毎に約10kmの区間を4回繰り返して走るハードなレースに挑むことになる。

この間、バスでの移動中、主催者の原子力従事者世界会議 (WONUC:World Council of Nuclear Workers) のマイシュ会長にインタビューを行い、この駅伝大会の意義や日本への期待等について語ってもらった。会長は、「地球環境を含めた人類の未来にとって原子力が必要であり、それを世論に訴える方法としてスポーツの効用に着目し、この駅伝大会を始めた」とのことであった。そして、「日本にはアジアの代表として期待しており、将来、日本でも開催できることを希望している」とも述べられた。

私たちからは、「日本でも、原子力従事者である私たちが、直接市民にメッセージを発信すべき時がきている」と述べ、日本チームのメッセージを会長に手渡した。

駅伝中は、食事や休憩で立ち寄るレストランが国際交流の場となる。日本から持ち込んだ扇子、風呂敷、鉢巻きが大人気となる。そして、ビール、ウォッカに加え、日本酒での「カンパーイ!」の合唱がレストラン内に響く。各国チームのテーブルで歓待を受け、手作りの個人参加でもこれだけ出来ることを実感した。そして、洋の東西を問わず原子力で働く仲間のハートは同じであることに、胸が熱くなるのを感じた。

3日目 (5月18日)

夜通し走り続け、みんなで励まし合った360kmの道のりも、いよいよフィナーレが近づいた。モスクワ市内に入り、ロシア原子力省 (MINATOM) の官舎前からクレムリンの赤の広場まで、約3kmを参加者全員で走って行進した。

赤の広場では、プーチン大統領の代理出席したルミャンツェフ原子力相に走り繋いできたバトンの中の請願書を手渡し、原子力開発の必要性と安全確保に携わる世界中の原子力従事者の熱意を伝えた。

大会後の表彰式にて、日本チームは大会への貢献が讃えられトロフィーを授った。お礼の言葉として、「住む国や話す言葉は違っていても、同じひとつの地球で働く私たちの友好関係を築き、共に原子力の未来に貢献していこうではないか」と呼びかけた。

【感想、そしてこれから】

日本からたった2人だけの参加だったが、世界から見た日本の存在は想像以上に大きく、かつ好意的なものだった。同時に、期待に対応したレベルの責任を果たすことも大切であると感じた。来年は、日本と国情が比較的近いスウェーデンで開催されるとのこと。これに向けて準備を始めたいと考えている。


ロシアでの私たちの珍道中 (?) をビデオCDに納めました。このユニークな駅伝に興味を持たれた方は、下記まで連絡 (電子メールで) 頂ければ、CDを発送致します。そして、ご感想やご意見をお寄せ頂ければ幸いです。

【連絡先】原子力発電技術機構 菊池宏 (h-kikuchi@nupec.or.jp)


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