[原子力産業新聞] 2002年1月7日 第2118号 <2面>

[展望] プル利用の理念明確

計画実施へ国民的議論が必要

2002年。まずは原子力関係者が共に新たな年を迎えたことを慶びたいところだが、我々の眼前に広がる大地に明確な道標は立てられていない。国内では、史上最悪の雇用情勢などと新聞に見出しが踊り、狂牛病発生と行政の対応の遅れに代表されるような社会不安が後を絶たない。世界的にも昨年9月11日の米国での同時多発テロ事件が人々に残した傷跡はいまだ癒し難い。こうした中、我々は視線の先に何を見定めて歩きだそうとしているのか。

今年、原子力関係者は、我が国がプルトニウムを利用しようとする意義をあらためて真正面からとらえ、再定義を試みてはどうだろうか。

限りあるウラン資源を飛躍的に使うことができるとして本格的なプルトニウムの利用に向けた青写真を描きつつも、これまで明確な理念が確立していないのが現状だ。総発電電力量の30数%以上を安定供給し、我が国の社会・経済の維持に不可欠となった原子力発電によって平和的に生み出されるプルトニウムをどうすれば「国が持つひとつの貴重な価値」と位置付けられるのか。客観的科学的データを基に、国民的レベルで真剣に議論してみることが今こそ必要ではないか。こうして我が国の将来の原子力エネルギー利用の方向性を見い出す中から、まず「現実的なプルサーマル計画への課題をどう解決していくか」が問われてくるのであろう。

柏崎刈羽発電所で計画されていたプルサーマル計画は、方法論での是非はともかく、昨年5月に行われた刈羽村住民投票の結果、実施延期を余儀なくされた。福島第一発電所での計画も複雑な要因が絡み停滞をきたしている。プルトニウム利用への理念の確立とともに技術と社会の関わりについて、こうした現実から我々が学んだ事は何だったのか常に反芻してみることが肝心だ。

もともと、プルサーマルの安全性に問題があるわけでもないのに、これだけ実施が遅れるのは、安全性の説明や考え方にスキがあることも影響している。年の瀬に発表された関西電力のMOX燃料加工中止決定は、その意味で大きな教訓を示している。今年こそ、遅れているプルサーマル計画は実現させなければならない急務だろう。青森県六ヶ所での再処理工場の建設は2005年7月の操業を目指して順調に進んでいる。50基を超える軽水炉の燃料として国内でのプルトニウムリサイクルが明確に見通せずプルトニウムが計画的に活用されない事態に陥れば、再処理事業自体が行き詰まりかねない。ましてや、動きはじめた国内MOX燃料加工施設計画にも影響する。

プルサーマル実施に危機感を抱いた国や電気事業者は組織体制を整え、国民への理解へ取組みを強めている。最近盛んな産消対話もこうしたキャンペーンの一環だ。だが、努力が結実するためにも、国民各層に真にプルトニウム利用への理解を深めてもらう必要がある。「2010年までに全国の電力会社で16から18基のMOX装荷」を目標に掲げている以上、個々の事業者と立地地域の間での信頼構築が第一とはいえ、それだけで済む話ではない。

こうした点からも、原子力委員会に確たる力量の発揮が求められる。政府横断的で重要な政策を司るとして、省庁再編で内閣府に移行してから1年が経過したが、強い鼓動が伝わって来ない。民間事業者が主体的責任のもと多くの分野で原子力開発利用を支えているとはいえ、長期的視野に立ち我が国の原子力が直面する根本的問題解決への道を拓く使命は民間だけでは果たしえないものだ。原子力委員会は民間の主体的役割を奨励しながらも、常に自らに挑戦的な命題を与え、国の原子力政策の「扇の要」としての姿を強く示していくべきである。

こんにちの世界は我々の予測を超える出来事が何時いかなる時にも起こる可能性をはらんでいる。米国での同時多発テロ事件はその典型的な例だが、平穏な国民社会を襲う危険は何も今回のような常軌を逸する暴力行為だけとは限らない。例えば、対外依存度の極めて高い我が国のエネルギー供給に危機が訪れないと誰が断言できるだろうか。我が国は国際協調に率先し世界的な危険回避に力を注ぐことは当然であり、それ自体が我が国の存立基盤強化につながることを認識すべきだ。

昨年9月の米国でのテロ車件に話を戻すと、これを契機に、我が国も含め各国が原子力発電所などへのテロ対策を強化した。どのような施設にせよ、こうした許しがたい愚行が二度と繰り返されないことを祈りながらも、ここで重要なのは、一般の人々に原子力施設に対する不安感を助長しないことへの配慮を忘れないことだ。原子力施設を決して特殊な存在に押しやってしまってはならない。原子力施設は深層防護思想に基づき、テロのような破壊行為に対する十二分な制度的・物理的な強さを備えている点を国民に肌で感じてもらうとともに、第三者機関により原子力施設の強靭さを挙証してもらうこともひとつの方策だ。

人類究極のエネルギーと言われ、実用化が待望久しい核融合開発だが、今年は世界の核融合界にとり画期的な年になりそうだ。順調にいけば夏以降には、国際共同プロジェクトである国際熱核融合実験炉 (ITER) の建設地が決定する。我が国も原子力委員会を中心に議論が重ねられ、国内に建設された場合の意義は極めて大きいと結論づけられた。こうした巨大プロジェクトの決着は国際交渉での激しい駆け引きが支配する。ITER 計画が最も良い環境で確実に実施されるため、交渉下手といわれる日本としても、最善の戦略を携えて機に臨んでもらいたい。

昨年も大詰めになって、原子力界に大きなニュースがとびこんできた。特殊法人改革の一環で行われる日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構の統合決定だ。2005年には両機関をひとつにし、独立行政法人化を目指すという。ぎりぎりまで政府部内で議論が続けられた。一時危惧されていた原研の部門別分割は回避されたものの、いささか乱暴とも言える結論が示された。数合わせの論理に引きずられ単に「同じ原子力を扱うから」との判断基準からではなく、関係者の深慮が働いた結果だったのだろうと考えたい。だとすれば、具体的には、民間も意志を明確にして適切な貢任分担で研究開発に取組むことが大前提である。

昨年海外では、特に米国において、ブッシュ政権におけるエネルギー政策の見直しが原子力界にとり明るい話題を提供した。近年原子力発電所の稼働率も改善し、電力自由化の進展の中で原子力発電への自信と、その経済性の再評価を背景に、揺れ動く世界のエネルギー情勢を俯瞰しての新しい国家戦略だ。こうした中で第4世代炉開発イニシアティブにも着実な進展を期待したい。

一方、国内では間もなく、東北電力女川3号機が営業運転を開始する。新規戦力は97年7月の九州電力玄海4号機以来、4年半ぶりのこと。順調な営業運転入りに大きな期待がかかるところだ。

高速増殖炉原型炉「もんじゅ」改造工事計画に対する国の安全審査も今年中頃には終了が見込まれる。1日も早い運転再開へ関係者のたゆまぬ努力が不可欠だ。また、長期的に使用済み燃料貯蔵量が増大していく現状を考えれば、昨年ようやく具体的に動きだした使用済み燃料中間貯蔵計画に対しても、一歩一歩確実な歩みを期待したい。

地球温暖化防止へ、京都議定書批准にも強い関心が集まる。日本に課せられた CO2 排出削減目標の達成を真剣に目指すならば、原子力発電所を適正規模で新増設する上でも、原子力の担う役割が正当に評価されることが求められる。国会の場で党派を超えて総合的なエネルギー政策をめぐる真剣な議論も必要となる。

原子力エネルギーはまさしく人知が作りだした技術であり、それゆえ、理性と高度な倫理意識を常にもって利用してこそ真価を発揮する。さらには、「人間と人間の信頼が映し出されるエネルギー」と言っていい。我が国が今後も原子力利用を進めるとするならば、我々は国民や政府、事業者といった垣根を取り払い、エネルギー利用社会や核燃料サイクル、プルトニウム利用についてその意味を真摯に語りあう中で、放射線利用も含めた原子力文化国家の実現を果たしていきたい。


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