[原子力産業新聞] 2002年8月8日 第2148号 <1面>

[原産] 故向坊氏「お別れの会」しめやかに

原子力委員長代理や日本原子力産業会議の会長をつとめ、7月4日に死去した故向坊隆氏の「お別れの会」が、8日午後、東京港区の東京プリンスホテルで開かれ、約1000人が参列、故人をしのんだ。この会は、向坊氏に縁の深かった原産ほか9機関が合同で開催したもの。

会では黙祷のあと、まず世話人代表の西澤潤一・原産会長があいさつ。続いて追悼の辞に立った中曽根康弘・元首相は、「原子力政策を創設した頃、先生からはご助言等、大変お世話になった。昭和30年にジュネーブで国際原子力会議が開かれたさい、欧米の原子力機関・施設を訪問したが、その頃、向坊先生は在米大使館に一等書記官としておられ、米国の施設を一緒に回って頂いた。その後、原子力基本法をはじめ、8本の原子力関連法案を国会に提出するさいも、数々のご助言を頂いた」と回顧、向坊氏は「良心的な学者としての側面と、現実的に動く面との両面を持つ人だった。また、ブラジル、中国をはじめ、諸外国との友好に努められた」と故人をしのんだ。

国外からは中国の武大偉(ウー・ダアウェイ)駐日大使があいさつ、「つつしんでお別れのあいさつをしたい。先生は、1975年に日中協会の設立発起人となり、その後、副会長、会長を務められるなど、両国関係の発展に重要な貢献をされた。先生のお生まれになった大連にある大連工学院に向坊奨学金を設立され、両国の科学技術交流にもつくされた。私個人としても色々お教え頂き、死去をこの上なく悲しく思う」と故人の遺徳をしのんだ。

向坊氏に正三位勲一等旭日大綬章

政府は2日の閣議で、向坊氏に正三位・勲一等旭日大綬章をおくることを決め、6日に遺族に伝達された。


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