[原子力産業新聞] 2003年1月7日 第2167号 <2面>

[展望]問われる「個人」の力

 近年、明るく新年を祝う顔が見られなくなった。引き続く不況は人々の顔からも笑顔を奪ってしまったかのようだ。

 原子力界でも昨年、原子力発電所でのデータ不正問題に続いて、国の検査における格納容器漏洩率の偽装という、釈明しようのない犯罪行為が起きた。社会的に指弾された会社で、地道に仕事に取り組んでこられた方々のつらさはどれほどのものだったか。

 日本経済を振り返れば、バブル経済崩壊からすでに「失われた十二年」が過ぎたが、国民経済はいまだにひどい二日酔いから立ち直れずにいる。景気は「暗い」と「薄暗い」を繰り返し、デフレの進行により金融機関や事業会社に不良債権が積み上がっている。しかも解決の道筋は見えない。

 高成長を謳歌した戦後の日本流資本主義は、政府と産業界が緊張関係を保ちつつも一体となって計画的に産業の発展を企画・実施し、それを政府・金融業界が一体となった間接金融が資金面から支えるという、「資本社会主義」とも呼ぶべきものだった。企業のステイクホルダーのうち、経営者、従業員、顧客、取引先、政府、地域社会などは、高度成長のなかでそれぞれの取り分の拡大に満足していた。ないがしろにされがちだった株主の利益も、市場自体の成長により不満が「丸く収まる」図式だった。

 ところが、バブル崩壊後のマイナス成長下の経済では、こうした過去の成功図式が逆転し、経済成長を妨げているだけでなく、企業にとって重要なステイクホルダー間の利害関係の矛盾を表面化させている。原子力に関わっている企業もその例外ではない。原子力発電所立地地域での不信感の増大、資本市場での原子力発電関連会社への低い評価、コーポレート・ガバナンスの低下など、いずれもこれまでの成功の歯車の逆転を示している。

 このように会社組織が過去の成功経験から脱却できずに苦闘する中、原子力界においても新しい社会潮流が見逃せない力強さで動き始めているように感じられる。一つは組織における個人のありかたの変化、第二は国際的な展開である。

 昨年私たちが見たとおり、「○○会社がやっているから」、「国がしっかりやってくれているから」という「安心」は結局幻想にすぎず、少数の心ない行為で、もろくも崩れ落ちる。しかし、たとえば漏洩率偽装に関わった人達の中に一人でも、技術者としての真の誇りを持ち、このような行為は技術者としてのプライドと倫理観が許さない、と声を上げる者がいたならば、事態は全く違った経緯をたどったかもしれない。原子力界のみならず現在の日本社会に必要とされているのは、このように成熟し自立した個人である。企業内でも自らの倫理観や正義感を鋭く保ち、不正には率先して反対の声を上げることのできる個人である。そしてこのような個人を生かすことのできる企業経営者の人間性、企業統治の健全性が厳しく求められる時代になってきている。

 戦後の高度成長下では、ともすれば「組織の論理」が前面に押し出され、個人の主張はかき消されがちであった。また個人も、終身雇用・年功序列の人事制度のもと、声を上げずに組織の陰に隠れることで、結果的に利益を得てきた。

 しかし最近の企業不祥事では、関わった個人の責任が厳しく追求されるようになっている。昨年、米国では企業経営者による偽装経理が企業会計への不信を引き起こし、資本市場の大揺れにつながったが、結局、不正を行った経営者の個人的責任を問い、経営者が企業会計の適正さを個人として保証することで動揺が収まった。揺れる原子力界にとっても参考になるのではないだろうか。

 国際的視野で原子力を眺めた場合、大規模な新技術開発において国際化の流れが見られる一方、核問題がらみで国際関係が危機化する兆候もある。

 大量の資金・人材を要する長期的な原子力開発プロジェクトを国際協力によって進めようとする動きが顕著だ。例えば、革新型炉の開発では、先進国での新規・建替え需要、開発途上国への導入見込みなどの先が読みにくい状況下で、米国の主導する「第四世代国際フォーラム(GIF)」と、国際原子力機関(IAEA)が主導する革新的原子炉開発プロジェクト(INPRO)などの国際プロジェクトが、その将来の方向性を次第に描き出しつつある。また核融合に関しても、日本・欧州・ロシアの三極の進める国際熱核融合実験炉(ITER)計画に、米国が復帰し中国や韓国が加盟する可能性が見えてきた。

 今後の原子力における大規模研究開発は、一か国だけで全く独自の技術開発を進めるのではなく、国際的にコンセンサスが得られた開発目標に向かって、国内で研究開発を進め、その成果を国際的な大型プロジェクトに生かし、リンクさせる方向性が見えよう。

 市場経済のグローバル化により、富める国はますます裕福に、貧しい国はますます貧乏になるという二極化が進行しつつあると言われる。冷戦体制から抜け出せず貧窮する国の中には、生き残りをかけて、核を含む大量破壊兵器を交渉のカードに使った賭に出る国が現れるようになった。その代表的な例といえる北朝鮮は、体制生き残りの鍵を米国との不可侵条約に求め、米国を交渉の場に引き出すため、核を使った瀬戸際外交をエスカレートさせており、危機的な状況となる可能性も捨てきれない。核を弄ぶ北朝鮮現政権の不見識さ、無責任さは当然責められるべきである。日本は関係国と協力し、北朝鮮がわが国や東アジア地域の安全保障上の脅威とならないよう、総合的なアプローチを取る必要があろう。


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