[原子力産業新聞] 2003年4月25日 第2183号 <2面>

[原産年次大会] 午餐会から 山折氏講演 東西の平和について

 所報の通り、年次大会の午餐会では、国際日本文化研究センター所長の山折哲雄氏が「二つの平和について−日本的文化と構造改革」をテーマに講演した。今号で、同講演の概要を紹介する。

 仏教もキリスト教もユダヤ教も発生する以前の今から五千年前、一万年前に遡って世界を眺めてみると、そのときの人類は、この天地万物に命が宿っているという普遍的な意識、普遍的な感覚を共通にもって生きていたのではないか。これを私は「万物生命教」だといっているのだが、そのような普遍宗教、普遍的な自然観というものが支配的であったような気がする。21世紀を迎えた今日、さまざまな難問題を抱えているこの地球は、まさにそういう五千年前の人類が体験した普遍的な意識を再評価していく時期に来ているのではないかと思う。

 私は、平和には二種類の平和がこの地上に存在したと考えている。一つは西欧型の平和であり、「パクス・ロマーナ」「パクス・ブリタニカ」「パクス・アメリカーナ」である。これはローマ帝国による平和、イギリス帝国による平和、アメリカ帝国による平和である。帝国の軍事力、覇権によって維持・防護される平和。それは別の表現をすれば、戦争のない状態という平和である。これに対してもう一つの平和は、「パクス・ヤポニカ」――日本の平和である。日本の歴史の中で、平安遷都から源平合戦の保元・平治の乱にいたる350年間と、江戸開幕から明治維新までの250年間の長期にわたる平和の状態が二度もあったということは、歴史の奇蹟ではないか。ヨーロッパにも、インド大陸、中国大陸においても存在しなかったことがなぜ、日本列島においてのみ可能だったのか。その原因を考えると、平安時代においても江戸時代においても当時の主要な宗教のあり方が、国家に対して強烈な異議申し立てをせず、絶えず調和を保ってきたということではないだろうか。ここでいう調和とは、神道の世界と仏教の世界がいわば共存の関係を結び、棲み分けの関係を取り結ぶことができたということである。神道は、日本の土着的な信仰であり、仏教は大陸から伝えられた外来宗教である。外来の文化の体系と、土着の文化の体系とが、いわば対立の関係から共存の関係へと新しい発展を遂げた。そういう宗教のあり方、文化のあり方が完成するのが、平安時代である。それを更に洗練された形で鍛え上げたのが江戸時代の神仏関係である。神に対する信仰と、仏に対する信仰というものが、いわば神仏信仰としてすべての階層にわたってこの棲み分けの関係が徹底している。これが、平安時代350年、江戸時代250年の平和の状態を作り上げた最も主要な原因だったと思うのである。例えば、われわれの共同体の世界においても、仏教は家の宗教として人々に信仰されてきており、どの家にも仏壇があり、そこにご先祖様とともに、仏、菩薩が祀られている 。 福井県の原子力施設が「ふげん」、「もんじゅ」の名前を冠しているように、仏教思想によって科学技術の新しい展開を、いわば思想的に支えてきたという。この考え方の源流は、仏教を大陸から受け入れた時に、日本の土着の文化が受け入れたその態度と共通するかもしれない。外国からさまざまな技術、知識、宗教などを受け入れてきた日本列島は、自分の背丈に合わせてそれらを受容してきた。そういうものが、神仏の共存体制というものをみごとに作り上げてきたとも考えられる。

 道元が、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」という歌を詠み、良寛がまた、同じその伝統に則って、自分の禅の道、和歌の道を切り開いていったという事ともつながるわけである。こういう日本列島が育んできた文化の形式を、世界的な土俵の中で、どのように発信していくかということが、今後に課せられた重大な問題だと考える。日本文化の伝統の中に横たわっているさまざまな価値観を、そろそろ見直していく時期にきているのではないだろうか。


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