[原子力産業新聞] 2003年7月17日 第2194号 <1面>

[関西電力] 芦原義重関電名誉会長が死去

関西電力名誉会長の芦原義重氏(=写真)は、病気療養中のところ肺炎のため、7月12日22時45分、関西電力病院にて死去した。享年102歳。通夜密葬は近親者のみにて執り行い、後日、関電主催で「お別れ会」を行う予定だが、日時・場所等は未定。

同氏は、大正13年、京都帝国大学工学部を卒業後、阪神急行電鉄に入社、昭和17年に関西配電株式会社に引継採用、昭和33年に副社長、34年から45年まで社長、その後58年まで会長を務め、現在は名誉会長だった。

関電社長として、9電力初の原子力発電導入を決めたのを始め、黒四建設におけるアーチ式ダム開発、超高圧送電網の建設など、発電から配電まで広範な革新技術の開発導入を進めた。特に原子力発電については、社長就任以前から、日本にとって原子力の開発が不可欠であることを予見、調査や技術者の養成を行い、昭和41年、美浜発電所1号機の建設に着手、昭和45年8月8日、大阪万博で「原子力の灯」をともした。

また昭和41年には関経連会長に就任、訪中団団長をつとめるなど、中国との友好に貢献、大阪万博や関西新国際空港建設でも主導的役割を果たした。

日本原子力産業会議でも昭和37年から常任理事、46年から48年には副会長を務め、昭和48年から顧問。

幅広い活動により、昭和53年11月、勲一等旭日大綬章を受章している。


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