[原子力産業新聞] 2004年2月12日 第2222号 <3面>

[レポート] KEDOでの経験から学ぶ 遠藤哲也氏(前原子力委員長代理)

 先週号に引き続き、遠藤哲也・前原子力委員長代理に、昨年12月から1年間停止となった朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)プロジェクトの背景と評価、学ぶべき教訓などについて解説していただく。

KEDOの評価(続)

(三)しかし、KEDOおよびKEDOの基礎である米朝枠組み合意に、技術的に問題がなかったわけではない。その1つは、米朝枠組み合意の交渉は米国1か国でこれにあたり、日韓両国に対しては、必ずしも十分な協議がなされなかったことである。従って、つめの甘いところがある。特に相手が名にしおう北朝鮮であり、米国は北朝鮮及び北朝鮮の態度をよく知らない。

 例えば、枠組み合意はプルトニウムの処理に最大の関心が払われたが、今1つのウラン濃縮による核開発には、さほどの注意が払われていない。枠組み合意は1992年の南北非核化宣言に言及しており、それを通じてウラン濃縮による核開発は禁止されているが、いずれにせよ間接話法であったことは否めない。枠組み合意は、もっと包括的に明示的にすべきであったと思う。

 また、この約束では、原子炉の主要な部品が搬入される前に、北朝鮮はIAEAが十分とみなす保障措置を受け入れることとなっているが、この保障措置の中味は必ずしもはっきりしていない。この中には北朝鮮が嫌がる特別査察は入っているのだろうか。また、北朝鮮とNPTの関係にしても、北朝鮮が脱退を保留している以上、NPTとの特殊な関係といったものは存在しない筈である。

 北朝鮮は条約や協定を独特の論理を用いて、独得の解釈をすることが多いが、私はこれに対して十分に備えておかなければならず、そのためには北朝鮮との合意にはあいまいさを残してはいけないことにもう少し注意を払うべきだったと思う。

(四)以上のような次第にも関わらす、KEDOは、調印されてから現在に至るまでの八年強の間、全体として「成功の歴史」であったと思う。その背景として次の三点があげられる。

 その1つは、原子炉建設の過程では紆余曲折があり、工事中断もあったし、レトリックの上では激しい言葉の応酬もあった。だが、実務上では、北朝鮮は極めてビジネスライクに対応してきた。この点は特筆されて良い。これは北朝鮮がKEDOに対して価値を認めていたからである。いずれにせよ、KEDO側と北朝鮮が共同プロジェクトのパートナーとして、継続的な実務関係を作り上げたことの意義は大きく、北朝鮮にしてもこの過程で国際的なビジネスの進め方について多くのことを実地に学んだことと思う。

 その2には、少なくともKEDOの8年の間、北朝鮮による新たなプルトニウムの抽出が押えられたことがあげられる。

 第3番目はKEDOには、原加盟国の日米韓に加えて、EUが理事会のメンバーになり、世界的なマルチラテラルな枠組みが出来たことである。東アジアの問題に欧州が参加したことの意義は大きい。中国とロシアはそれぞれの理由から参加しなかったが、KEDOを側面から支援してくれたことを付言しておきたい。

KEDOからの教訓

 すでに述べたようにKEDOの今後のゆくえははっきりしないが、1年後にKEDOが存続するにせよ、また、将来北朝鮮との関係で新たな別の枠組みが出来るにせよ、KEDOの経験からはいくつかの教訓が得られる。

 1つは、北朝鮮問題に対処するにあたってのマルチラテラリズムの有用性である。マルチラテラルな仕組みは、内部調整に手間がかかるし、その参加数が多くなる程難しくなるが、そのメリットは大きい。なお、今後の枠組みに中国とロシアを入れるべきか否かについては、十分な検討を必要とするが、参加するためには相当の貢献が必要であることは言うまでもない。

 2つは、北朝鮮を巡る枠組みは、合意文を巡って北朝鮮に恣意的な解釈を許さないよう、正確かつ直裁なものでなければならない。北朝鮮は独得の論理、解釈を駆使することについては天才的でさえある。

 3つ目は、枠組み合意の形成については、時間がかかるにせよ、内部で十分に協議し、意見の調整をはかるべきである。3人寄れば文殊の知恵と言うではないか。(終わり)

 


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