[原子力産業新聞] 2004年4月30日 第2233号 <2面>

[原産] 年次大会午餐会 特別講演「江戸の文化と庶民の知恵」

 午餐会では、東京都江戸東京博物館館長で、江戸文化史、近代都市史が専門の竹内誠・東京学芸大名誉教授が「江戸の文化と庶民の知恵」と題して、近年、見直されている江戸のスローライフや、武家社会の建前の歴史に隠された庶民生活の真実について講演した。講演の要旨は次の通り。

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 「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもまして良く耕された土地が見られる」

 幕末の日本を訪れたドイツの考古学者・シュリーマンは、旅行記に江戸の様子をこう評した。混乱した幕末の世に対して何とも平和的な感想だが、これは江戸時代をずばり言い当てた見方である。250年間、日本全国を巻き込む内乱がなかったのが江戸時代であり、これほど長期間、一政権が平和裏に全領土を実効的に支配したのは世界でも例がない。鎖国や刀狩令などその理由はいろいろ考えられるが、その時代の政府と被支配者である庶民の相互の知恵が様々な面で折り合いをつけていた結果といえよう。さらに、この旅行記では、4季の移ろいを感じて自然と共生している人々の姿や、工芸品に見られる文明の高さが記されている。シュリーマンは、江戸の人々が日常の暮らしの中に工芸品を位置付けていることや、優れた手業をもった職人が芸術品を生み出しているという自負のないことに不思議を感じたのである。

 江戸時代を、「封建的(負の部分を強調)で決して良い時代でなかった」とイメージ付けたのは、前代を全否定し、近代化を急ぐ、明治新政府の徳川幕府に対する政策の影響が大きい。そんな「暗い時代」という定説を覆したのがこれら海外からの江戸に対する高い評価である。日本研究で知られるライシャワー氏(元駐日米国大使)も、「封建社会を経験した日本は欧米型の近代化を成し遂げた」と述べており、事例として複数制や交代制、鑑査制のある役人制度の優れた点を挙げ、近代官僚制の基礎を築いたと評価している。

 また(前述の)旅行記でも、識字率の高さが紹介されているのだが、江戸庶民の教育については、その一端を式亭3馬の「浮世風呂」という、江戸弁の会話で庶民の日常を表した「滑稽本」というジャンルの本の中に見てとることができる。その中に、女の子が寺子屋や稽古事で忙しい1日のスケジュールを友達に話している箇所があって、江戸の母親の教育ママぶりが良く分かるのだが、読み書きに加え、遊芸を身につけるという「ゆとり」が感じられる。このような「滑稽本」や江戸のパロディーを扱った「黄表紙」など大衆的なものにこそ江戸文化の真髄がある。江戸の人々は「他人を前提とした暮し」が基本であり、お互い様、気配りの気持ちの上に江戸文化、それも高いレベルの文化が花開いたのである。


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