[原子力産業新聞] 2005年1月20日 第2267号 <2面>

[寄稿] 国民の信頼を取り戻すには―原子力事故の教訓(上)―

関西電力美浜原子力発電所で先日起きた、4人の死者と7人の負傷者を出した事故は、放射能漏れはなく、厳密に言うと原子力事故ではない。あの事故は、実は産業事故であり、製鉄、石油化学、あるいは自動車産業においてでも、発生する可能性はあったのだ。

ところが、一般の人々から見れば、あれは疑問の余地なく原子力事故だったということになる。しかも、もんじゅや東海村、東電の原子力発電所における安全関連の不適切な報告といった一連の出来事があった後であるから、一般市民の目には、これが原子力産業の信頼性の危機につながっているように見えるだろう。

事故発生のタイミングも、おそらく最悪であった。なぜなら電力は日本の繁栄や生活の質の向上の一端を担うものだからである。

原子力エネルギーは、日本の国内電力需要の約3分の1を供給している。経済が発展すればするほど、より多くのエネルギーが必要となる。値上がりが続いている石油は、資源として無限ではない。

この分野の第1人者の1人であるプリンストン大学のケニス・デフェイェス名誉教授は、世界の石油生産量が来年中にピークを迎え、その後は減少の一途をたどると考えている。同教授はこのテーマで「石油を超えるもの」という題名の本を執筆中である。もちろん、どこかに大きな油田が発見されるという可能性もあるわけだが、たとえ発見されたとしても、その開発には何年もかかる。

日本政府が、今後数年の間に新たに11基の原子炉を建設するという目標を変えないのであれば、パブリックアクセプタンスが必要である。そのためには、政府と原子力産業界が共に、国民の信頼を取り戻すための努力をしなければならない。そしてこの信頼こそ、一旦失われてしまうと回復が非常にむずかしいのである。

これと同様の信頼性の危機が、米国でも1979年に起きている。原因はペンシルバニア州のスリーマイル・アイランド原子力発電所(TMI)の原子炉で部分的炉心溶融が起こったことである。幸いなことに死傷者はなかった。しかし一般の人々から見ると、惨事になりかねない事件であり、TMI事故以降、数か所の新規原子力発電所建設計画が放棄された。

米国市民の信頼を取り戻すためには、原子力産業界、政府、原子力規制当局による多大な努力をもってしても、何年もの月日が必要であった。米国では、25年を経た今になってやっと、新しい原子力発電所の建設が真剣に検討されるようになってきた。

(続く)

ウィリアム・ビーチャー氏

コロンビア大学院卒。ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズなどで記者。1983年に国内報道部門でピューリツァー賞受賞。1993〜2003年まで米原子力規制委員会(NRC)広報部長。現在はディレンシュナイダー・グループ代表。


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