[原子力産業新聞] 2005年11月24日 第2309号 <4面>

[写真レポート] 原子力総合防災訓練実施 新潟・柏崎11/9、10

 11月17日号既報の通り、「原子力総合防災訓練」が9日と10日の2日間にかけて、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所を対象に実施された。ここでは、原子力災害時にオフサイトセンターとして機能する「柏崎刈羽原子力防災センター」を中心に、現地での訓練模様を、写真を織り交ぜて紹介する。

 この訓練は、原子力災害対策特別措置法に基づき、中央省庁、原子力安全委員会、地方自治体、原子力事業者等が相互に連携して、「原子力緊急事態」を想定した実践的訓練を行うものだ。これまで、中国電力島根発電所(2000年度)、北海道電力泊発電所(01年度)、関西電力大飯発電所、九州電力玄海発電所(03年度)の各施設を対象に実施され、昨年度は新潟県で実施予定だったが、10月に発生した新潟県中越地震により中止されている。地元の意向もあって、今回、その中越地震の教訓反映が訓練の1つのポイントとして位置付けられた。例えば、@商用電源喪失時の障害対処A通信障害時を想定した衛星通信切り替えB孤立住民の搬送――について、必要資機材の運用、諸機関の連携などがうまく図られることを確認した。その他、プレスルームの常設、模擬記者による会見など、広報活動の充実も今回訓練の特徴だった。

原災法第十条事象発生

 9日11時、東京電力より「柏崎刈羽4号機(BWR、110万kW)、定格熱出力一定運転中のところ、原子炉格納容器内で原子炉冷却材の漏洩を知らせる警報が発報したため、原子炉を手動で停止」という想定トラブルの第一報が、防災センター一階にある原子力安全・保安院柏崎刈羽原子力保安検査官事務所に入った。続いて13時、「原子炉容器内の圧力上昇に伴って、非常用炉心冷却系が作動」との連絡、原災法第10条に定める事象に至り、経済産業省は、政府職員の現地派遣を決定するとともに、原子力災害警戒本部を設置、県、市村も態勢を整え、応急対策が開始される。14時10分、「発電所で2名の負傷者が発生、放射性物質を含む水を浴びており内部被曝の可能性あり」、15時30分、「非常用炉心冷却系の設備のうち、高圧スプレイ系ポンプが故障により停止」と、事態は進展する。県本部要員らがセンターに参集、夕刻には保安院審議官らが現地入りし、初動警戒態勢が確立、18時をもって訓練は一時中断となる。

 「原子力緊急事態宣言」発出

 翌10日7時55分、東京電力より「全ての非常用炉心冷却系による注水機能が不能」との報告を受け、経産省は原災法第15条に定める「原子力緊急事態」に至ったと判断、経産相からの上申を経て、8時30分、総理大臣より「原子力緊急事態宣言」が発出、官邸に首相を本部長とする「原子力災害対策本部」が設置された。一方、現地では、西野あきら経産副大臣、泉田裕彦新潟県知事がオフサイトセンターに到着、西野副大臣を本部長とする「原子力災害現地対策本部」が立ち上がり、官邸、オフサイトセンター、刈羽村役場の3地点を結ぶテレビ会議により、住民防護対策に関する協議が開始された。

 10時25分、事故の状況は「炉心が露出し、燃料被覆管が損傷。原子炉格納容器の圧力が上昇した場合には、相当量の放射性物質が環境に放出されると予測」と予断を許さぬ事態となり、政府対策本部は、住民の避難、屋内退避を決定する。11時40分、「4号機の排気筒から放射性物質の放出が開始」との報告が入るが、既に、11時25分には住民の避難は完了していた。

 また、「発電所内で負傷」の2名のうち、1名は県立がんセンターへ、もう一名は放射線医学総合研究所へ搬送されている。

 「放射性物質の放出停止」報告を受け、「原子力緊急事態解除宣言」が発出、13時には訓練が終了となった。

 「『複合災害』への対策が課題」〜会見にて

 訓練終了後の会見で、現地対策本部長として指揮をとった西野副大臣は、「住民の率直な心情を真摯に目の当たりにして意義があった」と感想を述べた。一方、泉田知事は、県外からも協力を得たネットワークに意義があったと訓練を評価するものの、今回国の一元的な報道対応であったことを踏まえ、住民の不安とならない情報の流し方を考えていくこと、さらに、自然災害と原子力災害での指揮系統の違いを指摘した上で、地震に伴う原子力事故といった「複合災害」への対策の必要も訴えた。また、武黒一郎東京電力原子力・立地本部長は、他の電力会社からの応援も受けて、実践的訓練だったと述べるとともに、事業者の立場から、「万一にも事故を起こさぬよう、安全を最優先に運転していく」姿勢を明らかにした。

 関係機関の協力・支援 原子力保安検査官事務所にトラブル第1報が

 今回の訓練は、発電所での事故を想定したため、実質的にその安全規制担当省庁である経産省が指揮をとり、地元自治体と連携し、オフサイトセンターを中枢として、必要な指示が行われる形となった。しかしながら、関係諸機関による、事故想定現場、避難所における専門的・技術的な支援も忘れてはならない。例えば、孤立住民、発電所内負傷者の空路搬送、避難住民へのスクリーニング、事故現場の復旧の各場面で自衛隊、原子力緊急時支援・研修センター、原子力安全技術センター他の所有する輸送機、測定機器などが活躍した。自衛隊のヘリコプターによる孤立住民輸送は、新潟県中越地震における山古志村(当時)の被害を踏まえて、また、安全技術センターの防災モニタリングロボット運用は、遠隔操作による事故現場の放射線モニタリングの試験として、それぞれ行われたものだ。


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