[原子力産業新聞] 2005年12月1日 第2310号 <4面>

[日本原子力文化振興財団] 原子力の日記念シンポ開催

 日本原子力文化振興財団は11月7日、東京・有楽町の朝日ホールでシンポジウム「ジュネーブ国際会議から50年」を開催(=写真)、技術者、ジャーナリスト、若手タレントによる座談会を通じて、日本の原子力平和利用の将来について考察した。

 冒頭、わが国原子力開発の黎明期に尽力した中曽根康弘世界平和研究所会長による基調講演(柳本卓治衆議院議員が代読)が行われた。同氏は1954年の原子力予算初計上、経済企画庁原子力室設置に始まる日本の原子力政策は、@政府の長期的国策A法律と予算措置の保証B真に実力ある学者の選択――の3原則が重要な出発点だったと強調。55年の国連原子力平和利用国際会議(ジュネーブ)への出席や、海外視察では宿でステテコ姿の激論を交わしたことなど、当時を振り返った。またその後、科学技術庁の設立、議員立法による原子力関連8法案など、「思い切った全く官僚色のない政策」が推し進めるなど、自身ら政治家たちが大局的判断から原子力政策に身を投じてきたことは国家への貢献だったとし、今後に向け、政治による過度の干渉を防ぎ、ジャーナリズムとの連携を緊密にとりつつ、研究成果を国民に還元していくという決意を披露した。

 続いて、井川陽次郎読売新聞論説委員、サイエンスライターの竹内薫氏、NHKの科学番組で司会をする眞鍋かをり氏、山名元京都大学原子炉実験所教授をパネリストに「これからの原子力利用に思う」と題する座談会が行われた。

 その中で井川論説委員は、原子力推進には政治的イデオロギーが絡んでいる難しさを示し、一方、竹内氏は渡米時に経験した大停電の教訓から、「ものはなくなってみて初めて価値がわかる」として、原子力エネルギーに替わる資源がわが国にはない現状と、立地問題を「グローバルな視点とローカルな視点の対立」とみて課題を提起した。また、愛媛県出身の眞鍋氏は、電力がもたらす生活の豊かさのレベルを落としたくない気持ちを訴えたほか、地元伊方発電所を訪れた際、安全面への説明が熱心だったことを発言した。

 議論は引き続き、コミュニケーションのあり方に移り、山名教授は、一般人にわかりやすく伝えることが必要なのだが、そのアクション不足により信頼を欠いてきたとして、科学者の立場からの反省を述べた。自らのホームページでブログを公開している眞鍋氏は、「一語一句誤解を生まないよう心がけている」ほか、「リアルなこと」が信頼を損なわぬ要点であると強調した。また竹内氏は、執筆の際、一般人向けに「数式を翻訳する」苦労を示し、山名教授は、これに対して、原子力では「リスクを抑えてメリットを活用していくというバランス」が伝わるよう、数字の意味を説明することも難関だとして、国民と対話しながらわかりやすい原子力を創り上げていく必要などを掲げて議論を結んだ。


Copyright (C) 2005 JAPAN ATOMIC INDUSTRIAL FORUM, INC. All rights Reserved.