[原子力産業新聞] 2006年11月2日 第2354号 <1〜2面>

甘利経産相に聞く “風雪”に耐え、日本の将来を託す 原子力「フェーズU」の幕開け

甘利明・経済産業相は23年前に政治家を志した際、経済産業政策をライフワークに掲げ、今その頂点に立った。この間、特にエネルギー・原子力問題を国家戦略の要のひとつと位置づけ、02年のエネルギー政策基本法、それに基づくエネルギー基本計画の制定をはじめ、超党派の資源エネルギー長期政策議員研究会、自民党エネルギー戦略合同部会等を主導してきた。わが国の原子力創生期から半世紀、幾多の試練、曲折を乗り越え「原子力立国計画」が言われる今、改めて原子力に対する見解を聞いた。
(原子力ジャーナリスト 中 英昌)

   ◇  ◇   

――原子力の今に対する時代認識・思いをうかがいたい。

甘利 原子力開発のスタート時点においては、原子力発電は”未来の夢のエネルギー”として迎えられ、手塚治虫描く「鉄腕アトム」が時代のヒーローとなり、多くの国民に夢を与えたはずだ。しかし、86年のチェルノブイリ原子力発電所の事故以降、原子力の負の部分のみが強調され利点が後退、“原子力バッシング”が始まった。国内でも、JCOのような大事故が起き、原子力を推進していくことが、世間的に後ろめたいという環境が作られてしまった。世界的には、日仏など以外は原子力政策をどんどん後退させ、米国では原子力発電所の新規建設が完全にストップ、“冬の時代”が30年以上続いた。

しかし、冷静になって判断すれば、原子力はきちんと制御可能な技術であり、人類が計り知れないメリットを享受できる素晴しいエネルギーである。原子力バッシングの中にあっても、心ある政産官学・地域の関係者は、厳しい風雪に耐え、原子力の未来を信じて後押ししてきた。その努力が今、ようやく花開こうとしている。まだ蕾かもしれないが、少なくともバッシングの嵐はやみ、特に、原子力をエネルギーの安定供給という視点に加え、地球環境保全の面からの評価が自然に出てくるようになった。

甘利大臣 国際再編は前向きに捉えたい 環境主義者の一部支持が転機

その一例が、原子力にネガティブな国際的環境団体グリーンピースの創設者の一人で行動派の闘士だったパトリック・ムーア氏が原子力支持に転向、「地球を温暖化から救えるのは原子力しかない」との結論に至り、仲間から裏切り者と言われようとも、この考えは変えない、と発言、活動していることにある。

また、ガイア理論で世界的に著名な環境学者、ジェームズ・ラブロック博士も同じ考えで、来日してシンポジウムで講演した。こうした効果は絶大であり、世界的に原子力に対する認識を改める流れができつつあると思う。

ただ、世論調査によると、原発反対という人は減っているが、積極的推進論者がそれほど増えているわけではない。消極的賛成論者が多いのだろう。原子力推進の担い手の基盤はまだ脆弱だ。従って、安全確保を大前提とする認識を新たに一歩ずつ進めていく姿勢が大切だ。

――原産協会も、今井敬会長の強い意志で「原子力産業安全憲章」を制定、絶対に事故を起こさない心構えで取り組む決意表明を行った。このように、わが国の原子力は今、新・国家エネルギー戦略の要として政治のリーダーシップのもとに、官民が一体となって新時代へ踏み出したところだが、どのようなキャッチフレーズが相応しいとお考えか。

甘利 原子力のことが分かる人も分からない人も、皆が夢のエネルギーとして拍手を送った創生期から、今は原子力のプラスもマイナスもしっかり見つめて、利点は伸ばし、課題は克服するという、地に足の着いた政策の下に、原子力に日本のエネルギーと地球温暖化防止の将来を託す「フェーズU」(第二創生期)に入ったと認識している。

――ところで、北朝鮮の核実験で核の脅威、核不拡散問題が原子力平和利用に大きな影を落としている。この両立についてはいかがですか。

甘利 日本は非核兵器保有国の中で、商業規模でのウラン濃縮、再処理、つまり核燃料のフルサイクルを認められている唯一の国だ。これは、核兵器を「つくらず、持たず、持ち込ませず」の非核3原則を国是とし、しかも国際原子力機関(IAEA)の査察を完璧にクリアし、24時間体制の監視も受け入れているモデル国だからだ。

ただ、これから原子力の平和利用(発電)に取り組もうとする国、特に経済の飛躍的発展が予測されるアジア諸国は、このまま化石燃料を燃やし続けたのでは地球環境が保てないだけに、原子力の利用を検討せざるを得ない。

その場合、原子力発電所だけを建設し、核燃料の供給は国外で保証する体制を整備しないと、皆自国でウラン鉱石を輸入し、ウラン濃縮、再処理をやりたいということになり、核拡散の脅威が拡大する。それだけに、そうした国が核燃料を安定的に確保できる国際的な「供給保証システム」の構築がカギとなるわけで、日本はその枠組み確立に協力していくべきだと考える。

――甘利大臣はこれまで、アジアを非常に重要視されてきた。原子力での国際協力・貢献、また、今後の原子力ビジネス・国際展開という視点からお話しください。

甘利 日本には、原子力プラントメーカーが3グループあるが、“原子力冬の時代”に大学教育の場で原子力工学科が姿を消し、原子力事業の縮小で技術者の維持すら困難となる中で、むしろよくここまで持ちこたえていると思う。ただ、国内の現有軽水炉のリプレースが始まるのは2030年頃とまだかなり先のため、それまでの間、技術者をどう維持し、支えていくかが最大の課題。

この点、アジアでは中国、インド、ベトナムなど原子力発電所の新規立地を計画しているところは目白押しなだけに、そこへの技術協力、そしてビジネスとしての原子力プラント輸出につなげていけば、単にこれまでの技術の継承のみならず新技術・技術者の拡大発展の原動力となろう。日本は原子炉本体はもとより、プルサーマル、FBRを含め原子力技術では世界の先端を行っているので、これを世界のエネルギー危機、地球環境保全に役立て国際貢献するとともに、そこにビジネスもつながり、技術者の維持もできるという一連の連携が大事。政府としては、そうした大きな視点から、官民のパートナーシップを強め具体的、積極的な支援、新展開を期していきたい。

――原子力産業界では、国際的再編・統合の時代を迎えました。どうお考えですか。

甘利 東芝がWH社を買収し、三菱重工がAREVA社と提携したように、原子力産業が国際連携してより強固な体質になっていくことは、歓迎していいと思う。BWRの専門メーカーであった東芝にしてみれば、世界の原子炉市場はPWRとBWRがお互いに競い合い、それぞれの良さを売り込みながら立地しているだけに、両炉型とも対応できるようになることは、技術の蓄積面でも、ビジネスの展開の面でも有意義であり、前向きに捉えたい。

今後は、アジア全体のエネルギー政策のために日本は何ができるか。まずは安全管理が肝心。急増するアジアでの原子力発電所で事故が起きれば、日本国内で起きたのと同じぐらいの影響がある。それだけに、アジアで原子力発電所をオペレートする際には、他国の事故は日本の事故と同じという気構えで、日本の安全基準を完全にクリアしてもらえば、おかしなことにはならないはずだ。


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