[原子力産業新聞] 2006年12月7日 第2359号 <2面>

原子力 地方からのレポート(1) ゛愛される原子力″めざす 関西原子力懇談会会長 岸田 哲二氏

2006年は、原子力新時代の幕開けを実感させる再スタートの年となり、国際的、政治的側面からも脚光を浴びたが、「立地地域あっての原子力」の基本は、いささかも変わらない。旧原産会議の地方組織として設立され、地域の原子力理解促進活動に力を入れてきた各原子力懇談会。今回からシリーズで、地方組織のトップにインタビューし、地域に根ざした活動などを聞いた。  (原子力ジャーナリスト・中 英昌)

――岸田さんは電気事業者(関西電力)の立場から長年にわたり原子力部門に携わってきて、「原子力ルネサンス」、「原子力立国」の今をどのように受け止めているか。

岸田 わが国の原子力は正に甘利明経済産業相が言われるように、幾多の試練、変遷を経ながらも原子力の未来を信じる人たちの後押しで原子力バッシング、冬の時代の風雪に耐え今、「フェーズU」(第2創生期)の幕開けを迎えていると思う。ただ一点、学生時代から原子力は「第3の火」と言われ、当時から核燃料サイクル・FBRを含めいずれ必ずそういう時代が来ると信じ、一生懸命に取り組んできた立場からすると、率直なところ「今頃なぜ」との思いもよぎる。しかし、世間の原子力に対する理解がそれだけ深まり、ようやく一般の方々にも“本当の意味での原子力”が理解されつつあるのではないかという感じだ。

同時に、9月にロンドンで開催された世界原子力協会の年次総会に参加して、世界中が本気で「原子力ルネサンス」を志向していることを実感した。私は関西電力でこの40年間さまざまな原子力の国際会議に参加してきたが、これほど熱気にあふれた会議は初めて経験した。

また、関西原子力懇談会(関原懇)会長に就任した3年前、当時はまだ核燃料サイクル是非論をめぐり日本の国論が二分、混迷を極めたように見えたが、私は「絶対に原子力しかない」と信じていたので、不安を感じたり、信念が揺らぐことはなかった。またそれだけに、「原子力立国計画」でFBRサイクルを含む中長期的政策の枠組みがしっかり示されたことへの感慨ひとしおである。さらに、私の学生時代にはそれほど大きな要因ではなかった地球温暖化問題が大きく浮上し、原子力がその切り札的解決手段として不可欠の存在になってきた。このような新たなプラス要因も加わり、世界中の人が今改めて原子力の必要性を認識した“再スタートライン”に立っている。

――関原懇は、今年創立50周年を迎えた。その役割、意義、今後の課題について伺いたい。

岸田 これまでの50年間は二度の石油危機を経験、“脱石油”で原子力発電が非常に大事な位置づけとなり、国民的コンセンサス特に立地地域の理解を得たことが、原子力が関西消費電力の5割以上を占める基幹電源となる原動力となった。

関原懇の役割・立場は、エネルギー利用(発電)と放射線利用の推進の2本柱である。放射線利用は医療、農業、産業など裾野が広く、われわれの日常生活にも密接に関係している。産業規模ではおそらく10兆円を超え、発電の2〜3倍程度と大きいにもかかわらず、これまでは発電に比べ一般の認識が薄く、これが大問題である。

その理由は、安全性というより「放射線は恐い、嫌い」という国民の感覚的嫌悪感に由来するところが大きい。しかし、人類は地球誕生の歴史から放射線と共に生きてきており、本来、なじみ深いし、その利用の恩恵は計り知れない。こうしたことを一般の人にどうすればもっとよく理解してもらえるか。これが「原子力次の50年」の課題であり、それが発電に対する一層の理解促進にもつながり、愛される原子力≠フ世の中が来ることが将来の夢だ。

「原子力立国計画」により、大多数の人が原子力のプラス面、マイナス面を理解したうえで、愛とまでいかなくてもなじみ≠持ってもらえる土壌はできた。これからわれわれは、それを現実につなげていく活動が大事で、その一番のポイントは、マスコミへの理解活動の充実にある。世論形成におけるマスコミの力は絶大だ。これまでも、関原懇・原子力学会と第一線記者との懇談会はあったが、新たに関西地域の各紙の論説委員クラスとのオフレコ懇談会を今年になって3回開催、率直な意見交換に努めている。この点、原産協会も中央および全国レベルでマスコミトップと連携・相互理解を密にしてほしい。われわれ地方との“車の両輪”がしっかりすれば、原子力のポジティブな側面にスポットが当たり、好ましい方向へ向けて変化が加速すると思う。

――関原懇の一番の強みは何か。

岸田 関原懇のエリアには京都大、大阪大、近畿大、福井大、福井工大など原子力教育で有力大学が多数存在しているだけに、設立以来伝統的に原子力学会との有機的連携が強固なことを自負しており、学会の関西支部事務局も兼ねている。活動内容は調査・研究等のアカデミックなものから原子力理解の普及啓発、さらに、例えば耐震基準の見直しといった新たなテーマについては専門家を招き、在阪のマスコミ関係者にわれわれも加えて勉強会を行った。

大学教育の場で原子力工学科の大半が姿を消したが、原子力安全のイロハのイは技術的には原子炉物理であり、労働安全では保健物理が基礎となる。原子力ルネサンスで発電所の新規建設が活況を呈しても、原子炉物理も修得していないような人に原子炉の設計など任せるわけにはいかない。日本ではわずかでも新規建設が継続されてきたことが強みとはいえ、人材の先細りが心配される。

原子炉教育のための大学原子炉を所有するのは運転45周年を迎えた近畿大など3大学しかなく、いずれも後10〜20年でリタイアする。その時になってあわてても手遅れだ。特にメーカーは今、国際再編成で世界市場を視野に入れており、即戦力になる人材を必要としている。大学側でもこうした状況も踏まえて、われわれとしっかり連携をとりながら構想を練り、学会でまとめて立国計画に入れ込んでいくことが大事だ。

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【略歴】65年大阪大学院原子核工学修士修了、関西電力入社、取締役若狭支社長、副社長を経て06年6月関電顧問、04年から関原懇会長。


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