[原子力産業新聞] 2007年10月4日 第2398号 <2面>

「環境、エネルギー・原子力」女性リーダー像 @ 評論家、前原子力委員会委員 木元教子氏に聞く 「鉄腕アトム」にひかれ原点 意見の相違、対話で克服を

木元さんは大学卒業後、テレビ界の女性キャスターの草分けとして幅広い分野で活躍しながら、「原子力」の世界に積極的に踏み込んでいかれた。そのいきさつは。

木元 1960年代後半にフリージャーナリストになってから、手塚治虫さんと現在のテレビ朝日で「マンガのおじさん」という週1回の生番組で共演した。当時は「科学の子鉄腕アトム」が大人気でアニメになり、私も息子も大ファンだった。でも、アトムは原子力で動く。被ばく国日本にとって、原子力は暗く悲惨なイメージがつきまとうのに、「なぜアトムなのか。どうして?」と番組で質問したところ、「アトムは未来を救うんですよ。そうでない方向に行けば地球は破滅する。でも私は、科学技術というものを信じている」と言われた。

私も当時から科学技術は、介在する人間次第で凶器にもなるし、利器にもなるとの考え方をもっていた。食糧も大事だが、エネルギーも重要。それを何で供給するのか。地球誕生のときからわれわれは放射線の中で生きているという意味で、アトムは身近な存在でもある。「あ、そうか。アトムのパワーが地球の未来を救うんですね」とうなずく私に、「そう、21世紀の科学技術でね。世の中変わっていくと思うよ」と。手塚さん自身は21世紀を見ることなく亡くなられたが…。

それから原子力に興味を持ち、猛勉強された。

木元 当時、私がテレビで「なぜ原子力か」などと発言しているのが目にとまったのか、エネ研理事長だった生田豊朗さんが、シンポジウムや資源エネルギー庁の審議会委員等に私を推薦、また私も、日本の原子力発電所の見学などに精力的に参加した。さらに、原子力基本法には、日本は「平和利用に限る」と明記されていることを知り、安全第一のもと原子力を認めても大丈夫だとだんだん納得できてきた。

そうして自分なりに考えをまとめていったとき、日本にとって原子力は捨てられないのではなく、日本が先頭に立って平和利用すると主張しなければいけないと思った。また、当時はまだ地球温暖化問題は表面化しておらず石油全盛時代だったが、いつかは手塚さんが言ったように、「アトムが地球を救うことがあるかも知れない」という思いもどこかに宿っていた。

一方、フリーになった後もテレビキャスターは続けていた関係で電力業界と意見交換した際、「あ、原子力が一般の人に正確に理解されないのは広報体制に問題がある」と直感した。つまり、悪意はないが、「ここは説明しても分からないだろうから自分たち専門家に任せろ」という、一種のおごりが見えた。そこで、電事連で電力9社広報担当役員の方々の集まりで、「広報をもっと重要視してほしい」と強く要望した。広報を的確なものとするには、まず相手が知りたいことは何かの「広聴」を行い、それを「広報」にフィードバックしなければ一方通行になり、国民との相互理解≠ヘおぼつかない。

ところで、原子力委員就任のいきさつは。

木元 97年秋、原子力委員の一部交代人事(国会の同意マター)に伴い、当時の科技庁から直接連絡があり、就任要請された。当時「開かれた原子力委員会」が時代のニーズとなり、後任は官僚出身者を除外、また時の橋本龍太郎首相は「なぜ女性を登用しないのか、時代遅れだ」と言われたようだ。「その条件を満たし原子力について発言する女性は今、木元しかいない」と私に白羽の矢が立ったと聞いた。

98年1月に就任したが、当時の科技庁長官が谷垣禎一さん(現自民党政調会長)で、科技庁職員を前に、「木元委員は、形骸化し疲弊している原子力委員会に風穴をあけるのが役目。とにかく暴れ馬になってほしい」と紹介され、気が楽になった。私が出した条件も「信じることを直言し、行動する」ことだった。2期目の2001年には、委員会内に反発があったものの事務局の応援を得て、相互理解、広聴・広報を実践する場として「市民参加懇談会」を立ち上げ、全国展開した。

その原子力委員を3期9年勤め昨年12月に退任。今何を思い、今後の抱負は。

木元 「9年間よくやった。後は安泰にゆっくりお休みください」などと言われると、「冗談じゃない。私はこれから!皆さまへのお返しを」という思いでいる。広聴・広報を基本に、行動を起こしていく。今後はフリーな立場で「私マター」に活動の場を広げていくが、原子力では当面する重要課題、高レベル廃棄物処分場の解決に努力したい。今は「原子力、いいですよ。でも廃棄物処分がね・・・」と言われると答えようがない。「日本方式でこういう形で最終処分場が決まった」と、胸を張って世界に発信できる日を私自身期待している。

人はさまざま、考えも千差万別。でも、お互い否定し合うところからは何も生まれない。本音でぶつかり合い、相互理解の努力が着実な結果をもたらすのではないか。意見は違っていていい。Yesでも butがあり、Noの人でもbutがある。このbutの部分は共有できる。そこで現実を直視し、冷静に話し合っていく。その精神を貫こうと思う。

原子力ジャーナリスト 中英昌


Copyright (C) 2007 JAPAN ATOMIC INDUSTRIAL FORUM, INC. All rights Reserved.