[原子力産業新聞] 2007年10月26日 第2401号 <2面>

「環境、エネルギー・原子力」女性リーダー像(3) 作家 神津カンナ氏に聞く“ちょい悪”に魅かれ、本質を直視 「原子力の通訳者」を自任

―芸術一家の神津さんと原子力が、どこで、どう結びついたのか。

神津 序章は父親(神津善行氏)の感化にある。父は作曲家だがものの考え方は理数系的で、原子力発電にたいへん興味を抱き、かなりの知識を持っていた。多分、「名曲の夕べ」とか全国で演奏会を開催する際、昔は電力会社が地域密着型の最大企業で立派なホールを持ち、文化的事業にも意を注ぐ最大のスポンサーだったことが関係していたと思う。

そんな折、1980年頃、電事連がスポンサーとなり核燃料サイクルをアピールするテレビの特集番組「ペレットの旅」が企画され、神津家が家族総動員で出演協力した。そのとき私も妹と、「スーパーフェニックス」の見学取材等で世界各地を回り、FBRとは何かなど、素人の立場で一つひとつ勉強しレポートした。

次に私が原子力に深入りしたきっかけは、女性初の閣僚として経済企画庁長官を歴任した高原須美子さん(故人)が91年に生活者の立場からエネルギー問題を考える会、ETT(フォーラム・エネルギーを考える)を立ち上げ初代代表に就任した際、電話で「少し勉強しませんか」と誘いを受けたことに始まる。その場では、当時、原子力や日の丸論議はタブー視されていた風潮から、「私には面倒くさくて…」と即座にお断わりしたが、「そうでしょ、面倒くさいでしょ。だからやるのよ」と言われて断れなくなってしまった。

ETTでは、地域の女性リーダー、大学教授、原子力専門家、ジャーナリストなど多彩な著名人と出会い、見学会に参加し、意見交換するうちに「これはもしかするとものすごく面白い」と思えてきた。理由の1つは、原子力はエネルギー全体、経済に関係するし、私たちの生活そのものでもあり、教育や環境問題にも密接につながっているので、どの切り口、どんな人にもどこからかアプローチでき、誰でも参加できること。もう1つは当時、反原発運動が過激な時代だったが、作家としての気持ちのどこかには、これだけ反対されたり、うさん臭いと思われているものに魅かれる、理屈でない感覚もあった。

―恋愛小説にも一脈通じると。

神津 恋愛では男も女も怪しい、こわもて、他人の評判が悪い$lに魅かれる場合がある。そういうものの中の本質を見ていく気持において、原子力も恋愛に結びつく。そしてよくよく見ると、そういう人に限って「あれ、案外じゃない」と言えるような光るものを持っている。ちょい悪≠ノ見える人を、「自分で付き合わないで何で分かるの」、「他人がどう言おうと関係ない。私にとりどういう男かは、私が確かめる」という感覚に似ているのではないか。

―さて、そこで神津さんは、原子力でどのような役割を自任したのか。

神津 私の本職は作家だが、エネルギー・原子力と出会ったことにより、のんびり自分の世界で好きな小説を書いている状態からもう少し社会を見るようになり、書き方、路線も変わって行った。また同時期に、「子供電話相談室」という全国の子供からの質問に電話で答えるTBSのラジオ番組があり、その回答者を長年務めていた。そこで、たとえば小学校2年生ぐらいの子から突然難しい質問を受けた際、控えている先生たちがたとえ有名でどれだけ正しい説明をしても、その子が納得できなければ「分かりました」とは言わないし、子供の質問に答えたことにはならない。

これは、正に原子力についてもぴったり一致する。そうした現実をたくさん見るにつけ、私は、こうした質問者と回答者の間に入る通訳≠フ仕事ができないかと思うようになった。通訳といっても、質問者がまったく知識のない人、多少勉強している人等で、何段階かの穴埋め通訳が必要となる。私がこれまで、原子力の有意性について多少勉強させてもらってきたことへのお返しができるとすれば、この部分にあると感じた。したがって、シンポジウムのパネリストや講演を頼まれるたびに、原子力の難しい事柄・説明を自分の土俵にもってきて、自分の言葉で、一般聴衆の胸にストンと落ち、会場から「そういうことならよく分かる」と納得してもらえるよう努力している。

父は「物事は一面からだけ見て判断したのでは本物の姿は見えない」が口癖だったが、多面体・原子力の勉強を通じて私も得心した。「違う角度からものを見、見えないものに関心を持ち、自ら行動していく」が今の私の信条である。環境問題も原子力もたいへん見えにくい。現代社会では、こうした見えないものを見るという気持ちを忘れたら、一気に滅亡に向かうのではないか。

私は最近、私の友人でマラソン・ランナーの増田明美さんやピアニストの三舩優子さんたちと対話しながら環境、エネルギー問題を考えることで、一般への理解浸透・拡大のインパクトになるような試みを始めた。今のうちに個々人が自覚し、打てる手立てを尽くすことが今生きている人間の最低限の義務ではないか。面倒くさくても、この時代を生きる「同じ船に乗った仲間」として、逃げてはいけない。

(原子力ジャーナリスト 中 英昌)


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