[原子力産業新聞] 2008年5月15日 第2428号 <2面>

伏見康治・元学術会議会長が死去

伏見康治(ふしみ・こうじ)元日本学術会議会長が8日、老衰のため横浜市港北区の三菱重工大倉山病院で死去した。98歳だった。

12日に通夜、13日に葬儀が横浜市港北区の妙蓮寺で執り行われた。喪主は長女康子(やすこ)さん。

1951年にサンフランシコ講和条約が調印され、日本の主権が回復するのを受けて、同年10月の第13回日本学術会議総会に、茅誠司・東大教授(後に総長)と一緒に原子力研究推進の必要性を訴えた「茅・伏見提案」を提出し、その後の原子力研究開発への流れを推し進めたのは有名。

同氏は東京大学卒後、大阪大学教授、同理学部長、名古屋大学プラズマ研究所長などを歴任した理論物理学者。

旧日本原子力産業会議では1973年から83年まで常任理事などを務めた。83年から89年までは参議院議員(公明党)も務めた。

核兵器開発にも反対し、95年12月には旧原産会議のシステム研究懇話会で「エドワード・テラーの7つの大罪」と題する講演も行った。数年前まで杖を突きながらも、関係者との勉強会などには出席していた。


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