[原子力産業新聞] 2008年10月30日 第2451号 <11面>

〈日本原子力研究開発機構理事長賞〉愛知県岡崎市立甲山中学校・2年 鈴木崇造 命を救う放射線

戸崎じいが、がんになった。ユーモアのセンスが抜群で話が面白い戸崎じいとは、祖父の弟で、しょっちゅう我が家に顔を出す。インターホンもならさず上がりこんでくるその存在は、もはや親戚というより家族に近い。だから、戸崎ばあちゃんをがんで失ったぼくは、大好きな戸崎じいの病気を、受けとめることができなかった。しかも、そのうえ治療で、放射性物質を体内に挿入すると聞き、ぼくは驚いた。

放射線といえば、まず思いうかぶのは原爆、そして時々新聞紙上を騒がせる放射線もれの報道……。そんな恐ろしい手術をしなければならないのか心配になったぼくは、手術の資料を片っ端から読みあさった。

その手術は、「ヨウ素(I−125)シード線源を用いた、前立腺がん密封小線源療法」という治療で日本では2003年に医療法上認可された。アメリカでは年間500万人以上が、この治療を受けているらしい。この夏はテレビや雑誌で、手術の内容が何度も特集され、ぼくはようやく安心した。

さて、本人はというと、手術の翌日には携帯電話でぼくにメールを送り、1週間後には、家の庭に干してある梅干しをつまみ、いつものようにゆでたてのとうもろこしをポリポリ食べていた。元気そのものだ。

「心配かけてごめんね。日本は世界唯一の原爆被爆国だから、どうしても放射線は悪いイメージがあるけど今じゃわざわざ体内に入れて、これが治療になるだでなあ」と、のんきに言った。

初めて放射線を身近なものと感じたぼくは、原子力はエネルギー確保のために、仕方無く存在している恐ろしいものだと思っていた自分の無知を反省し、浜岡原子力館に出向いた。

放射線や原子力について勉強したことは初めてで、放射線と放射能との違い、自然放射線と人工放射線があることなどを知った。また、普段食べ物の摂取や呼吸から浴びる放射線が年間2.4mSvなのに対し、原発近隣に住んでいても余分には、年間0.001mSvの放射線しか浴びないとは、考えもつかないことだった。そして放射線は医療だけでなく、工業、農業、研究等、さまざまな分野で広く用いられていると知った。

一番の収穫は、原発は、仕方無く存在しているものではない、と認識したことだ。現時点で、日本の産業と、現代社会生活を支えられるぼう大なエネルギーを、二酸化炭素を、全く放出せずに得られるのは、原発しかない。

学習した後に、建物中央にそびえ立つ実物大原子炉模型を見上げると、種子島の宇宙センターで巨大ロケットを見た時と同じ感動をおぼえた。ロケットは未知なる宇宙に夢を乗せて飛び立つものだが、原子炉も、ぼくらの夢や生活をどっしりと支え未来を築く、頼りがいのあるやつなのだ。

しかしこんなすごいやつ7基で発生する、合計出力821万キロワットという世界最大の柏崎刈羽原発が、中越沖地震以来、眠ったままであるということは残念でならない。

ぼくは地震のニュースで、黒煙をあげる変圧器の映像や、何度も新聞で大きく報道される放射線という文字から、原発は大変な事になってしまったのだと勘違いしていた。しかし想定外の揺れを受けながらも原子炉は自動停止し、環境被害を及ぼすことはなかった。そればかりかその後二度にわたる国際原子力機関による調査でも大きな損傷は見つからなかった。日本の原発は、安心なのだと感心した。柏崎刈羽原発の1日も早い再開を祈る。

知らない、ということは恐ろしい。知る、ということは楽しい。ぼくはこれからもひき続き、戸崎じいの命を救った放射線や、エネルギー問題について勉強していきたい。

大切なエネルギーは、本当に必要な時にこそ使われるべきである。ぼくは今日も、エアコンをなるべく使わないよう、今年の暑い夏と、闘っている。


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