[原子力産業新聞] 2008年10月30日 第2451号 <2〜3面>

@洞爺湖サミット ―「原子力が主役」に道筋

司会 本日は皆さま、ご多忙の中ご参加いただきありがとうございました。早速ですが石田長官、日本が議長国としてイニシアチブをとった7月の洞爺湖G8サミットでは、地球温暖化対策など21世紀の「低炭素社会」実現に向け“原子力が主役の時代”の舞台装置が設定されたのではないかと思いますが、改めて全体的な原子力の位置づけ、役割、議論の流れを総括ください。

石田 昨年12月にインドネシアのバリ島で開催された第13回気候変動枠組み条約締約国会議(COP13)で気候変動問題について2013年以降の「ポスト京都」議論の国際交渉立ち上げが本格的に決まり、また今年から京都議定書のCO排出削減約束期間にも入った。

一方、未曾有の原油価格の高騰が進んだことから世界的に地球環境問題と資源価格高騰問題に対する関心が急上昇した中で、7月には洞爺湖G8サミットが開催された。こうした流れの中で、原子力は気候変動問題と資源価格高騰問題に対する1つの現実的な解決策を提示する切り札だという認識が、少なくともドイツを別にG8の中でかなり共有されていた。サミット直前の6月に青森で開かれたエネルギー大臣会合でも、それまでEUの中で原子力に慎重だったイギリス、イタリアが、出席した大臣自ら原子力に対する期待あるいは推進に向けた強い決意を表明し、まさにサミットに盛り込むべき成果の前段階のような合意文書を採択した。

つまり、低炭素エネルギーの有効な切り札として原子力を位置づけるとともに、人材育成、規制制度等のインフラ整備に関する国際協力を進めていく必要性が謳われた。

それを受け洞爺湖サミットでは、世界の多くの国で、気候変動問題とエネルギー安全保障の両面から原子力が極めて有効なエネルギーとして関心が高まっていることについて、ドイツも含めて認識を共有できたことは大きな前進だった。昨年の独・ハイリゲンダムサミット首脳宣言では、G8国すべての共通認識としては、まったく書き込むことができなかったことを思えば、原子力についての積極的な位置づけがG8の首脳宣言で明確にできた意義は大きい。さらに、核不拡散、原子力安全、核セキュリティーの確保についても、日本の提案で国際イニシアチブを推進していくことで合意できたこととも合わせ、私どもとして高く評価をしている。

今後は、こうした原子力に対する国際的な位置づけの高まりをベースにしながら、いかに国際的な実際の原子力推進につなげていくかが重要になる。特に原子力発電の新規導入を計画している国が増える中で、核不拡散と原子力の安全な平和利用に関し、どううまく国際的な枠組みをつくり、かつ原子力先進国としての日本の貢献を世界に示していくかが大きな課題となろう。

司会 ポスト京都議論の第一歩という重要な位置づけの洞爺湖サミットで原子力が国際的に積極的に認知され、「原子力発電グローバル化」が本番を迎えようとしています。田中先生には、そうした新しい時代の変革、胎動、必然性についてお話しください。

田中 今の石田長官のお話の中にもあったように、2050年までに世界規模でCO を半減していくには、発電過程でCOを排出せず、しかもエネルギー量として基幹となり得る原子力を抜きに地球環境問題や資源問題は語れないというのは事実かと思う。大学でもそれに関心のある教授は大勢いて、原子力にやや批判的な人も含め再生可能エネルギーと原子力をどのぐらいの比率で取り込んでいけるのか、なおかつそれが地球環境問題にどれだけ貢献するのか、についてずっと議論してきている。

いろいろなケースがあるが、例えばIEAのレポートによれば、世界全体で今後毎年平均24〜32基程度原子力発電所を新設していく必要があり、50年頃には合計で1600基ぐらいに達する。

これまでは、そういう数字を掲げてもまったく信用されなかったが、だんだん世の中の動き、考え方がそれを受け止めるようになり、また実際それぐらいにしていかないと温暖化問題の解決は難しいかと思う。同時にそれが現実となるようであれば、50年時点の世の中はかなり様変わりするのは事実だろう。

一方、原子力のグローバル化については各国間で原子力発電所数は増えていくと思われるが、大きく3グループに分けられる。

第1は、途上国の中でも原子力を大増設していかざるを得ない大国で、中国を筆頭にインドが10〜20年遅れでその後を追っている。両国とも日本のように軽水炉インフラが整っているわけではなく、この2大国での原子力開発が進展しなければ世界全体のCO< small>2排出削減はおぼつかない。米国、ロシアにおいても大幅な原子力発電所の新増設計画がある。

第2はイギリスやイタリアなど、「原子力ルネサンス」への政策転換を表明した国々。さらに第3には、世界規模から見れば設立基数的には少ないながら、インドネシアとかベトナムあるいは少し遠いスパンになるが将来的に注目されるサウジアラビアをはじめとする中東産油国等がある。

そうした状況の下で今後、地球規模の原子力グローバル化に世界あるいは日本がどのような貢献ができるのか、また世界的にどのような組織、新しい枠組みを構築しなければいけないのかの検討が重要な課題になると思う。例えば核不拡散等の国際組織としてはこれまでIAEA等があるが、それ以外に新たに組織を設立する必要があるのか、あるいは今ある組織の中の仕組みを変えることで最大限の効果を発揮できるように再編できるのか。

いずれにしても原子力グローバル化時代に対応できるように変革していかないと、個々の国が勝手な方向を向いていたのでは、どこかで必ず大きなひずみが生じて問題が表面化することを懸念する。それだけに、こうした問題についてはわれわれ学者仲間だけでなく、政治サイド、特に40代あるいは50代前半ぐらいの若い国会議員の間で真剣に考えてもらうことが極めて大事だ。

司会 ところで、世界の科学者で構成する国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が昨年11月に「地球温暖化は人為起源」と結論付けたことが、今日の国際的温暖化対策議論の原点になっています。和気先生には、こうした「科学技術と政治・国益」といった視点からアプローチください。

和気 まずエネルギー問題を狭い意味でとらえると、それぞれの国の個性的なエネルギー政策があっていいと思う。一方、地球環境問題は現在の人々がどう対応するかだけではなく、将来世代がどう考えるかも考慮すべき世代を超えた課題であり、時間的にも空間的にも壮大なテーマを突きつけられたという意味で次元が異なる。しかも、IPCC報告書が発信した科学的知見を機に、「エネルギー起源」(エネルギーをもとにしたCO排出問題)こそ人類がチャレンジしなければならない重要かつ困難なテーマであることが分かってきた。これによって、各国の経済発展モデルに合わせた独自のエネルギー政策には限界があり、資源枯渇も含めたエネルギー問題それ自体も新たなグローバル・イシューとして、国際社会の大きな宿題として浮上してきた。

そのうえで、「科学技術上の知見と政治」の視点に立つと、私は石田長官が言われたように今、国際政治情勢が原子力エネルギーの見直し、あるいは復活の方向に大きくシフトしていることは自然の流れだと思う。ただ、政治はときに移ろいやすく、今は原子力に対する各国政府のスタンスが「重視・推進」で熱を帯びているといっても、その情勢が長期にわたって続くという担保も保証もない。それが国際政治の現実だと思う。

一方、科学技術上の知見は、少なくても政治の思惑からはある程度の距離があり、冷静かつ合理的に真理を追求するなかで発信された情報であると信じたい。そうした観点から、IPCCの活動は非常に意味があるし、少なくとも現在、気候変動問題の最大のよりどころにできるものと思っている。

ただ次の問題は、地球環境からのメッセージを受けて、国際社会が一国主義的、あるいは地域的にブロック化していくシナリオを前提にするのか、それとも、貿易、技術移転、国際排出量取引制度など種々の仕組みを共通項として内に取り込みグローバル化していく国際社会のシナリオを前提にするのかを明示的に踏まえて、地球温暖化問題を考える必要がある。たとえば、途上国も含めて技術などが国際的に普及し、国際社会のグローバル化が進展することにより何か異変が起きたときに、そのリスクや影響もまたグローバル化するのではないかという不安感を世界の人々が一斉に募らせ、世界に閉鎖的な風潮が蔓延したとき、私は、老婆心ながら一人の国際経済学者として、戦後何十年間もかけて自由で平和な世界経済システムの構築に向けて営々と注いできた努力が水泡に帰してしまわないかと危惧する。環境問題だけではなくて経済問題も含め今、複雑な連立方程式体系を解かなければならない難しい時期に来たとしみじみと実感している。

司会 では佃副会長、財界代表の一人として洞爺湖サミットをどう評価されていますか。また、「低炭素社会」に対応した産業構造構築についての見解をうかがいたい。

 今皆様からお話があったのと同様に、産業界も洞爺湖サミットの成果を高く評価している。特に今年4月の日本原子力産業協会年次大会で福田首相(当時)が表明された低炭素社会へ向けての決意が、少なくともG8の間で共通の認識として持たれたことは非常に大きな前進だったと受け止めており、産業界としても全面的にこの方針に従って力を合わせていきたい。

ただ、世界全体で「50年にCO排出半減」を掲げ、この達成のため先進国は中期目標として60〜80%削減するといった具体的な数値目標も挙がっているが、これを実際にどうロードマップ化していくかが今後の大きな課題として残されている。これは、97年の京都議定書の際、EUに有利で日本にとっては極めて不利な90年を基準年としてCO< sub>排出削減目標を課す不平等な条約締結を余儀なくされたいきさつも踏まえて考えると、「排出権取引」議論にもみられるように、極論すると欧州金融資本との戦い、国益と国益との戦いの側面も色濃く、大いなる議論が予想される。これからが胸突き八丁だと思う。

また、これは個人的な見解ながら、先ほど和気先生から「政治は移ろいやすいから気をつけなくてはいけない」とのお話があったが、私は今回の場合はあまり移ろわないのではないかという希望的観測を持っている。というのは、今回の議論がIPCCもそうだが、科学的に十分に詰めた結果であると同時に経済合理性と基本的に一致しているからだ。これだけ原油価格が高騰したうえ今後50年から100年で石油資源が枯渇するというときに、3E(環境、経済発展、エネルギー安全保障)を同時進行させるためには「脱炭素社会」を志向する以外ほかに道はないというのが経済合理性からいっても必然で、皆それを認識していることからも、脱炭素社会への動きは基本的に「移ろわない」と考えている。

ただ、それがどのようにロードマップとして実際に描かれるのか、排出権取引なのか、あるいは原子力利用をどんどん拡大して実際にCO排出量を減らしていくのかなど具体的な取組みになると、今から非常に厳しい議論が予想されるだけに、これからも注目していかなければならないと思う。

一方、われわれ産業界として、こうした流れをしっかり認識して、先ほどからご指摘いただいているように、科学的な信頼性あるいは統計学上の安全性にとどまらず、むしろ一般国民の原子力に対する「安心感、信頼感」を醸成し、国民の皆さんに確信していただけるよう、これからもより一層努力していかなければならない。これがわれわれの非常に大きな責任だと自覚している。


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