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[原子力産業新聞] 2009年2月12日 第2465号 <3面>

【クローズアップ】 日本製鋼所 永田昌久社長に聞く 世界の原子力部材の覇者は偶然か奇跡か 顧客需要に応え、社会に貢献 いちずに品質向上目指した結果

世界的な原子力ルネッサンスを具体化するとき、立地サイトの確保の次に考えなければならないのは炉型と主要大型機器の製造をどうするかだ。注目されるのが日本製鋼所(JSW、本社=東京都・大崎)・室蘭製作所の大型プレス機の日程確保が現実的に大きな課題となる。永田昌久社長に、原子力発電に対する同社の基本的な経営方針、事業の現状などを聞いた。 (河野 清記者)

――日本製鋼所の歴史の中で、さまざまな製品の変遷があったと思うが、今の原子力部門とはどのようなものか。

永田社長 原子力製品群は社会の中で当社の生業(なりわい)として、続けていく意味・意義そのものと思う。当社の発祥は戦前の兵器製造。英国企業(アームストロング社とビッカース社)と日本側(北海道炭礦汽船)の合弁で、英国から技術導入し室蘭で作り始めた。それが100周年を迎えたいま、環境問題など地球の永続性を考えた上で、原子力発電に関わる意味は非常に大きい。不思議なめぐり合わせを感じる。

――御社は明治40年(1907年)の設立以来、兵器産業という国策の主要な一翼を担いながら、幾多の不況も乗り越え、いまや日本に限らず、世界の原子力メーカーが御社の製造技術に期待している現状をどう評価するか。

永田社長 兵器は素材、加工、設計して機械に組み立てるもの。いまの原子力製品は部材にしか過ぎず、付加価値から言うと当時とは製品としてのスケールが違う。しかし市場と言う点では、兵器の社会性は国家の中だけだが、いまの原子力市場は、とてつもなく大きな世界市場となっている。

兵器製造はどんな場合でも、敵の性能を上回る性能が求められる。こういう育ち方をしたメーカーが戦後、平和産業に転換した。

原子力との関係は、東海原子力発電所の前から研究を始めた。

原子力発電所の部材として、顧客が手間のかからないような造り方、溶接線という不連続部分のできるだけない部材、検査・品質管理が少なくてすむような、安全性確保のための手間を少なくすることを追求してきた。ここで止まってしまうと名誉で終わってしまう。メーカーのさらなる次の要求に応えていかなければならない。

1万4000トンプレス機の2基目増設など設備投資の拡大は、リスクを負っても社会的使命を果たすためだ。社会的意義のあるものを作り続けていく責任を全うしていきたい。お客が要求される限り、供給していく。

――「現場でのものづくりにこだわる」という会社の経営方針もだしている。

永田社長 私は若いころ室蘭製作所で原子力関連の品質管理部門にいた。原子力部門で管理職になった。私が一番仕事をした時期でもあり、一番懐かしいころだ。

そのころは旧西独がどんどん原子力発電所を作っていた時期で、ほとんどのBWR・PWR圧力容器の部材、およそ20セットを室蘭から輸出した。

部材組立時の溶接作業員の無理な溶接姿勢からの開放、安全性や検査作業員の被ばく量低減などから、できるだけ溶接線をなくすために、熱した鋼塊(インゴット)から鍛造で圧力容器の胴部分を直接打ち出したり、配管ノズル部を一体化するための工夫を現場が開発してくれた。溶接する部分が外側にあれば溶接もしやすく、後で品質管理も検査もしやすい。自動溶接も可能となり、溶接員の技量差による品質の差もなくなる。

――御社にとって、いま産業界で言われているような技術者の確保や技術の継承問題は、どこ吹く風か。

永田社長 当社もTMIやチェルノブイリ事故の後は発注が少なくなり、やっと蒸気発生器の取替え需要などがでてきて、細々と技術をつないできた。溶接作業環境への配慮などが、機器の安全性向上につながり、当社の技術進歩も継続できた。技術の継承は書類や図面だけではできず、苦労しながら現場でやるしかない。

――永田社長の経営展開は、長い海外経験に基づくところが大きいような気がするが。

永田社長 室蘭で仕事をする前に、旧西独のデュッセルドルフに6年間駐在した。先ほどの話のように、西独で原子力発電所の建設が続々とあった時代で、当時のジーメンス社やAEG社、合併後のKWU社などと仕事をした。

――御社の原子力事業の現状は。

永田社長 原子炉の大型化が進み、ABWRの圧力容器の下部、インターナル・ポンプや制御棒などが接続される「鏡」と呼ばれるドーナツ状部分(内側の直径約7.1m)の一体構造は、当社の1万4000トン水圧プレス機による600トン鋼塊を扱う技術でしかできない。溶接そのものが困難であり、供用期間中検査(ISI)も困難なノズル溶接部をどうしても無くしたいという思いから実現したものだ。客先での原子炉本体の検査をできるだけ少なくして、配管など他の溶接等の部分の検査に集中できるようにしたい。いくつかの原子力発電所での事故をみてきて、そのことを痛切に感じる。

――昨年からの金融危機で、御社への影響はでてきているか。

永田社長 特に米国向けの炉型が変るということはあるかもしれないが、計画自身が中止となったり、延期されるという影響はまったくでていない。

――国内向けと海外向け機器の違いは。

永田社長 当然、海外では国ごとに安全基準は異なる。メーカーによっては、ある基準でも別の基準でもよいように、注文してくるところもある。

当社工場では米国機械学会(ASME)の認証NPTスタンプ(部材製造対象)を更新、更新でやってきているが、以前、台湾向け圧力容器全体を製造したことがあり、その実績に基づきNスタンプ(完成炉製造対象)を取得した経験が、大いに役立っている。

――社長の趣味は。

永田社長 ゴルフや、クラシック、ジャズ、オペレッタを聴くことか。暇ができるようになったら、当社の室蘭製作所でも造っている日本刀について勉強してみたい。

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永田昌久(ながた・まさひさ)氏 1962年慶応大学機械工学科卒、日本製鋼所入社。66年〜72年輸出部付デュッセルドルフ駐在員、72年〜74年室蘭製作所第一工務部、77年まで同原子力部品質管理マネージャー。01年6月から社長。


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