【第42回原産年次大会】 セッション3 基調テーマ「低炭素社会における原子力の役割」 基調講演 藤垣裕子・東京大学大学院総合文化研究科准教授「科学技術と社会との信頼構築にむけた専門家の役割」 市民と専門家交流を 科学者に「応答責任」

エネルギーの安定供給や低炭素社会の実現へ向け、原子力への期待が高まっている。しかし立地にあたっての論争は、どこの国でも起こりえる。

論争において専門家の主な不満は「こんなに説明しているのにわかってもらえない」ということである。この根底に「欠如モデル」の存在がある。

欠如モデルとは、専門家や行政の「人々が懐疑的態度を示すのは理解や知識がないためであり、適切な知識があれば非合理的な恐れは抱かなくなるはず。だから理解促進に努めなければならない」という思い込みである。つまり公衆の知識が不十分で、専門家側の知識は十分だという考えである。こうして専門家は一方的な教育で、技術の「受容」促進を試みる。日本の原子力委員会の報告書にも「受け手がリスクを『受容していく』上で、さまざまなリスクに対して、自ら考え、対処していくための基本的な『教育』がなされていくことが重要である」と欠如モデルに特有な表現が見られる。

しかし複数の研究により、この欠如モデルは批判されている。物理学者のザイマンは1991年、「単純な欠如モデルでは、説明できないことがある」「フォーマルな科学的知識は、日常の問いに対して答えることができない」とした。またウィンは1996年、「人々の生活では、状況に応じた知識が必要」としている。さらにブッチは2000年、知識への暴露量と知識の量には相関性がなく、さらに知識の量と肯定的態度にも相関性は見られないことを実証した。

欠如モデルを超える例としては、(1)「日常においては教科書に書かれているような科学知識ではなく、状況に即した知識がある」という文脈モデル(2)「一般の人たちは専門家とは異なる住民の現場の知(ローカルノレッジ)を持つ」という素人の専門性モデル(3)「ローカルノレッジを尊重し、未来を選択する意思決定を市民参加型で考える」という市民参加モデル――などがある。

これらのモデルを活用し、科学的知識とローカルノレッジの間に双方向の流れを作ることが効果的である。市民は受動的とするこれまでのモデルを改め、専門家と市民の相互コミュニケーションを通じて科学リテラシーを高めていくのが効果的である。技術に関連する意思決定を公の場に開き、透明性を確保することが大切だ。

時代とともに科学者の社会的責任のあり方も変わってきている。第2次大戦前は科学者が国家の繁栄に責任を負うとされ、大戦後には科学者自らの作ったものが及ぼす影響に自己懺悔的な傾向が見られた。科学技術における議論がモノローグからダイアローグへと移行する今後、科学者が社会との信頼関係を構築していくにあたり、(1)責任ある研究の遂行(2)知的生産物に対する責任(3)市民からの問いかけへの応答責任が求められる。

科学者が「応答責任」を果たすにあたり、自らの研究の影響を知る社会的リテラシー、意義ある研究のため税金を明確に使っていることを示せるアカウンタビリティを持ち合わせるべきだ。わかりやすく説明する責任、意思決定に用いられる科学の責任、報道に用いられる科学の責任についても問われていくだろう。


お問い合わせは、情報・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで