【論人】石田 寛人 金沢学院大学長(元科学技術事務次官、元駐チェコ特命全権大使) 祭礼の子供歌舞伎は「一炊の夢」

今号から順次、各界の有識者に寄稿いただき、コラム「論人」を原則偶数週に掲載する。歴史、文化、科学技術、世相の見方など、すばらしい「知の輝き」をお楽しみ下さい。

私の勤務時間外は、歌舞伎のホンつまり戯曲を書いて過ごしている。主に子供芝居用である。自分は戯作者だとシャレたいところだが、書き終えたものを読むと、文字通り戯れて作ったようなものばかりだ。書き散らす割に打率は低迷しており、一応、他人様に読んで頂ける形になったのは2、3に過ぎない。

そもそも、歌舞伎に、まして地方の祭礼で演じられる地芝居に、新作が必要かどうか、議論のあるところだ。歌舞伎は何と言っても古典演目が圧倒的。義太夫の三大名作狂言と言われる「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などは、演じて奥深く、見て面白い場面が数多くあり、大芝居でも地芝居でも人気は不動である。私の出身地小松では「一谷嫩(ふたば)軍記」の「熊谷陣屋の段」や「絵本太功記」の「尼崎閑居の段」なども好まれている。これらの芝居は、演ずる型もできあがっており、見ても分かりやすい。

それに対して、新作の義太夫狂言は、当然ながら、新たに作曲が必要で、演技方法をゼロから積み上げなければならなし、観る人々にとって筋になじみがない。このような新作の上演は、先の見えない挑戦である。しかし、未来に向かって挑戦する気概の持ち主が多い原子力界の諸先輩のことが頭をよぎり、趣味の世界でも、自分の創作狂言で、そんな挑戦をしてみたいと思ったのが、苦しみの始まりだった。日々、文語文法と悪戦苦闘し、歌舞伎常套語の安易な頻用に引け目を感じながら、原稿用紙やパソコンに向かって苦吟の連続ということになった。結果、頭髪は薄くなり、目はショボショボになってしまった。

かくして製造した愚作のうち、平家物語の妓王の章をもとにした「銘刀石切仏御前」と銘打ったホンが、今年5月、故郷石川県小松の祭りで上演された。天下の権を握った平清盛が、嫡男重盛の心配をよそに横暴を募らせ、寵愛する天下第一の白拍子妓王をソデにして、押しかけてきた加賀出身の仏御前に気持ちを移してしまうというおなじみの話に、平治物語にも出てくる瀬尾太郎や渋谷五郎金王丸をからませ、最後、源平合戦で命を落とした人々の鎮魂のため、石は切れても人は斬れない銘刀石切丸を仏前に奉納するという牽強付会の筋立である。9年前に一度演じられたものの、当時、私はプラハにいて、稽古も本番も全く見られなかったが、今回は自分で台本にさらに手を入れ、時に稽古場を覗いた。

上演45日前の台本渡しから、25日前に始まった立稽古で、全員女子小学生の出演者は、グングン役者らしくなり、稽古納めの日には、芝居がしっかり固まった。さらに、十数回の上演で見物衆の大拍手をもらう毎に、彼女たちの役者ぶりが上がっていき、私もホッとひと息ついた時が千秋楽。座組は解散で、心も体も日々成長する彼女たちが、曳山という山車の上の狭い舞台に戻ってくることはほぼない。祭礼の子供歌舞伎は一瞬のもの。済めば一炊の夢、没入する時期はすぐ過ぎる。人生のはかなさ短さを見る思いだ。

確かに人の世は短い。原子力の世界で若手だった私も、齢70に近い。原子力は、働く時期の限られた一人ひとりが縦と横に繋がって、莫大な努力を注入していく分野である。かつては夢という言葉も冠せられたが、今は現実に大量のエネルギーを供給している。しかし、世の多くの方に喝采して頂ける日は、なかなか来ない。私などより若く有能な人々が、我々の先人の労苦に思いを致して、慎重に大胆に新しい道を切り開き、世界中の人々から心の拍手を頂く時の到来を、見果てぬ芝居の夢を見るように瞼の裡に浮かべている。

10月、この芝居が米原で上演される。5月の夢の続きを見るべく、馳せ参じたい。


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