【シリーズ】原子力発電「支えの主役」関連産業編(1) 三和テッキ 原発向け管系支持装置で国内トップ ASME認証再取得 「世界一の自負」海外市場で実証のとき

三和テッキ(東京都品川区、小野和男社長)は、わが国の鉄道電化の黎明期にすべて輸入品に頼る中、「せめて架線金具ぐらいは国産化しよう」との思いで1907年に設立した馬来製作所が前身。その後、45年に三和鉄軌工業、73年に三和テッキに社名変更、2007年に創業100周年を迎えた歴史と伝統がある。この間、電車線用金具の独自技術と実績をベースに、電線を接続する、支持するといった技術のもと送・配・変電市場に進出し金具や機械工具類の製造を開始した。さらに時代の変遷・ニーズに合わせて発電・化学プラント等の管系支持装置を手掛け、そのいずれものリーディング・カンパニーとして鉄道・電力を中心とする巨大基幹産業の一端を支えている。

特に、原子力発電所(原発)における安全の要の1つとなる耐震性に優れた防振器(スナッバ)など管系支持装置では国内すべての原発に納入、圧倒的シェアを保持する。創業100周年を機に制定した新経営理念では「基幹産業のイノベーションに挑戦し、ソシアルカンパニーを実現する」を標榜、「原子力発電のグローバル化という世界的時代のニーズにも小野社長自ら積極果敢な決断で、8月に米国のパイプサポート会社と業務提携し、国内の原子力サプライチェーンメーカーとして先陣を切った」(納谷滋人専務=写真)と胸を張る。

管系支持装置は、原発等に設備される配管の自重をサポートしながら熱移動に追従、かつ地震発生時に確実に固定することができる装置で、原発の安全運転に非常に重要な役割を果たす。三和テッキは1955年に船舶ボイラー用パイプハンガの実用化に成功、また、60年にはわが国初の日本原子力発電・東海1号に管系支持装置を納入し注目を集めた。さらに、72年にオイルを使わない防振器=メカニカル防振器(写真下)を開発、配管解析プログラムなどソフト開発と合わせ、80年代原子力の時代≠フ管系支持装置市場を席捲した。

とはいえ、その後の原子力関連ビジネスは決して順風満帆ではなかった。国内の原発の新設が激減し、同業者が事業を縮小する中、三和テッキは防振器の油圧式から機械式への置き換え需要やメンテナンスおよび鉄道、電力部門の支えで何とか原子力事業を継続してきた。その後、耐震の指針見直しを受けて原発設備の耐震裕度向上工事がスタート、防振器の需要が次第に増加することとなった。

さらに、原子力発電はエネルギー・セキュリティーに加え地球温暖化の原因となるCO2を排出しない低炭素化電源として世界的に再認識され、今後地球規模で新設・導入ラッシュとなるとの予測もあり、東芝、日立、三菱重工のプラントメーカー3社は海外での原発一括建設で覇を競っている。

納谷氏は「われわれは世界的に原発建設が約30年中断した間にもプラントメーカーや電力会社と共に絶ゆまず技術を磨き実績を積みながら、やっとの思いで今日の高み≠ノきた。これまで培ってきた技術でトップの製品を世界に供給できる絶対の自信があり、またそれが日本の使命だと思う」と自負、巨大化する海外市場で実証・チャレンジするときを迎えた。

三和テッキはこれまで1978年に原発向け管系支持装置で米国機会学会(ASME)の認証を取得、サンオノフレ原発に納入した実績がある。米国は地震国ではないにもかかわらず、耐震要求は非常に厳しい。したがって、地震国であるわが国の耐震技術が生かせる絶好の機会と捉える。こうしたことから、米国での原発建設が確定した東芝、三菱重工に、三和テッキはベンダーとして参画したい意向を持っている。

そこで同社は改めて原発向け管系支持装置でASMEの認証を7月に再取得した。さらに、米国のパイプサポート会社にアプローチし、米国内で原発向け防振器ビジネスを共同展開しないかと提案、8月に業務提携を結び、日本メーカーによる原発建設をバックアップする体制を整えた。

ただ、「当社の防振器は信頼性で世界一との自負はあるが、営業レベルまで含めると世界企業といえるにはまだ距離があるのも事実。特に知名度においては欧米のメーカーが手強い存在」である。今後はさらなる技術開発とともに「まず三和テッキ」をグローバル市場で認知してもらうことが当面の世界戦略のポイントの1つのようだ。

(特別取材班)


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