【論人】山本廣基 国立大学法人島根大学長 リスクリテラシーを向上させる

4月20日から22日まで島根県松江市で開催される第43回原産年次大会の組織委員会座長を仰せつかった。松江市には中国電力島根原子力発電所があり、現在、2011年の運転開始を目指して3号機の建設が進められている。1974年に運転を開始した1号機は国産第1号として、また我が国で唯一県庁所在地に立地する原子力発電所として知られている。当然、市民の原子力発電に対する関心は高く、組織委員会においても市民との意見交換の機会として、「原子力発電所のある町で、私たちは考える」とするパネル討論形式のセッションを設けることとした。リスクコミュニケーションの1つであろう。

筆者の専門分野である農薬に対して一般市民が持つ不安は、原子力に対するそれとよく似ている。誰もが持つ危険を避けたいという心理によって不安を煽る情報は売れる。恩恵が実感できないものについては危険情報が、恩恵を実感できるものについては安全情報が重視されることになる。

筆者は農薬に対する「不安」を払拭し科学的理解を得ようと、「農薬に関するリスクコミュニケーション」と称する情報提供活動の一端を担ってきたが、真の意味でのリスクコミュニケーションのあり方について、なお考えるべきことは多いと感じている。安全情報を一方的に伝えることをして、「リスクコミュニケーション」と言っていないか。

過大でもない、過小でもない、科学的な判断に基づいて予測されるリスクとその対策、そしてその技術の利便性についての情報を同時にわかりやすく発信すべきで、そのことの積み重ねが、知らないことによる過剰な不安を持つ市民を、リスクを正当に判断することのできる市民に変えていくのだと思う。さらに、リスクは管理によって削減し得ることを理解してもらうことができれば、自分たちのとり得る対策を一緒に考えることができる。

多くの人は「リスク」を「危険」と考えているから、「リスクがある」、「ない」という二分論になってしまいがちである。「有害な影響が生ずる確率とその深刻さの程度」という本来の意味を理解できると、リスクを「大きい」、「小さい」という連続的な量的概念として捉え得るようになる。リスクを少しでも減らすための方策や代替技術のリスクとの比較、あるいは利便性とのバランスを考えることができる。

「これは良い」、「あれは悪い」といった二分論ではなく、「この程度だと問題はほとんどない」、「これ以上だと深刻な影響がありそうだ」という、量的な要因を含むリスクという概念でものごとを考えることによって、いたずらに不安をかきたてられることもなくなるであろう。「リスクリテラシー」とでも言うべき、リスクを科学的に理解する力を社会全体に醸成するために、それぞれの専門家が努力すべき時に来ている。

「安全・安心」と一言で語られることが多いが、安全と安心は全く別のことがらである。

安全のほうは科学的なプロセスを経て、どのような危害がどの程度起きる、あるいは起きない可能性を予測するものである。科学的プロセスを示すことで外部からその予測の確からしさを検証し批判することができる。

一方、安心のほうはある種の価値判断であり、いくら「科学的にみて安全ですよ」と言われても「でも心配」ということがあるのは当然である。個々の価値判断は、知識や経験、立場や信念によって異なるのが当然であって、この当然の違いを相互に尊重し理解することが大事である。

社会全体のリスクは科学的データに基づいてある程度論じることができるが、個々人が受けるリスクに関しては包括的な結論は得られないことにも留意しなければならない。個々人が、与えられたリスク情報をもとに、それぞれの価値観に照らして決定することである。

専門家はそのリスク情報を提供しなければならないし、個々人もそれらの情報を読み解くリテラシーを向上させなければならない。


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