【論人】 石田 寛人 金沢学院大学名誉学長 元科学技術事務次官 元駐チェコ特命全権大使 「一番と二番」覚悟の違い

「どうして世界一番でなければならないか。二番ではいけないのか」

昨年の事業仕分けで仕分け人からスーパーコンピュータ開発に対して発せられたこの質問は、世間の大きな話題となり、研究開発関係者にも強いインパクトを与えた。発言者は我が国のスパコン開発費を大幅に縮減すべしと考えている、と受け止める向きが多かったし、事業仕分けが科学技術全体に関してネガティブであると理解して暗い気持ちになった若い研究者もあったようだが、私は、必ずしもそうは思わなかった。

事業仕分けも予算編成作業の一局面である。予算編成の過程は段階が多く、いろいろな議論が重ねられる。時に、極論がぶつけられる。かつてある開発課題の要求に対して、当時の大蔵省担当者は次のように反応した。『この研究の米国での状況はどうか。もし、我が国より進んでいるのなら、向こうでの完成を待って、それを買えばいい。我が国より進んでいないならば、それを我が国で手がけてもうまくいくはずがない』全面否定である。しかし、彼の本心は違っていた。この計画を予算案の中に入れたとき、多くの人々にしっかり説明できる論拠を構築しようとしていたのだった。

私は要求官庁の職員として、要求調整の作業に携わることが多かったが、極論と極論をぶつけあい、結果として妥当な案に落ち着かせるというプロセスを何度も経験した。ただ、極論を強く主張するあまり、相手を叩きすぎてはいけないと自戒はしていたが、つい言葉が過ぎて、反省することも多かった。そこで、昨年の仕分け人の質問は、何故に我が国が世界一になるほどの研究投資を行う必要があるのか、その明快な根拠を要求者から引き出そうとして投げかけた言葉のようにも思えたのである。

しからば、我が国はなぜ世界一のスパコンを目指すのか。あの分野は多くの国が懸命に開発を進めている。我が国のスパコン完成の暁には、性能は世界一になるだろうが、おそらく後から次々に開発される外国のスパコンに追い抜かれていく。しかし、我が国の科学技術でさらに性能の高いスパコンの開発に挑む。要は、世界一流のグループにしっかり入っていて、トップに立ちうるものを作る総合力を持ち続けることがこの開発の目標と言えるのではないだろうか。

トップに立つ覚悟で開発に取り組むのと、二番以下でよいと思っているのでは、厳しさが全く違う。進む方向はこれでいいか、人材、資金の活かし方は間違っていないか、開発ペースは妥当か。結果が分からない未知の世界に向かってトップを行こうとする者は、多くの苦しい判断を迫られる。

それは、囲碁で、生きうると分かった石に関する着手は決めやすいが、生死不明の場合は手に迷い、もだえ苦しむことに似ている。また、芭蕉の「この道や行く人なしに秋の暮れ」の句境に通ずるようにも思える。さらには、スケートや自転車競技で、極めて大きな風圧に耐えてトップを走る苦しさのようなものとも言えないだろうか。科学技術で国を牽引するには、そんな苦しみに耐える覚悟をもつことが不可欠だと思う。

もっとも、大の囲碁好きながら、高段者に打っていただくどころか、パソコン相手のザル碁にひたり、数十分ごとに一喜一憂する私には、盤上の風圧などとは全く無縁であることが嬉しい。


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