【論人】加納 時男 自民党総務 参議院議員 ー国政参画12年に『幕』 三つの橋を架け続けて

ここに、10年前の原子力産業新聞の記事がある。2000年1月20日付けの7段記事。

「原子力政策円卓会議」「各党国会議員出席討論」「国会議論の在り方模索」「『エネ法もとに政策を』加納氏提案」が主な見出しとなっている。

これは同月13日に原子力委員会が6党の政策責任者を招いて行った原子力政策に関する初の公開討論会の報道である。

原子力発電に基本的反対の社民党、進め方に異議のある共産党の意見はあったが、エネ政策を国会で議論すること、基本法の必要性を考えることでは概ね合意が得られた。

これは、その2年後に議員立法で成立した「エネルギー政策基本法」の出発点となった。

さて、当時、我が国の原子力を巡って3つの障壁があった。1つは、規制改革に名を借りた市場原理至上主義。米政府と結んで我が国への勧告書を発出、発電・送電・配電の一貫体制の分断や都市ガスの製販分離などを強力に要請してきた。これに呼応する一部の政治家や官僚が存在したが、基本法の哲学論争の結果、霧散するところとなった。

電力、ガス、石油などのエネルギーは他の商品と異なり、国民生活や国民経済に必要不可欠でその生産にリードタイムを要するため、「セキュリティ」と「環境適応性」を最重視し、その前提のもとに「競争政策」を展開するという原則を法文に明記した。

従ってこの法に基づき政府が策定して国会に報告する「エネ基本計画」には、原子力が明確に位置付けられたのである。

2つ目の障壁は、リスクの認識の問題。米国スリーマイル、旧ソ連チェルノブイリの事故を契機に反原発運動が広がっていった。「安全神話の崩壊」「放射線は微量でも危険」などの見出しが躍った。原子力推進派の知的で冷静な論議は通じていなかった。

この問題を解くカギは、リスクの認識にあると感じたので、「原子力には事故の潜在的危険性がある」と正面から言い切った。テレビ朝日の「朝まで生テレビ」という不思議な番組で。

「あらゆる科学技術には膨大な便益とリスクがある。リスクがあるからこれを拒否するのではなくリスクを技術的、社会的にコントロールしつつ、便益を享受するのが人類の知恵ではないか」おどろおどろした感情論が冷静化し始めた。

3つ目の障壁は「出羽の守(でわのかみ)」。我が国には、外国“では”どうしているかを気にかける風潮がある。この点、大きく状況が変わった。欧州におけるエネ供給を巡る地政学的な課題の顕在化、地球温暖化対策として不可欠な原子力の認識、新興国の旺盛な電力需要等から世界中で原子力ルネサンスの動きが高まってきた。

さて、7月11日の第22回参議院議員通常選挙は、意外な結果を示した。10か月前に「政権交代」という無内容の4文字で政権に就いた民主党が、その後の「政策後退」により予想外の短期間で世論の支持を失い、今回の参議院選でも民主党は惨敗、与党も過半数割れとなり、自民党が改選第一党となった。ただ、マニフェストで見る限り、原子力の必要性は大きな論点ではなく、主要政党はいずれも原子力を適切な政策としていた。

ひと頃の逆境を思えば、原子力が国家戦略の共通項に位置付けられた事は私一人の力ではないが、これまで決して挫けずに自らの信念・志を貫いてきた達成感がある。

選挙も終わり、この7月25日をもって私は国政の第一線から引退する。思えば、経済界代表として参議院に初当選した12年前、「三つの橋を架ける」と公約した。

1つ目の「経済と政治の間」、2つ目の「日本と世界の間」には、細くて小さいながら橋が架かり始めた。が、3つ目の「現在と未来の間」の橋は未だしである。

だが、私は諦めない。国民としての誇り、持続可能な成長戦略、環境・エネルギー・原子力政策など、未来に向かってなお橋を架け続けていく。


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