【論人】佐久田 昌昭 日本大学名誉教授 原発と海洋空間利用時代

原子力産業新聞7月8日号は、ロシアのバルチック造船所で、世界初の「海上浮揚型原発」が完成、進水したことを写真入りで報道した。

筆者の記憶によると、半世紀程前に、「ボルサ(BOLSA)計画」との呼称で、浮揚型原発を米国で具体化しようとした大規模な計画があった。この計画は米国沿岸海域の水深30m程度の浅海域を選んで、堤防を四方形平面に築き、そのなかに確保した静水面に巨大なポンツーン(浮函)を浮かべ、電気出力100万kWという、当時としては最大規模の軽水型原発一式(送電・変圧設備を除く)を搭載する計画であった。当時、カリフォルニア工大のハウスナー教授が指導していたと記憶している。この計画は不幸にして実現しなかったが、フロリダ州・北大西洋岸のジャクソンビル近郊で建造予定だったドックの超大型ゴライアスクレーン(三菱重工製?)の見学と共に、現地担当技術者と討論したことは、若き研究者の記憶として鮮明である。

原子炉を舶用動力用にとの構想も、原子力潜水艦や原子力空母で実現しているが、原子力発電所を海洋に立地しようという構想は、実現しないままであった。北極海洋砕氷船と大型原潜で経験豊富なロシアの「浮揚型原発」のニュースは、一足飛びに昔の記憶を呼びおこした。もっとも、ロシア政府・企業筋の浮上式原発の共同研究の誘いかけは、個人的ベースで筆者の周辺には皆無ではなかったが、年月を経るにつれて管理職業務に埋没して、それらの動きは後継者皆無・休止同様になったと認識している。失礼ながら、当時のR&D担当の若い方々も同様な運命ではなかっただろうか。しかし、ここで一歩踏み留まって今までの「総括」めいたことを(得心がいくまで)すべきと考える。

過去を振り返ると、建設会社で、材料・構造工学のR&D部門担当からスタートし、原子力発電所、海洋構造物と対象を拡げた己の軌跡は、この「浮揚式原発」とも深い因果関係がある様だ。先日、ロシアの技術者と話し合う機会に、「貴兄の技術分野は?」と質問され、「海洋・構造工学、原子力・構造工学…」と自己流の即席表現で説明した時、相手は大笑いし、「貴方は技術者として最も幸福な人の一人です。自分の好きな分野で、好きなテーマと取り組んだのだから」と評価(?)され、恥じた次第であった。

しかし、ここで深刻にかつ真剣に考える必要がある。海洋立国を明治以来、看板に掲げてきた我国で、海洋原発が何故活発に議論されないか、また半世紀前の記憶に戻るが、あの時は、先進国欧米に技術分野でも“追いつけ”の時代であったが、今は様変わりしている。発展途上国では、欧米のR&D、技術者を含め、我々の背中を見て、「日本に追いつけ、追い越せ」の合言葉で国の総力、所謂国力を挙げての国際商戦の時代。

トップランナーの我国こそ、その走る方向、走る速度の調整まで求められる「国家」資本主義時代である。特に我国周辺の海洋まで視野に入れた新しい地球規模の海洋新世紀には、是非とも海洋原発の再評価を加えたいものである。

若干我田引水のきらいはあるが、この機会に力説したいのは、“先頭ランナーは、その方向、走る速度を調整する義務もあること”である。総合的な技術評価が求められる時代には、個々の専門分野を超越(アウフヘーベン〈aufheben〉)した規準が必要である。“国際商戦”という四文字が踊る最近のマスメディアが至るところに目につく新しい時代。個人も大事、組織・企業も大事、しかしそれにも増して、国家単位の国際商戦時代の「国益」も大事である。むしろ国益第一主義に企業のトップは頭を切り替えるべきだろう。そうでなければ、企業の利益も組織の維持・拡大も、さらにはスタッフ自身の利益、個人の収入も満足に確保出来ない時代が到来しつつある。我々は心して地球規模時代のR&Dのトップランナーの能力向上に努めるべきである。

ここでさらに筆を進めると、昨年末から今年早々にかけて報道されたアラブ首長国連邦の原発商戦、ベトナムの国際原発商戦に相次いで敗れた原発先進国の惨状について、都知事石原慎太郎氏が産経新聞で「身の程を知らぬ人間は滑稽だが、己の優れた能力の程も知らず、それを国家の大計、戦略に組み込めぬ国家は滑稽ですまず、哀れでしかない」と断じた文章を我々は真剣に反省すべきである。この文章は、「文藝春秋」に掲載された作家の真山仁氏「原発商戦、ニッポンはなぜ負ける」にも引用されている。

流石多才な文筆家である石原氏の言葉と、若干思い当たるところのある筆者は一言も弁解できず、狭い国土に54基の原発を持ち、半世紀の運転実績を持つ原発大国日本が、「何で韓国、ロシアに負ける?」。全く同感で、真山氏と石原氏に共々感謝するのみである。


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