【論人】東嶋 和子 科学ジャーナリスト 放射線を「見える化」する

昨年、本木雅弘さん主演の映画「おくりびと」が米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。死をテーマにしているにも関わらず、明るい光に満ちた、いい映画だった。

いうまでもなく、私たちはだれもが死へ向かって日々を生きている。そして、私たちのまわりには寿命を縮めるさまざまなリスクがひそんでいる。しかし、多くの人は死を意識することなく、あるいはリスクを正しく認知することなく、日常を過ごしている。

実際のリスク(リスクの期待値)とリスクの認知とのずれはよくあるが、両者がかけ離れていると、困ったことになる。心配しなくてもいいリスクにお金や時間がとられ、心配すべきリスクが放置されるからだ。

たとえば、リスクを表す指標の1つに損失余命がある。「それにより、寿命が平均何日縮まるか」を比べた米国のコーエンによると、喫煙で2300日、15キログラムの肥満で900日寿命が縮まるのに対し、すべての発電を原子力発電にした場合は0.04日である。

リスクを冷静に比べるなら、原子力施設の事故や放射線による影響を心配するより、たばこを今すぐやめ、適正体重を維持したほうがいい。ところが、多くの市民は喫煙や肥満より原子力発電に強い不安を感じている。これはいったいどうしたことか?

心理学者スロヴィックは、市民のリスク認知について、「破滅因子(dread)」と「未知因子(unknown)」いう2つの要素が強いと、リスクの期待値とは関係なく、市民にとって受け入れがたいリスクとなる、と指摘している。

「破滅因子」とは、制御できない、恐ろしい、地球の破壊、致死的な結果、不公平、次世代への高いリスク、増加しつつあるリスク、受動的、と市民が感じているものであり、「未知因子」とは、観察できない、遅発性の効果、新しい、科学で知ることができない、と感じているものである。

放射線や遺伝子組み換えなどは、その最たるものだろう。いいかえれば、放射線といえども「制御」できるし、「可視化」できると知ることで、不安のいくばくかは除かれ、正しい認知につながるはずである。

そこで私は、簡易放射線測定器による測定体験を通じて放射線を「見える化」し、市民のみなさんに量の相場観(モノサシ)をもっていただくことを大切にしている。表現においても、定量的な表現を心がけている。

トキシコロジー(毒物学)の父パラケルサスが、「すべてのものは毒である。そして、その毒性は量できまる」といったように、放射線自体が「毒」なのではなく、その量が「毒か、毒でないか」をきめるからである。

塩を毒といって怖がる人はいないが、200グラムを一度に食べれば死にいたる。1日20グラム食べ続ければ高血圧や心臓病、がんのリスクが上がる。しかし、1日7グラム以下なら一生食べ続けても害はない。

放射線も同じである。市民が塩に対してもっている相場観を、放射線に対してももてるよう、支援することが必要だろう。

ところで、原子力施設や病院、研究施設、工場などで放射線を扱う人たちの被曝量を一元的に登録し、被曝の低減に役立てようと、日本原子力産業協会が「原子力・放射線従事者の被ばく管理システム検討委員会」を設け、2008年6月に報告書をまとめた。私も委員の1人として議論に加わったが、その後、日本学術会議でも検討され、さる7月、公的機関による一元管理を求める提言が公表された。

職場が変わっても、通算の被曝量を個人ごとに登録できれば、健康管理にも貢献し、全体の被曝低減にもつながるはずだ。

加えて、被曝量をきちんと国が把握することで、放射線を扱うことに伴う影響を公に「見える化」でき、広く安心感を与えられる点が重要だと、私は思っている。放射線に関わる業務への偏見や誤解を除くことにもなり、ひいては原子力発電や放射線に対する正当なリスク認知の醸成に役立つのでは、と期待している。


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