原子力の日特集【コアリーダーに聞く】(経済学者) 新成長戦略「原子力」と日本の覚悟 −−「政治主導・オールジャパン」で「戦国時代」へ 21世紀リーダー国の条件 慶應義塾大学商学部教授 和気洋子氏 金融界先例に「国内志向」変革の転機 原子力輸出「カエル跳び効果」でwin─win

和気教授は国際経済が専門だが、92年のリオ・サミットに向け国から「環境と貿易」をテーマとする研究委託を受け、その後、国連IPCCの第3次評価報告書の日本からの執筆者を経験。また5年前の原子力政策大綱策定委員や総合資源エネルギー調査会原子力部会委員等を務め、エネルギー・環境問題、特に原子力に造詣が深く、今年4月に総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会長に就任した。

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─国際経済学者の視点で、これまでの世界経済の流れおよび日本の「新成長戦略と原子力」の位置づけは。

和気 私が国際経済学者としてフォローしているのはここ2世紀ぐらいの間だが、「地球上の資源の制約」が常に世界経済を動かす根底にあると考えている。欧米の列強がイニシアチブをとりグローバル化のピークだった19世紀中頃以降の経済を動かしたのは金本位制で、貨幣そのものが一人歩きしない良い制度だが、金も希少資源のひとつ。金の物的限界・制約が経済の制約になり、世界経済が翻弄される中で新たな市場支配を求めたことが二度にわたる世界大戦の悲劇を招いた。戦後、多くの国々が順次金本位制から離脱して管理通貨制度のもと信用貨幣経済に向かったが、今度は金から解放され最終的な価値を担保されない金融商品が一人歩きするようになり、それがリーマンショックの背景である。

そういう視点で資源と経済を見ると、戦後の資源は、石油が成長の起爆剤となり石油本位制≠ェ世界経済を動かしていく。ところが、石油の希少性が市場で顕在化するにつれオイルショック前後から新しいエネルギー資源を求め、技術開発競争が始まった。その新イノベーションの1つのよりどころになったのが原子力であり、原子力に思い切ってシフトしたのがフランスや日本である。ところが今や、先進国のみならず、新興・途上国も温室効果ガス排出を抑制しながら自国の経済成長に必要なエネルギー確保策として、原子力エネルギー利用に意欲的で、グローバル化が勢いを増している。

原子力発電を新規導入する新興・途上国の場合、原子力プラントに関連する幅広いシステム・インフラを必要とすること、および今後中長期的な「低炭素社会」実現に向けた持続的な課題であることを考えると、将来につながる有望市場として原子力主要各国・企業がビジネスの照準をここに絞り、市場争奪戦が一気に浮上した。いわば原子力についてもグローバル化のパラダイムシフトが起こり、金融業界がかつてそうであったように国内志向を堅持してきた日本の原子力エネルギー関連ビジネスはいま大きな転機をむかえている。ここに国際社会のダイナミズムを感じる。それだけに、民主党政権が新成長戦略の一端に原子力を盛り込み、政治主導で日本経済復活の一翼に据えようとする方向性は自然だし、基本的には間違っていないと思う。

ただ、グローバル化の波が国際市場の力を増す分、どの国も政府の統治能力が相対的に低下する。そうした中で、ある意味多くの人たちは「政権交代がないと変革できない」と感じていたと思うが、過去の成功モデル、すなわち日本の経済成長の記憶が根深いほど、それが逆に足かせとなる。「もう少しこのままがんばればまた何とかなるのではないか」という慣性の法則≠ェ強く働き、旧来の既得権益や社会システムを打ち破る変革が進まない。日本が政権交代においても少し世界に遅れをとった要因はそこにあり、慣性の法則は社会イノベーションの最大の敵である。

─日本もあらゆる面で旧来の殻を破りグローバル展開しないと、新しい成長は望めない時代を迎えた。それには日本優位で打って出る「武器」が必要で、その1つが原子力発電や省エネ技術だという解釈でいいのか。

和気 私は、それは逆だと思う。つまり、世界市場は、ある意味自由競争市場だから、戦えるような安くていいものがあれば売れる。ところが、実際のところ、日本社会の中で国際競争にさらされてきた産業は限られており、多くは国際競争から遮断された国内志向的な市場に直接・間接に守られてきた。特に公益性が高いとされているエネルギー産業や金融業はその典型だが、その中で金融が先がけて国際化してどうなったかというと、日本の金融機関はこのままではグローバル市場で太刀打ちできないことを身をもって痛感、国内金融業界では著名銀行の名称も定かでなくなるほどの大統合・再編の嵐が吹き荒れた。

エネルギー業界にもある意味、類似性を感じる。原子力を中心としたエネルギーシステムを海外に打って出て売ろうとした瞬間に国際競争にさらされ、多様なビジネスリスクは避けられないし、確実に売れる保証はない。日本は今ちょうどその段階に来ているが、特に原子力はFBRなどの研究開発や事故対応も含めて、あまねく政府から始まり、技術者、専門家など皆で支え合い、一企業、一産業だけの競争力だけではないうえ、安全・安心を醸成させる国民の厳しい目・地域対応など広い意味での社会的コストまで含めると、それを維持するトータルコストは膨大だ。そういう仕組みの中で育ってきた日本の原子力技術、製品、管理システム等を輸出して、結果として国際貢献できるならいいが、高コスト構造に支えられてきた日本の原子力エネルギー関連産業の国際競争力は、外から見ている私には、それほど楽観的には思えない。

そこで、たとえば政府が表に出て支援するのはいいが、他国政府も同じことをする。政府による支援措置は繊細かつ効果的な戦略をもって展開しなければならないが、基本的な私見を言えば、国際社会において、各国政府はできるだけ市場競争に参入すべきではなく、あくまでも国際協力をし合わないといけない。つまり、ビジネスモデルは競争の世界だが、核不拡散問題やFBRの開発をどう国際的貢献に結びつけるかなどは、かつてのEU諸国のように政府と政府が協力し合って、いいビジネスモデルが世の中に残るようにしていくことが大事だ。国内の高コスト構造にメスを入れる等を通じて、そのビジネスに政府が後方支援するのはいいが、政治や軍事力を入れてビジネス間の健全な市場競争をゆがめてはならない。

─まさに日本も今、政治主導でオールジャパンの新会社「国際原子力開発」を設立、グローバル市場に駒を進める。

和気 原子力国際展開は、プラント輸出だけではなく、日本で生まれ育った原子力をベースにしたエネルギー・電力システムがいかに優れているか、だから海外に売ろうということでスタートしているだけに、メーカーや電力会社が個別に動いても機能せず、統合されたビジネスモデルを構築しなければ完結しない。したがって、今回の新会社が1つの大きな組織となるのは不自然ではない。また、オーガナイザーあるいはコーディネーターとして日本政府が本来の立ち位置を保って参画する限りにおいて、市場競争をゆがめるものではないと思う。

さらに先ほど少しふれたが日本の場合は、長い時間と多大の社会的コストをかけて築いたエネルギー・システムであり、これがある種の発電コスト高の要因であることは間違いない。ただ、その間に費やした社会的コストは、いわば「埋没コスト」なので現在の市場価格には必ずしも反映されない。それだけに、今まで試行錯誤も含めて、日本で積み上げてきた安全規制への対応等の社会的な埋没コスト部分は、電力システムを輸出する際に新興・途上国の人たちは支払わなくてもすむ。

そういう観点からとらえた国際的な技術移転をわれわれは、「カエル跳び効果」と呼んでいる。その間に日本人が支払ったコストを負担することなく今の成果物だけある一定の値段で買えるので、そういうビジネスはお互いに望ましい。日本にとってはビジネス機会になり、新興・途上国も、いわば規格に適った果実のみを入手できる。特に原子力のような高度技術の場合は「カエル跳び」と言うより「馬跳び」と言った方が適切かもしれない。要はお互いwin─winの関係が成立し、ビジネスの基本を満たす。これは大変いいことなので、日本のエネルギー・システムが、アジアのどこか、あるいはどこかの国々に、もしニーズがあれば売ることは大いに結構だと思う。

〈「日本の安心」も「世界の安心」の1つ〉

─原子力安全・保安部会長として今の思いは。

和気 私は今、原子力安全・保安部会長として、いくつかの忸怩たる思いがある。1つは、「原子力ルネサンス」という言葉を使う(私は使わない)皆さんの気持の中に「アクセルをちょっとふかしている」という印象があると思う。しかし、アクセルを強く踏むということは、今までとは違う新しいリスクに直面するという認識がすごく重要になる。その意味で私は「安全規制という表舞台」に、原子力がアクセルを踏んでいる時代であればあるほどブレーキの性能をもう一度きっちり見定めて、いざとなったら踏める、踏んだらきっちり制御できる効果的かつ効率的なブレーキ(安全規制)とは何だろうかと考えている。

その際、「ここを止める、あるいは制御すれば安全だ」という科学的・技術的な合理性がどこかにきっちりあるはずだ。しかし、システムとしての社会的技術の安全性には、それだけでは不十分な側面がある。ややもすると原子力専門分野の人々に閉ざされがちな原子力エネルギー技術を、分野の壁を超えた多様な知見から安全体制を考えるという、いわば風通しの良い文化を一層醸成する必要がある。当然ながら、ステークホルダー間の信頼関係の構築などを通じて、「安心」できるシステムにしなければならない。そこには「慣性の法則」とか「安心」という社会心理的な世界の判断が入り、しかも国により、文化により、時代により違ってくる。それだけに、これから原子力グローバル化時代を迎え、国際標準あるいは国際的に許容できる安全規制はどこなのかを、IAEAを中心に日本の原子力安全委員会も含めて議論を尽くす必要がある。社会が求める「安心」は、相手国政府やビジネス界、あるいはその国の地域住民とのコミュニケーションの中で見つけ、育てていく努力をしないと、「日本の安心」で世界の人が安心できるという思い上がりをしたら、多分、日本は取り残されるだろう。


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