【論人】河瀬 一治 全国原子力発電所所在市町村協議会会長(敦賀市長) 敦賀湊の繁栄ふたたび

敦賀は、古来より日本海側の要港として栄え、北陸の玄関口としての役割を担ってきました。

近代においては、第2次世界大戦に際して、杉原千畝が「命のビザ」を発行して救ったユダヤ人難民が上陸するなど、人道の港まちとしての歴史は有名ですが、今日に繋がる港まち敦賀の基礎が作られたのは、戦国時代の末頃から江戸時代初頭にかけて、ちょうど来年のNHK大河ドラマの主役「お江」が生きていた、まさに乱世から泰平へと向かう時代です。

この時代は全国規模で流通が盛んになり、日本海交易における物流の拠点として敦賀湊が飛躍的な発展を遂げた時代でもありました。

敦賀は、お江たち浅井三姉妹に関わりの深い土地であり、浅井氏滅亡のきっかけとなった、織田信長との金ヶ崎の合戦(1570)、お市たちが身を寄せた柴田勝家が本陣を布いた玄蕃尾城、現在でも全国から多くの観光客を集める敦賀の名勝地が、彼女たちの運命に大きく関わってきました。

また、石田三成の盟友として有名な大谷吉継は敦賀の領主を務め、敦賀の町立て、都市整備を行い、江戸時代の敦賀36町と呼ばれた発展の基礎を築き、敦賀城を完成させました。

敦賀城については、地域に残る伝承や、絵図の中に小さく描かれた姿に垣間見えるだけで、長い間、幻の城とも言われてきましたが、近年の調査で、城の実像が少し見え始めてきています。

この時代の発展が、江戸時代の初期になると、北国の都と謳われたほどに、敦賀湊に空前の繁栄をもたらします。

この頃に生み出された文化は今日にも大きな影響を与え、絢爛豪華な敦賀祭りの山車や西町の夷子大黒綱引きといった伝統行事も、この時代の繁栄を今に伝えています。

近代敦賀港の発展も、遡ればこの頃の繁栄を基盤として成立したといえるでしょう。

このように、敦賀は歴史深く、「歴男・歴女」と呼ばれる方たちにも満足いただける地域なので、是非、皆様に訪れていただきたく思います。

また、現在、敦賀は、「エネルギーのまち」として、新たな歴史を刻んでいます。

昭和42年に日本で初めての商業用軽水炉である敦賀発電所1号機が着工されて以降、敦賀発電所2号機、新型転換炉ふげん、高速増殖炉もんじゅと、約半世紀に渡り、安全安心を最優先に原子力との共存共栄を図り、今では、原子力は敦賀の特長となっています。

敦賀はこれまで、エネルギー安定供給に大きく貢献してきましたが、現在は、発電所の立地をただのエネルギーの生産地ではなく、原子力の高度な技術・知識の集積地として捉え、「エネルギー研究開発拠点化計画」を進めており、原子力の知の拠点となる、福井大学付属の国際原子力研究所の着工などが始まっています。

これらの新しい歴史が、従来の歴史と結びつき、物流の拠点として、また原子力技術の発信地として、日本の玄関口となれるよう、これからも市民と共にまちづくりを進めていきたいと考えています。

また、敦賀は山や海に囲まれた自然いっぱいの地域ですので、おいしい食べ物もいっぱいあります。

皆さんも、昔と今が融合する、港まち・エネルギーのまち敦賀にお越しいただき、歴史や文化、敦賀の味をご堪能ください。


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