【企画記事】加速する中国の高速炉開発計画 実証炉は国産と導入2路線

中国では同国初の高速実験炉(CEFR)が昨年7月に北京南部の原子能科学研究院(CIAE)で初臨界を達成した。かつては欧米諸国が先行していた高速炉開発は、いつの間にか日本やインドおよび中国などのアジア諸国が本流を成す勢い。ロシアから導入する実証炉2基のほか、CEFRの流れを汲む国産実証炉建設に駒を進めようとしている中国の高速炉開発の現状を訪問取材した。(原産協会国際部・中杉秀夫

昨年11月、北京から57km南方の先端原子力科学技術パークに着いた。日本の高速道路の料金所4ブース分くらいの幅の出入者チェックゲートがあり、武装警官が立っている。写真入りの通行原子力許可書を首からぶら下げた人たちは、車で、自転車で、あるいは徒歩でそこをスイスイ通り過ぎるが、私と通訳はそこで10分ほど待つと、中国原子能科学研究院(CIAE)の国際協力担当部門の若い女性が自分のピンクの車に乗って迎えに来た。

ゲートから1kmくらい奥まで走るが、その間幅2kmくらいで、6〜7階の大きな研究棟のビル群が並んでいる。それぞれの入口ごとにまた武装警官が警護するチェックゲートがあり、軍事利用と深く結びついて発展してきたこの国の原子力研究開発の姿を実感する。

「中国高速実験炉(CEFR)」の入口検問ゲートの前で、女性職員とともに外套・手袋姿で、われわれを待っていたのは初老のやさしそうな研究者。名刺には徐☆(シュー・ミ、☆=金ヘンに米)、CEFR工程指揮部総工程師(=写真)とある。

CEFRの施設内に入ると撮影禁止になると聞いていたため、ゲート横でその人の写真を撮らせてもらう。

CEFR棟に入ると、玄関が光透過パネルまた模型による展示室になっている。2010年4月の中央政治局委員国務委員の視察時、2004年12月の国務院(日本の内閣)副総理の視察時、さらには19895月の国務院副総理の視察時、また1990年11月19日のCEFRの起工式典のパネル写真を見ると、徐総工程師が説明者等として大きく写っている。聞くと、徐総工程師は1968年、周恩来首相が、「将来のウラン燃料の有効利用上FBRが不可欠」との先見性をもってFBR開発を提唱したときからFBR開発に携わっている。

1937年生まれ。清華大学物理学科卒。

徐総工程師は、周首相から技術上の質問を何度か受け、人民大会堂で2〜3度一緒に食事をしたと言う。その中国のFBRの第一人者が目の前にいる。

第7次5か年計画(1986〜90年)に入り、1986年3月に、ケ小平共産党軍事委主席の指導下に、王大☆(☆=王ヘンに行)、王淦昌、楊家☆(☆=土ヘンに犀)、陳芳允の4人の科学者が国家のハイテク促進重要事業である「863計画」を提案し、FBRもその163事業の中に入り、FBR開発が本格的に動き出した。1988年から、CIAE、西安交通大学、清華大学、核工業第一院、核工業404廠、上海交通大学、湖南大学鋼鉄研究総院、鄭州機械研究所等の約500人強がFBR開発に携わっている。

CEFRの建設の歩みは表1のとおりである。

その後も、炉心中性子の実験を継続している。2011年6月には、40%の出力で送電網に接続する予定である。全出力運転は、11年12月に予定している。

徐総工程師の説明では、CEFRの装置の70%が国産品である。「90%以上が国産化可能であったが、安全性の検証に時間がかかるため、国家核安全局(NNSA)と協議して、主ポンプ、蒸気発生器、制御装置、燃料取扱装置等をロシアから輸入した。また、英仏独からもデジタル制御装置等を購入した。北京の近くでの初のFBR建設なので、非常に慎重にやった。安全要求は、他の国々よりも高く設定している。建屋のコンクリート厚は1mとっている」とのこと。「建設と運転は自前の技術で進めたが、どんな事故が起きても、CIAE内部で十分対応できる」ときっぱり言った。

また、「仏露とは技術協力があったが、英独は主にNa関連装置の輸入先としての関係でしかない。日本にも、運転員交流や安全関係での協力を求めたが、米国への遠慮からか、真剣に検討をしてくれなかった」と残念そうに言う。

「なぜ中国の高速炉ではループ型を選ばなかったのか?」との質問に対しては、「工事費用は安くなるかも知れないが、Na槽等主要設備の二重化が必要になる。CEFRでは、蒸気発生器でのNa‐水反応を防ぐ工夫もしてある」とのこと。

「863計画では、資金が十分ではなかったため、政府から以外にも資金調達をした。CEFRの建設では、最終的に25億元かかったが、当初はその半分以下で見積もっていた。物価の上昇分を考えると、妥当な建設費と思う」とも口にした。

CEFRの中央制御室にも案内してもらった。運転は、4人/シフト×3シフト、1シフト8時間で運転している。6チームがある。

中国の原子力開発の基本路線は、熱中性子炉→高速中性子炉→核融合炉である。この流れの中で、高速炉発電開発戦略は、表2のようであった。しかし、これからの変更が検討されている。

政府は、「中国高速実証炉(CDFR)」として、「プロジェクト1=国産技術で実施」と、「プロジェクト2=ロシアの技術導入」の2つを考えている。

「プロジェクト1」として100万kWのものを、2017年に着工し、22年に運転開始する。「プロジェクト2」として、ロシアで建設中の80万kW級高速実証炉(BN‐800)の同型炉を2基中国が購入し、13年に着工、18年/19年に運転開始とする。

09年10月のプーチン首相の訪中時に、アトムストロイエクスポルト社(ASE)からBN‐800の2基購入で、「CIAEならびに中国原子能工業公司(CNEIC)」が契約を締結した。

「どうして2基の購入が必要なのか?」との問いに対しては、徐総工程師は、「まず、2基購入で割安になる。次に、1基80万kWだけでは、運転開始時点の電力需要を考えると容量不足になる。ただし所有者は出資しなければならない。CIAEは技術面のサポーターとしてプロジェクトに参加する」と言う。

なお、11月24、25日に北京で世界原子力協会(WNA)/中国核能行業協会(CNEA)が共催した「中国国際原子力シンポジウム」で、徐総工程師は、中国のFBRの技術の一貫性を保つための展開について、表3を示している。


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