【論人】後藤 茂・元衆議院議員、(社)エネルギー・情報工学研究会議理事長 読書初め

1945年の正月、私は軍服であった。2011年の正月は和服である。

「座右の書兵火免れ読始」

山口青邨は、戦禍の中から探し出した本を読書初めにしているが、私は正座して中江兆民が明治20年(1887)に書いた『三粋人経綸問答』(岩波文庫)を開いた。

言語明晰の洋学紳士君と壮士風の東洋豪傑君、現実主義者南海先生が酒を酌み交わしながらの談論風発、面白く読めた。

紳士君は、国全体を道徳の花園にし、学問の畑にする。このアジアの小国を民主、自由、平等、道徳、学問の実験室にしたいと主張する。

豪傑君は、哲学思想が人の心を盲にする。戦争は、どんなに嫌っても避けることはできない。「古今の歴史を調べてみよ。文明国はみごとに戦った国だ」とふん反り返った。

南海先生は、専制から立憲、さらに民主制へいたる進化の理論でとらえ、理想の重要性、平和外交、防衛中心の国民軍の創設を説くが、二人の論争にいささか辟易してこう語る。

「紳士君の説は、純粋で正しく、豪傑君の説は豪放で卓抜だ。紳士君の説は強い酒だ。眼がまい、頭がくらくらする。豪傑君の説は劇薬だ。胃は裂け腸は破れる。両君の説は私の衰えた頭脳では到底理解し、消化することはできない」。

著者の南海仙魚こと兆民は、「是れ一時遊戯の作、未だ甚だ稚気を脱せず」と自嘲しているが、百有余年たった今日なお、「三粋人」の論争に「解」を見つけていない。

いまアメリカには、核全廃を主導する「四賢人」と呼ばれる人がいるそうだ。レーガン政権で国務長官を務めたジョージ・シュルツ、ニクソン政権の国務長官ヘンリー・キッシンジャー、安全保障専門家として活躍したサム・ナン元民主党上院議員、クリントン政権の国防長官ウィリアム J.ペリーである。ペリー氏が昨年、日経新聞に連載していた『私の履歴書』を読むと、ホワイトハウスに招かれた4人は、オバマ米大統領から「これ以上の助言者は考えられない」と言われたという。いずれもこの二十余年間、アメリカが関わった戦争に枢要な地位にいた人たちだ。そこから学び取った教訓が「核廃絶」だったことを高く評価したい。

朝、新聞(読売、平成23年1月12日)を開くと、田島高志氏の「ケ小平氏の教訓」というコラムが目に止まった。外務省中国課長をされていた当時、日中平和友好条約交渉の最終段階にケ小平副総理と園田直外相との会談に同席していて聞いた、ソ連を意識しての「反覇権」を日中の条約に入れるよう主張したケ氏の発言であった。

「もし中国が覇権を唱え、他国を侵略、圧迫、搾取などするならば、そのような中国は変質であり、社会主義ではなく打倒すべきだ。反覇権条項は、中国が覇権を唱えない長期政策を採ることを意味する」

歴史は、力の優位は外交の成功を保証しない。軍事的な手段ではなく経済的、文化的手段で国際的な信頼を得ることが外交の基本だと教えている。東京・港区にある外交資料館に掲げられている「戦争に負けて 外交で勝った歴史がある」といった吉田茂の言葉に、心打たれた。

年明けた6日、ゲーツ米国防長官が「新型核爆撃機」開発方針を示し、遠隔操作で爆撃できるミサイル搭載の無人機も検討していることも明らかにしたと、ワシントン電が伝えた。中国がレーダーに捕捉さない次世代ステルス戦闘機「殱20」の試験飛行を公開したのに対抗しての措置と読めた。

「殱」は「皆殺し」を意味する漢字だ。よくも名付けたものだと感心するが、中国春秋時代の歴史書『左伝』に「楚氏曰く 戈を止むるを武と為す」とある。信頼なくして事は始まらない。

思い出すのは1955年、インドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議だ。中国の周恩来首相とインドのネール首相が提唱した、主権と領土の相互尊重、相互不可侵、相互の内政不干渉、平等互恵、平和共存の五原則を高らかに宣言した。そのアジア・アフリカの国々の高揚感は消え失せたとは思えないし、中国共産党の指導部は常にこの五原則を堅持すると言明していたし、いまも変わっていないと信じている。

「戦は逆徳なり 争いは事の末なり」 司馬遷


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