【論人】曽我 文宣 医用原子力技術研究振興財団参与 粒子線治療の普及に向けて

人間の日々の生活において、最も重要なことは健康であると思う。社会的な活動、種々の趣味的行動、いずれにおいても、まず、充実した体力、それに付随した精神力が幸福の基礎を支えている。一方、不幸にして重篤な病気になった人達も、近来の医療技術の発展によって、随分、回復、治癒されるようになってきた。

しかし、この闘いはまだまだ続いている。日本人の死亡率の原因の中で、ガンによるものは全体の約3分の1を占め、2、3番目の心臓病、脳疾患を大きく上回っている。年間のガンによる死亡者は約34万人で、高齢者社会で、その数は急上昇を続けており、ガン克服は国民の健康にとって最大の課題といってよい。

がん患者の総数は150万人を越え、一旦、ガンと診断されると、不治の病ではないかと考えて患者および家族は深刻な状況に陥る。ガン治療の一般的療法は、患部の摘出除去による手術、抗ガン剤の投与、そして放射線照射というのが三大療法である。放射線療法による対処の比率は、日本では今のところ約25%で欧米の比率の半分以下であるが、機能の温存、副作用の軽減において、前二者に対してより優れた特徴を有している。最近は単独ではなく、この三者の間での併用療法が行われることも多くなっている。

放射線治療というと、従来、コバルト等のラジオ・アイソトープからのガンマ線、及び電子線形加速器からのX線を指していた。多くの病院にある小型の医療用電子加速器は日本で約800台という数で、X線治療が放射線治療の大半をなしている。これらの電磁波放射線に対して、ここ十数年、加速器によって加速された粒子を直接、悪性腫瘍であるガン患部に照射しガン細胞を殲滅するという治療法が進んできた。

この粒子線治療(陽子線および炭素線)の特徴は、患部に吸収される放射線線量の局所集中性が電磁波放射線に比べて圧倒的に良いこと、さらに炭素線は、同じ物理的線量を与えてもX線等に比べて生物学的効果が数倍高いという点にある。

日本では、炭素線治療は放射線医学総合研究所で建設されたHIMAC(Heavy Ion Medical Accelerator in Chiba)を用いて1994年から開始され、そこでは以来、約6000人の患者を治療している。また、日本での粒子線治療患者は、急増し、今や年間2300人を超えるようになってきた。

粒子線治療専用加速器として建設され運用されている施設は、日本は陽子線が6か所、炭素線が3か所で、建設が進行、または計画が決定しているものは、現在、陽子線が3か所、炭素線が1か所である。特に炭素線治療は、兵庫県播磨、群馬大学でも行われているが、昨年秋にドイツで専用加速器が初めて治療を開始した外国に比して、質、量ともに断然、世界をリードしている実績を持っている。物理工学者の懸命な努力により、群馬大学の装置は、HIMACに比べて、装置の大きさ、費用ともに約3分の1に小型化されている。

粒子線治療の対象は、局所的ガンのほぼ全てに亘る。即ち、鼻腔ガン、耳下腺ガンのような頭頚部ガン、脳腫瘍、肺、肝臓、膵臓、子宮、前立腺、骨軟部ガンなどである。適応外の疾患は、白血病、悪性リンパ腫などの循環器系の全身に亘るガンであり、また胃ガンのような消化器系疾患は原則的に除かれている。

治療成績が従来のX線照射に比べて著しく良好であること、特に炭素線治療は骨軟部ガンのような他では治療不可能である対象に対しても優秀な結果を招来していること、従来のX線治療では30回の分割照射が標準であるのに対し、肝臓ガンでは2回照射、肺ガンでは1回照射というような短期間治療が可能になっていることなど、患者にとって数々の朗報が獲得されている。このような治療施設を全国的に設置し、ゆくゆくは国民に対する一般健康保険の適用も可能になることが強く望まれる。

また、これと同時に重要な問題はこれらを有効に利用するための人材の育成である。医師、放射線技師、医学物理士、加速器運転員等、将来全国的に施設が拡がるとすれば、相当の人数の、職員となるべき人々が準備されなければならない。

以上の両者を満たすことによって、近未来に日本のみならずアジア周辺国の人々にまで、粒子線治療の恩恵が受けられるようになることを目指したい。


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