安全審査指針に瑕疵 第4回国会事故調 班目安全委員長認める

国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議会長)が15日、第4回会合を衆議院分館で開いた。参考人として班目春樹・原子力安全委員長と寺坂信昭・前原子力安全・保安院長(=事故時の同院長)から、当時の事故対応や原子力安全行政についての考えを聞いた。

班目安全委員長は、現在の全交流電源喪失などに対する原子力安全審査指針の瑕疵を認めた上で、「事業者の責任をもっと求めるべきと考える。電力会社は安全基準をはるかに超える安全性を追求しなければならない」と述べた。

また、「あれだけの大津波を考えることはできたかというと、難しい」としながらも、「何も手立てがなくなってはならなかった。何重にも対策がなされるべきだ」と指摘した。

事故当時について同委員長は、「携帯電話がつながらないなど、決められたことが実施できなかった」と振り返り、「今になって思えば、もう少し助言すべきと思うが、当時の状況では非常に難しかった。現状がどうなっているか(事故)情報がなければ判断できない」とし、1週間以上ほとんど寝ておらず、「記憶が飛んで残っていない」とも述べた。

首相官邸に原子力災害対策本部ができてからは、官邸地下の危機管理センターに行き、交流電源だけでなく直流電源もなくなっていることを知り、「何でもいいから、水をかけるしか手がないと思った」と述懐した。福島第一1号機の爆発シーンをテレビで見たときは、「水素のことは考えなければならなかったと瞬間的に思ったが、一方で格納容器ではなかったので、安心したのも事実だ」とした。

3月11日の夜9時過ぎには、「炉心は溶けていないと思っていた」が、次第に格納容器の圧力が1.5倍などと情報が入ってきてからは、炉心溶融のことが頭に浮かんだという。

同委員長は「最後は人だとつくづく思い知らされた」と述べ、4月からの新組織についても、「組織の形態がどうかというより、最後は人が重要だ」と強調した。

寺坂前保安院長も、「原子力安全・保安院の専門性、知見、習熟度などについて、諸外国と比べたときには強いものはなく、むしろ弱い」と認め、「事前の備えや対応が十分にできなかったのは間違いない」とした。

2001年1月に省庁再編に伴い保安院が発足し、「一元的体制ができたものの、データ改ざん事件、配管破断事故、地震対策などに相当の労力・時間がとられたのも事実で、十分な対応が取られないまま、3・11の事故が発生してしまった」と述懐した。

黒川委員長は会議後、記者会見し、意見聴取の内容を委員長ステートメントとして取りまとめ、発表した。

黒川委員長は重要事項として3点、(1)班目安全委員長が安全審査指針そのものに瑕疵があったことを認め、原子炉立地審査指針も時代にそぐわないものになっており、全面的な改定が必要であるとの認識を示したこと(2)各組織が緊急時の備えができていなかったこと(3)組織としての専門性のなさ、組織の長としての専門性のなさによる問題が浮き彫りとなったこと──を挙げた。

同委員長は今後、原発事故を引き起こした日本として、国際的な信頼に足る安全基準をつくる責務があることを強調した。

次回は27日、参院議員会館でメザーブNRC元委員長に話を聞く。


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