ストレステストの意義 東京大学 岡本孝司教授

福島第一原子力発電所の事故から1年が経つ。私はドイツの某大学を訪問中であったが、そこで1号機水素爆発の画像をユーチューブで見せられたときに、一瞬目の前が真っ暗となった。原子力発電技術は、人類が制御できない技術なのだろうか。

人類は、様々な科学技術の恩恵を受けている。しかし、技術は常に両刃の刃であり、事故はゼロにはならない。「どれだけ安全であれば十分か?(How safe is safe enough?)」という問いは、全ての技術がクリアすべき課題である。世の中に100%の安全は無く、合理的に許容可能なレベルまで危険性を排除するとともに、常により安全を目指して改善を続けることがこの回答であると思っている。

では、原子力発電技術はどうであろうか?福島の事故は、津波の危険性が見落とされていたのが1つの要因である。事故が起きてしまえば、許容不可能な危険性レベルであった事が認識されるが、事故前には思いが及ばなかった。04年のインド洋大津波の映像を見ても、それが日本に直結しなかった。地震に対しては、阪神淡路大震災を直接経験している事もあり、十分な対策がとられていたが、その他の事象には思いが及んでいなかった。

世界的に見れば、スリーマイル島やチェルノブイリの大事故だけではなく、大事故には至らなかったが、仏のルブルイエ発電所での洪水、台湾の馬鞍山発電所での停電など、様々なトラブルが発生している。原子力以外でも、大規模ハリケーン・カトリーナなど、様々な自然災害やトラブルが発生している。これらのトラブルから学び、常により安全を目指して改善を続けることが必須である。

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ストレステストは、このような継続的改善のためのツールとして設計されている。しかし、日本で現在行われているストレステストは、2段階に分けられてしまっただけではなく、再稼働と結び付けられてしまったため、非常に分かりにくいものになっている。

繰り返しになるが、世の中に100%の安全は無く、合理的に許容可能なレベルまで危険性を排除するとともに、常により安全を目指して改善を続けることが、安全を担保する重要な思想である。ストレステストの本来の位置付けは、プラントの安全は確保されているという前提で、設計よりもより厳しい条件を課すことで、そのプラントの弱点を抽出し、もし、その弱点が「合理的に許容できないレベル」に近ければ、十分に許容できるまで改善を行うものである。さらに、十分に許容できるレベルであったとしても、抽出された弱点を無くすことで、「より安全を目指して改善を続ける」ものである。鍵は「弱点の抽出」と「継続的改善」にある。

日本で現在実施されているストレステストそのものは、この「弱点の抽出」と「継続的改善」のツールとして使われており、世界的なものと整合性がある。一方、第1段階は、ストレステストのサブセットである事から様々な誤解が生じている。第1段階であっても、弱点を適切に評価し、設計に合理的な余裕があることを定量的に示している。さらに、昨年10月に提出された事業者の第1段階報告書に対して、厳しいコメントがなされた結果、現在の改訂版報告書は、第2段階報告書にかなり近いものになっている。おそらく、第1段階の弱点(クリフエッジ)と第2段階の弱点(クリフエッジ)はほとんど変わらないであろう。影響緩和に対する弱点が加わると考えられるが、それは別の観点での議論になる。つまり、「弱点の抽出」に関しては、現在の「弱点」がプラントの弱点とみなす事ができる。

ストレステストはバックチェックでもなく、ましてや安全審査でもない。21世紀の技術を用いて、現実的に考えうる最適解を求め、それを評価に用いてほしい。サイト全体が被災したことを考慮に入れ、プラント毎に弱点を評価する事こそが、ストレステストであり、第2段階でこそ、しっかりとプラント毎に評価せねばならない。原子力安全・保安院は指示文書の解釈をそのように、明確化すべきである。

さて、次の問題は、この弱点が「合理的に許容できるかどうか」である。この判断指標として、原子力安全・保安院は定性的表現であるが、福島第一発電所と同等の津波などでも耐えられるかどうかという考え方を示している。この合理的な定性的指標に対して「弱点」を克服できていることが必要になる。さらに、克服できているとしても、「より安全を目指して改善を続ける」事が必要になる。

もちろん、「合理的に許容」するのは、人によって大きく違う。天然放射性物質であるカリウム40が50Bq/kg含まれている通常のミルクは飲めても、セシウム137が1Bq/kgでも含まれているミルクは飲めない人にとっては、弱点がゼロでなければ許容できないであろう。

しかし、この考え方が合理的ではない事を、数学的に理解してもらうしか方法は無いのではないかと思っている。日本は世界に冠たる教育国である。数学的合理性を失うと日本は沈没するしかない。

世の中には、数多くのリスクが存在している。全ての判断や対策は、両刃の剣である。判断や対策を行うことで、あるリスクを低減できるかもしれないが、必ず別のリスクを増大させる。例えば、不審者が居るらしいという情報に基づき、子供を車で送り迎えする事で、結果的に交通事故のリスクを増大させ、総合的には子供に大きなリスクを与える場合もある。総合的に国家としてのリスクを低減し、国民を幸せにする事が、いわゆる政治家の使命である。しかし、いわゆる専門家の使命は、誠実に中立的に正しいデータを判断者に提供する事にあると信じ、それを継続的に改善するしかないと考えている。


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