現場の「厳しい状況」聞く 国会・事故調 東電・武藤顧問を招致

国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議会長)が14日、第6回会合を参院議員会館講堂で開き、昨年3月の事故発生時、同社会長および社長が東京本社に不在の中、副社長・原子力・立地本部長として原子力事故の対応に当った武藤栄・同社顧問に参考人としてヒアリングを行った(=写真)。

武藤氏は、同社の防災業務計画では、原子力緊急時対策本部をサイトと本社に作ることになっており、サイトは発電所長が本部長で、本社は社長が本部長。社長が不在だったため、副社長の中から選ぶことになっている、と説明した。

新潟県中越沖地震の経験から、本店から現場に経営層が出向いて地元対応をすることにしており、「地元への説明をするのが自分の仕事だと思っていた」と述べ、当日(昨年3月11日)の15時30分ごろには本社を出て、江東区・新木場のヘリポートに向かったが、車が渋滞し、福島第二原子力発電所には18時頃に到着。この間に携帯電話で発電所の電源がなくなったことを聞いた、とした。

津波の襲来の後、「状況はたいへん厳しい状況となった。非常用ディーゼル発電機が使えなくなり、直流電源も使えなくなった。通信手段もなかった」とし、唯一、本店と福島第一はテレビ会議で結んでいたと説明。

サイト内は、夜には「真っ暗」になり、オフサイトセンターも電源がなくて機能していないと聞いた。その夜、大熊町長、次いで双葉町長に状況を説明した、とした。

また、15日未明に福島第一原子力発電所から東京電力社員や関連企業の社員の「全員撤退の判断はあったのか」との委員からの質問に対して、武藤氏は「まったくない。そのような議論も一切なかった」と述べた。さらに、同氏は14日午後にオフサイトセンターを出て、夜に東京に到着。「14日夜から15日にかけて、2号機がたいへん厳しい状況であった」と回想し、「全員撤退はありえなかった」と強調した。

ベントに関する対応で武藤氏は、「現場の対応は現場に任せて、東京からああせい、こうせいと言うべきではないと考えていた」と述べ、水をくぐらせるベントは放射能を100分の1以下にでき、効果があると判断していたことを明らかにした。

事故調では、同事故により避難を余儀なくされた人々に対して、各自治体の協力を得て、12日から約2万世帯を対象とするアンケート調査を実施する。福島第一周辺自治体12市町村の住民から無作為抽出で行う。

調査内容は、(1)原発事故を知った日時(2)事故発生の情報源(3)避難の有無(4)避難指示の有無(5)避難指示を知った日時(6)原発事故の避難訓練の有無──など。調査内容は、本年6月ごろを目途に作成を進めている調査報告書に盛込む予定だ。

また事故調では、3月末から4月10日にかけて2班に分かれて初の欧州海外調査を実施する。ウィーンにある国際原子力機関(IAEA)本部、仏原子力行政機関、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の被害状況調査としてウクライナ、ベラルーシ、ロシアを訪問する。


お問い合わせは、情報・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで