防災訓練も役に立たず佐藤福島県知事 情報少なく混乱

29日の国会事故調査委員会は、福島県・福島市の福島テルサ・ホールで開催され、佐藤雄平・福島県知事から参考人として話を聞いた。

佐藤知事はまず、「県民は、今日の放射線はどのくらいだと言って、日々を暮らしている現状だ。この状況を1日も早く改善し、新生福島県を作っていきたい」と述べた。

知事は福島県の電源立地県としての歴史を振り返り、水力、火力、原子力発電と国が進めるエネルギー政策に協力してきたと強調。特に原子力は福島第一1号機からはじまり、10基900万kWが立地し、首都圏電力の3分の1を供給する電力供給県だと説明した。従って、原子力の安全・安心が最大の課題であり、国、事業者には必要な対応を常に求めてきたとした。

データ改ざん問題やリスクの過小評価などで、原子力関係者全体に対して不信感を持っており、知事就任以来、原子力安全・保安院の経済産業省からの分離を要求してきたと述べた。

2010年の防災訓練では、福島第一5号機で全交流電源喪失から炉心冷却ができなくなったものの、非常用発電機が復旧して事故収束するという想定で行ったが、その4か月後に現実の危機に直面してしまったと述べた。

事故直後の状況について知事は、東京電力から11日午後8時30分に2号機の水位が低下し、このままでは燃料最上部がむき出しになるとの連絡があり、「国に頼ることができず、県独自で(県の規定に従い)2キロメートル避難を決定した」とした。ただ、県民への通達には通信網が確保できず、メディアを通じて伝達するしか手段がなかった、と振り返った。

その後、国からの3キロメートル避難、10キロメートル避難指示は、一方的に矢継ぎ早に出され、何ら根拠も示されなかったために、多くの県民が不安に駆られたと説明した。国の避難指示情報も報道機関からの方が早かったとした。

その後は、避難所の確保、食糧や石油の確保・供給、病院など弱者対策などに奔走したとした。

また、緊急時の対策基地となるオフサイトセンターが機能しなかったことが、最大課題の1つとしたほか、緊急時の放射性物質の拡散データを示すSPEEDIのデータが、国から事故翌日の12日深夜には最初のデータが県本部に伝達されていたにも関わらず、「多くの情報の中で、つい見逃してしまった。その後の組織内での情報共有にも問題があった」と認めた。ヨウ素剤の配布も当初、県独自では行わなかったことを明らかにした。


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